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番外編3 海の向こうの人たち

アグロセンのローディン大使館とプエンテック社の人々のお話。ライアンはとりあえず四輪ドリフトをマスターしようか。

 アグロセン王国、首都エスペランサ。

 官庁街の一角に立つローディン王国大使館で、駐留大使オリバー・タウンゼントは本国からの電文に目を通していた。

「あの王弟殿下が第四王女殿下を伴い帰国。正式な婚約の準備に入る……」


 唸るような呟きに、秘書官が怪訝そうな顔をした。

「国王陛下のご成婚に続く慶事ですね」

「……そうだな」

 たっぷりと溜め息をつき、大使は言葉の上では同意した。その頭の中で嵐のようだった二ヶ月が甦った。


 突然、ローディン王弟が偽名を使い下級大使館員として極秘入国すると知らされた時は目を疑った。凡庸な容姿と薄い印象のため王弟ジョンのことはほとんど記憶になかったが、今後は忘れられそうにない。

 自由気ままにあちこちに出没し、何かを探り回るのに、こちらには最低限の情報しか寄越さないのには困り果てた。正式にアグロセン訪問の形を取り、ようやく普通の外交をしてくれるかと胸をなで下ろしたのに、平大使館員の肩書きはそのままに二重活動をする有様だ。

 その間に裁判所で火事騒ぎ、正体不明の狙撃者の報告、造船所でクレーン崩壊、ヴァルヴェルデサーキットで暴走車の事故、挙げ句に国際観艦式での大立ち回り。今思っても胃の痛みがぶり返しそうだ。


 彼の心中を知らない秘書官はのんびりと感心していた。

「第四王女殿下と言えば姉君たち『三輪の薔薇』にも劣らない美女と有名でしたが、縁とは不思議なものですね。ローディンの王宮も一気に華やかになりそうですし」

「そうだな」


 大使は簡潔に答えた。迂闊に口を開くとこれまでの恨み節がこぼれ落ちそうな気がしたからだ。秘書官は最近のアグロセン国内の動向を彼に伝えた。

「ヴァルヴェルデのレース以降、主な自動車会社で役員の辞任が続いていますね。アコスタは業績不振で納得しますが、プエンテックまでどうしたのでしょうか。それに、元植民地相のフランシス・ゴードン卿が急に帰国しました」


 それには大使も驚いた。

「いきなりだな」

「健康上の理由とありますが」

 その名目が事実であることは滅多にないと、彼らは承知していた。

「どうせ、左遷された時同様に後ろ暗いことをしていたのだろう。君も気をつけたまえ、ここではどんな些細なことでも致命傷になりかねないのだからな。私の前任者を思い出せば分かるだろう」


 自分の清廉潔白ぶりを暗に強調しながら大使は教訓を垂れた。秘書官は神妙に頷いた。

「心します」

 一礼して退出する秘書官と入れ違いに、理事官が郵便物を届けてきた。ひとりになった執務室で、タウンゼント大使は郵便物を確認した。

「ローディンの家族からと、招待状と、……これは?」

 一見挨拶のカードが入っているありふれた封筒のようだが、大使には差出人に全く覚えがなかった。


「アリサ? 誰だ?」

 危険物がないことは大使館員がチェック済みだ。彼は開封した。中には写真が一枚だけ入っていた。タウンゼント大使は驚愕した。

「! ……こ、これは……」

 それは、可憐なメイドに抱きつき鼻の下を極限まで伸ばした彼のだらしない姿だった。裏返すと、一言だけ書き込まれている。

『ほどほどに』

 声なき叫びを上げ、反射的に大使はデスク引き出しの最も奥に写真を押し込んだ。震える手で鍵をかける。

 その後、タウンゼント大使は急病名目で私室に引きこもり、大使館員を大いに困惑させたのだった。



 

 アグロセン王国北東部、ヴァルヴェルデサーキット。

 開発中の4ストロークエンジンを搭載した車がコースを周回する。時計を睨んでいた計測班が大声で報告した。

「記録更新です! 凄いですよ!」

 興奮がエンジニアたちに伝染し、プエンテック社の開発チームは気炎を上げた。


 ただひとり椅子に座る老人、コンラド・エルマンは満足そうに幾度も頷いた。

「いい音だ。これだけでもいいエンジンだと分かる」

「エルマン社のセルモーターを堂々と使えるのが有り難いですよ。いきなり特許訴訟を起こされた時はどうなるかと思いましたが」


 エンジニアの言葉に社長は鼻で笑った。

「聞いたこともない木っ端会社が因縁を付けてきたと思ったら、いつの間にか消えて裁判所にも出てこない。何がしたかったのやら」


 石油燃料車の最大の泣き所が、エンジンをスタートさせるためにクランク棒を回す必要があることだった。力がいる上にタイミングを誤ると棒がいきなり逆回転をし、負傷する者も少なくなかったのだ。

 それを激変させるのがエルマン社が開発したスタートボタン、セルモーターだった。


「これで電池を軽量化できれば小型車にも搭載できる。全ての車からクランク棒が消え、誰でも運転できるようになるぞ」

 エンジニアにとっては夢のような世界だ。

「誰にでもと言うにはまだ高価な乗り物ですけどね」

「物の単価は結局の所、需要と供給のバランスだよ。構造をより単純化し大量生産できれば安くなる。時計を見たまえ、百年前は王侯貴族しか持てなかった代物だぞ」

 そうは言っても、自動車はまだ一台一台が手作りだ。彼が言う大量生産の様子を誰も想像できずにいた。


 チーフエンジニアが快走する試作車を眺めて感慨深げに首を振った。

「それにしても、あのライアンが自らテストドライバーを買って出るとはね」

 レース前ですらバルで馬鹿騒ぎをしていた花形レーサーは、先日のレース以来別人のように熱心に走り込みをするようになった。

「よほどここでのレースが衝撃的だったんだろうな」

「まるで別人みたいな走りだったからな。あんなアクシデントがあったのに」

 セルモーターの故障で感電した後の激走は後々までの語り草になりそうな勢いで広まっている。彼も下手な走りはできなくなったのだろう。


 そう片付けて、エンジニアたちはそれぞれの仕事に戻っていった。

「そこの若いの」

 エルマン社長は近くにいた社員を呼んだ。彼の世話役に任命された若手社員、ミゲル・ベセラは緊張しながら老社長の側に来た。

「目がいいと聞いたが、あの車の印象はどうかね」


 慌ててミゲルはヘアピンを旋回する車を見た。

「すごく、気合いが入ってる感じです。人も車も」

 老社長はにやりと笑った。

「目が良すぎてやっかまれてるそうだな」

「そんな…、ただ、妙な噂になって会社で浮いちゃってる感じで」


 仲の良かったラモン・セスコの件を思い出し、ミゲルの声はトーンが下がっていった。エルマンは彼の背中を強く叩いた。

「ローディンに行くと聞いたが、環境を変えるのも一つのチャンスだ。頑張れよ」

「ありがとうございます」

 あの国に行って自分の能力を正しく制御できるようになれば、何かの役に立つかも知れない。そう思い直してミゲルは前を向いた。


 雲一つない空の下、ヴァルヴェルデにはプエンテックの未来を担う車のエキゾーストが響いていた。


番外編はあと一話で終わりです。最後の話はジョンとカイエターナの後日談です。今夜じゅうに投稿します。

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