31.見つめる先の、世界
夕食はラムのひき肉と玉ねぎを炒め、その上にマッシュポテトをのせて窯で焼いたシェパーズパイ。それに温野菜を添えて。
「このパイはロージーが?」
「ええ、マッシュポテトの部分だけですけど」
「ふーん、でも君の手が入ってる訳だよね? 作るのもあれだけど、好きな人が作ってくれる料理ってのもまた良いね」
「………はあ…」
そう話す、向かいで微笑む男にローズマリーは気の抜けた返事を返す。
今さら何を言ってるんだと。 これまでだってわたしが作ってたことだって普通にあったではないかと、呆れた顔をする。
こう言った言葉でのアピールは、トリスタン自身がわたしへの気持ちを口に出してから更に顕著になった気がする。
まぁ確かに宣言されたワケだし。
しかし今は食事中、ナルもヴァルもいる。
そんな二人にチラリと目を向ければ、ナルは眉間にシワを刻み何とも言えない表情でトリスタンを見ていて、ヴァルに至っては我関せずで食事を続けている。
そして視線を戻せば、にこやかな笑みでわたしを見ているトリスタン。
……ホント、何だろうこれ。
そうして、夕食はつつがなく(?)終えたのだけど。
後片付けを済まし、暖炉の火を静かに眺めているヴァルにローズマリーは声を掛ける。
「ヴァル、今日は家に泊まるでしょ? わたしの部屋でいい?」
「―――――は?」
本人でなく、速攻で疑問の声を投げかけてきたのはトリスタン。
「何でロージーの部屋なんだ?」
「何でって……、トリスタン様がゲストルーム使ってますよね? 他に部屋はないですし」
「だからって何故ロージーの? 少年の部屋でも構わないだろう。――なぁ?」
いつもより低い声の男に問われたナルは、はぁ、まぁ。と頷く。
しかしだ。ナルの部屋は元々物置として使っていた場所を部屋として改装したので広くはない。
とゆうよりも、ナル自身が狭いとこが好みなのだ。猫だからかな?
「ナルの部屋は広くないし、ヴァルは体が大きいからわたしの部屋の方がいいんですよ」
「それなら僕がロージーの部屋へ行くよ、彼がゲストルームを使えばいい」
「……………―――はい?」
今度はわたしが疑問の声をあげる。
今なんて?
「……それは……、ちょっと……?」
何か違う気がする。と眉根を寄せれば、「――何故?」と真顔で返される。
「え!? 何故って……?」
「この前も看病ではあったけど君の部屋のソファーで寝てたワケだし、一回も二回も同じじゃない?」
「そーゆー問題じゃないですよね!?」
あの日トリスタンが部屋に居たのはやはりそうだったのか。
そしてよく考えれば、看病ということは寝ているとこ、ゆーならば寝顔を見られたってことだ!
今さら思い出して物凄く恥ずかしい!
「そう?」と首を傾げる男をローズマリーはキッと睨む。
「大体トリスタン様は男性で、わたしは女性です! 結婚もしていない男女が同じ部屋はダメでしょう!」
「でもそれはその男も同じだよね?」
「うぅっ……それは…、そう、ですけど」
ヴァルとトリスタンではまた別の話、比べること自体が違う。だけどそれを上手く説明出来そうにない。
きゅっと口を閉じたローズマリーの横で小さなため息が落ちる。
「俺は居間でいい」
「ヴァル?」
「そうだね、それがいいよ」
口を挟む隙もなくトリスタンがそれを決定し、「まぁ僕としてはロージーと一緒の方が良かったんだけどね」という呟きは完全に無視して取りあえず話は終わった。
トントントン。と、燭台を手に階段を降りる。
居間の明かりはもうとっくに消えている。扉を開ければチロチロと小さな火が揺らめく暖炉の、その前に踞る大きな影。片耳だけがピクリとこちらを向く。
「ヴァル……」
近寄って呼び掛ければ、伏せたままの状態で金色の瞳だけがローズマリーを見て、暖炉の炎を受け朱金に輝く。
ローズマリーは回り込むと手にした燭台をマントルピースの上に置き、自らは丸く寝そべったヴァルのお腹辺りにストンと腰を降ろした。
何だ?というように首をもたげる狼。
「わたしもここで寝る」
そう言い放って、ローズマリーは狼の背にごろんと凭れた。
少女の体を受け止めたヴァルは人の姿であればため息となるだろう小さく喉を鳴らし、脇に避けていたブランケットを咥え引き上げると、寝転ぶローズマリーへとかけた。そして自身もまた身を伏せる。
別にそれがなくとも狼の時のヴァルは毛皮のお陰かとても暖かい。そんなヴァルの灰銀の毛に埋もれローズマリーはゆらゆら揺らぐ炎を見つめる。
暗い部屋の中で薪に灯る小さな火、ローズマリーの視界に広がるオレンジ色の温かな世界。
手を伸ばせば届く距離、でも触れてはいけない。
それは離れたところからしか眺めることの出来ない温もり。いつもそう。昔からずっと。
「……ねぇ、ヴァル、お願い。 春までじゃなくてもいいから、しばらくは側にいて」
零れ出しそうな闇がある。心の中に。
それはトリスタンと関わることで現れたもの。
他から与えられた感情がわたしがしまいこんだ感情を呼び覚ます。
わたしは喜びを分かち合ってはいけない。楽しみを見出だしてはいけない。幸せになってはいけない。
それがわたしに与えられた罰。
心に決めたその日、その場にいたのはヴァルだ。だからヴァルの存在はわたしにそれを思い出させてくれる。
その時も、否定も肯定もせずただ寄り添ってくれた。
ヴァルが身動ぎをする。こちらを見る朱金の瞳は相変わらず凪いでいてとても静かだ。
変わらないそれ。非難も批判もないただあるがままを受け入れるような。
ローズマリーはぎゅっと狼の首元に顔を埋める。
「二十年も来てくれなかったんだから、それくらいはいいでしょ?」
少し拗ねた口調で言えば、言葉を持たない狼のヴァルは短く唸る。多分「……仕方ない」と言っているのだと思う。
しがみつくローズマリーをそのままに顔を伏せてヴァルは目を閉じた。そして尾っぽが、わたしも早く寝ろとばかりにブランケットをパシパシと叩く。
ローズマリーは少し笑って、もう一度暖炉へと目を向ける。
オレンジ色に染まる温かな灯火。
そこから弾かれたわたしは、……いや、弾かれることを受け入れたわたしは、暗い部屋の中でヴァルにならいゆっくりと目を閉じた。




