007 幸せになろうね
実家に戻った私は、父さんに烈火の如く叱られた。
お前の為に篤史くんが頑張ってるのに、彼を支えるどころか、足を引っ張って何を考えてるんだ!
そう言われ、殴られそうになった。
母さんが何とかなだめてくれたけど、でも母さんも、父さんと同じ意見だと言った。
言われなくたって分かってるわよ、そんなの。
これは私の我儘。
ただの八つ当たり。
分かってるんだけど……もうちょっとだけ優しい言葉、かけてほしかったのよ。
甘やかされたい。甘えたい。
優しくされたい。
私のことだけ考えて欲しい。
それの何が悪いの?
私、プリンセスから通行人Aに戻ったのよ?
そんな私のこと、かわいそうだと思ってくれないの?
もう一度主役にしてあげる、そう言ってはくれないの?
そんな子供が言いそうな言葉が、頭の中でぐるぐる回った。
母さんがあっくんに電話してた。
何度も何度も頭を下げて、しばらく美玖はうちで預かります、篤史さんもどうか、体を壊さないようにね、無理しないでね、そう言って謝っていた。
土曜日。
近所の公園で一人、私はベンチに座っていた。
遊んでる子供たちを見ていると、何だかほっとした。
私にもあんな時があったな。
あの頃はこの世界が、本当に輝いて見えていた。
世界の中心に私はいるんだ、そう思ってた。
父さんも母さんも、いつも私を見てくれていた。
私の言葉に喜び、笑い、泣いてくれた。
私はお姫様なんだ、そう思ってた。
でも時が経ち、成長していくにつれて。
自分は世界の中心なんかにいない、そう思うようになっていった。
自分が思っていたよりずっと、世界は広かった。
人もたくさんいた。
そんな中で私は思った。
もし私が消えてしまっても、世界は何事もなかったように動くんだなって。
私なんて、その程度の存在なんだ。
なんてちっぽけなんだろう、私って。
昔は私の言葉に、父さんや母さんが一喜一憂してた。
それが嬉しくて、楽しくて仕方なかった。
私は主人公なんだ、そう信じた。
でもそれは、私が狭い世界しか知らなかったから。
少しずつ広がっていく世界の中で、私は悟った。
道行くたびにすれ違う人たち。
私は彼らの名前も知らない。
彼らがもし消えたとしても、そのことにすら気付かないだろう。
でも、彼らからすれば、私もそうなんだ。
私もこの広い世界の中では、ただのすれ違う一人の通行人なんだ。
そう思って、少しだけ寂しくなった。
その頃の気持ちが蘇ってくる。
私はただの通行人。
物語に何の影響もない、ただのエキストラ。
結婚して、泡沫の夢を見ていただけなんだ。
もし映画なら、私はカメラに映ることすらないだろう。
そんな存在なんだ。
何で忘れてたんだろう、私。
「ここにいたんだ」
突然聞こえたあっくんの声。
顔を上げると目の前に、肩で息をしているあっくんがいた。
涙のせいで、あっくんが歪んで見える。
私は慌てて涙を拭いた。
「な、何よ、こんな時間に……まだ夕方じゃない。仕事はどうしたのよ」
あっくんの登場。心の準備が出来てない。
私は口をとがらせて、また憎まれ口を叩いてしまった。
違う、違うのあっくん。ほんとは私、謝りたいの。
「仕事、何とか片付いたんだ。この時間なら大丈夫かなと思って、急いで来たんだ」
「ふ、ふーん……仕事、終わったんだ」
「うん、何とかなったよ。来週からは通常勤務に戻ると思う」
「……そうなんだ。頑張ったんだね」
「ありがとう。美玖にそう言って貰えて、やっと終わったって気がするよ」
夕陽を背にして笑うあっくんに、私は不覚にも照れてしまった。
でも、勘違いしないでよね。私の顔が赤いのは、夕陽のせいなんだから。
「隣、座ってもいいかな」
「……勝手にすれば」
「うん……」
あっくんがゆっくりと腰を下ろす。久しぶりに感じるあっくんの体温に、胸がドキドキした。
「……色々と寂しい思い、させちゃったね。ごめん」
あっくんの先制攻撃に、私は動揺した。
ごめんなさい、謝らなければいけないのは私なの。
