17.イバラの檻の奥深くに
そして夜は必ず訪れる。
北と南の果てでは、『沈まない陽』『明けない夜』があるという。
それでもだ。永遠ではなくやはり太陽と月は巡る。
そんな夜の女神の領域を侵害する丸い月が闇を煌々と照らす。共に空を飾る星達までも隅に追いやって。
空と森の際へと追いやられた星が抗議するように瞬くのを眺めながらローズマリーは夜の森を歩く。
淡い冴え冴えとした光を頭上から受け、森の木々はさらに黒々としたシルエットを浮かばせて、葉を落とした枝は、地に絡み付く指のような影を作る。
それこそまさに魔の森とした雰囲気。こういったものに人は畏れを、恐怖を抱き、その話は人から人へと語られるのだろう。
だけどその影も月が中天へと昇れば無情に消される運命。
カサリと落ち葉を踏む足元は室内履きの薄い靴。身に着けている服も、寝間着の上にガウンを羽織っただけ。
冷たく凍えるような寒さが剥き出しの肌に突き刺さる。
この時期にそんな格好で森を歩くなどただの自殺行為だ。だけど体調を崩すことはあってもわたしが死ぬことはない。
この森が、わたしを殺さない。
丸めた指先に息を吹き掛けローズマリーは森を行く。
幾重にも幾重にも、重なり絡み合いもはや塀のようになったイバラが続く一画。それは入り口で、頑なに侵入を阻むように、がんじからめのイバラが扉の如く閉じる。
だけど昇る月の光に照らされて、ほろりほろりとほどけ開いてゆく。
目の前に立ちその光景を眺めていたローズマリーの視界の隅に、月光を受け跳ね返す小さな黄色い光を見た。
少し離れた場所にあるそれは、わたしの背丈にもならないレモンの木。
ローズマリーの口から嘆息が漏れる。
だけど頭を一度フルリと振るうと、開き終わったイバラの門の中へと足を進めた。
先の見えないイバラのアーチは長いような長くないような、どこまでも続くように感じた。
それも気づけばパッと視界が開ける。
目の前に開けた紫紺の空、浮かぶ淡く黄色い満月。そして佇む黒い城の影。
大きな塔といくつかの小さな塔が重なり、曲線と直線が見事に調和した優美な外観。外壁には細かな飾装が施され陽の下で見ればそれはそれは素晴らしいことだろう。
けどそれは叶わない。
満ちた月の下でなければたどり着けぬ城だから。
今は影でしかない城の扉の前に立ち、ローズマリーはまたひとつ息を吐く。
「出ないでくれって言いましたよね?」
「避けてくれとは聞いたね」
とんだ屁理屈だ。ローズマリーは口をへの字に振り返る。
月明かりで男の淡い金の髪が光を放ち。その光を纏い近づいて来たトリスタンは、自らのコートを脱ぐと「見てて僕が寒いから」とローズマリーの肩に掛けた。
また包まれるアンバーの香り。ただ今のローズマリーの心は温もることはなくトリスタンを静かに見上げる。
「最初から、目的はこれだったんですか?」
トリスタンは肯定も否定もせず、ローズマリーを見下ろす紫の瞳が微かに細められる。
「……君に会いに来た、って言ったよね?」
フワリと柔らかく男が笑う。
ああ――…。なんて綺麗な、金糸の隙間から見える紫。今夜の月と空の色。
そして言葉が耳にやっと落ちる。やはり、そうやって嘘ではぐらかすのかと。
瞬間 胸に過った感情は、怒り?落胆?それとも…?
この男は、トリスタンはどこまでもわたしの感情を揺らす。
男の言葉は無視してローズマリーは言う。棘を僅かに滲ませて。
「トリスタン様も入りますか?」
「………いいのかい?」
何を今更。棘は更に増える。
「貴方は領主様でしょ? 止める権利などわたしにはないですよ」
何か言いたげにトリスタンはこちらを見るが、それを振りほどくようにローズマリーはまた扉へと向き直り巨大な扉をそっと押した。
抵抗なく内側へと開く扉。外の冷たい空気に押されるように中へと進む。
「ああ――…これは………、凄いな…」
とは、後ろにいるトリスタンから。
開けたままの扉と各所に設けられた明かり取りの窓から差し込む月明かりで、中を見渡すには不便なく明るい。
月光を受けてキラキラと青く光る、結晶のような室内を見ての感想だろう。
実際に一部は結晶化しているのかもしれない。
そういうことも起こるだろう。だってここはこのいばらの森の中心、魔の森だと言われるここの心臓部。
男が欲しがるものがここにある。
現にトリスタンはうろうろとし始めて、直ぐにでも探索を開始しそうだ。なので誘うように声を掛ける。
「鍵はかかってませんよ。ご自由に」
ローズマリーはニコリと笑う。その声を受けて、でもすこし躊躇いだけど誘惑に勝てずに、トリスタンは別の扉の向こうに消えた。
だけどローズマリー自身はその場を動くことはなく。
今夜はあきらめよう。トリスタンがいる限り、わたしはわたし自身の目的の場所には行けない。
「………ごめんなさい、シェリー……」
ポツリと呟く声はきっと届かないけど。