「美玖が色々と感じてたこと、いなくなってからずっと考えてた」
「……」
「結婚って、第二の人生のスタートだって言われてるよね。美玖はどう思う?」
「どうって……その通りだと思うけど」
「だよね。僕もそう思う。ある意味人生最大のイベント、そう言ってもいいと思う。だから美玖は、式の打ち合わせでも本当に真剣だった。新しいスタートを最高のものにしたい、そうすればきっと、いい人生を歩めるに違いないって」
「……からかってるの?」
「いやいや、からかってなんかないよ。すごいって思ってたんだ」
「ほんとに?」
「うん。僕は……結局最後まで、そういう風に考えることが出来なかった。お金がいくらかかるとか、そんなことしか考えられなかった。
でも、美玖の真剣な顔を見ている内に、美玖が望むことを叶えたい、そう思うようになった」
「……」
「おかげで式、僕も感動しっぱなしだった。美玖には本当、感謝してるよ。いい式にしてくれて、本当にありがとう」
「……私こそ、我儘ばっかり言って、あっくんを困らせてばっかだった……ごめんなさい」
「新しい人生が始まった。最初の頃はきっと、美玖の周りに人が集まってきたと思う。おめでとう、綺麗だったよって」
「うん……」
「美玖の顔を見てたら伝わってきた。本当に嬉しかったと思う。幸せだったと思う」
「そうだと思う」
「でもいつの間にか、元の日常に戻ってた」
「……」
「ごめんね。僕がもっと早く気付くべきだった」
「ううん、違うの。あっくんは何も悪くない。私が……私が結婚に夢を見すぎてただけなの。勘違いしてただけなの」
「美玖……」
「私、ちゃんと分かってるの。式でみんなが私を見てた。私のことを綺麗だって言ってくれた。私の言葉に笑って、泣いてくれた。写真だって、全部私が真ん中だった。
あっくんだってそう。あの会場で、あっくんが何か言うたびに、みんなが注目してくれた。手を叩いて喜んでくれた。笑ってくれた。
じゃんけん大会の時だって、あっくんがみんなの中心に立って、あっくんの声掛けにみんなが従って……部長だって、あんなに盛り上げてくれた。
だから勘違いしたの。私たちの結婚式なんだから、私たちが主役なのは当たり前なんだよね。言ってみれば私たち、300万円払って、人生の数時間主役になる舞台を作っただけなんだよね。なのに、なのに……
勘違いしちゃってた。私、本当に主役になったんだって、勘違いしてた」
「美玖……」
あっくんが私の手を握る。
振り返ると、あっくんは優しく笑ってこう言ってくれた。
「僕にとっての主役は美玖だよ。それはこれからも、ずっと変わらないよ」
その言葉に、私の涙腺は一気に崩壊した。
何よそれ。
あっくん、何て反則技を出してくるのよ。
あっくんの人生の主役は私。
そう、そうなんだ。そうなんだよね。
私の人生の主役はあっくん。
この広い世界の中では、本当にちっぽけな箱の中なのかもしれない。
でもその箱の中で、私たちは主役なんだ。
あっくんの言葉は、私の中にあった靄を一瞬にして晴らしてくれた。
私は泣きながらあっくんに抱き着いた。
あっくんも力強く、私を抱き締めてくれる。
優しい人。
誠実な人。
一途な人。
そんなあなたに認められた私は、あなたにとっての主役なんだ。
それはきっと、世界の中心に立つよりも幸せなことなんだ。
私は嬉しくて、幸せ過ぎて。
何度も何度もあっくんの名前を呼んだ。あっくんの胸で泣いた。
ごめんなさい。それから、ありがとう。
私はこれからも、あなたと一緒にこの舞台で、頑張っていきます。
こうして、プロポーズから始まった私のマリッヂブルーは、ようやく終わりを告げました。
これからは地に足を付けて、日常の中でいっぱい幸せを感じていきたい、そう思います。
私の大切な、あっくんと一緒に。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
作品に対する感想・ご意見等いただければ嬉しいです。
今後とも、よろしくお願い致します。
栗須帳拝