番外編1 残された人たち
番外編四編、連続投稿します。まずは実は一番シスコン拗らせてるビアンカ姉様のお話。
庭園に溢れる薔薇は夏の女王の名にふさわしかった。
様々な色形の花びらが美を競い馥郁たる香りを放ちながらハルディン・レアールを支配する様は、天の園を彷彿とさせるほどだ。
王家とそれに近い者しか入ることしか許されない庭園。その中の東屋で座るアグロセン王国第一王女、ウィルタード公爵夫人ビアンカは東屋を囲む薔薇の群れにも無関心だった。彼女の頭を占めるのは、この庭から、ロッサフエンテ宮殿から失われた薔薇のことだ。
「三輪の薔薇」と呼ばれた姉たちに呼応するかのように、第四王女カイエターナはロッサフエンテの「最後の薔薇」と呼ばれた。
長男フェルナンドも三人の姉ビアンカ、レオノール、コンスタンサも、年の離れた末の妹を溺愛した。
上の四人は年も近く、物心ついた時には一緒に育っていた。それだけに、母王妃の思いがけない懐妊から出産、乳児から幼児へと育つ有様をつぶさに見てきたカイエターナにかける愛情はひとしおだった。
第四王女も兄姉たちを慕い、アグロセン王家の姫らしく美しく愛情深い女性に育った。 ただ一つ、興味のない者がイモに見えてしまうと言う奇妙な現象があったのだが、彼らにしてみれば瑕疵にもならないことだ。三人の王女たちは成人し国内の有力貴族に降嫁しても、機会があれば王宮を訪れ妹と楽しい時を過ごした。この幸福が続くことを疑いもしなかった。
ビアンカは溜め息をついた。無人の薔薇庭園に物憂げな呟きが流れた。
「本当に行ってしまったのね」
この薔薇庭園はカイエターナのお気に入りだった。侍女や愛犬を連れて散歩をし、幼い頃にかくれんぼをした東屋でくつろぐ姿を思い出す。
生まれ育った宮殿を、国を、家族を離れ、他国へ嫁ぐ。王家の娘であれば義務ですらあったことだが、今のアグロセンには必要のないことだ。妹がそれを選んだ理由はただ一つ、ローディンの王弟を愛したからだ。
その事実がビアンカを更に滅入らせた。どれほど身分が高く魅力的な貴公子にもなびかなかった第四王女が、王族とはいえ地味で存在感の薄い男性を選ぶなど予想もしなかった。
「あの子の場合は、例の現象のせいね」
数々の貴公子がイモに見えてしまうカイエターナの前に最初から人間と認識されたのが件の王弟だ。彼の方もかなり戸惑っており、第四王女の恋はなかなか進展しなかった。
ビアンカは妹を応援するつもりだったが、ローディン宮廷の複雑な事情を知るにつれ一時の夢で終わることを願うようになった。肝心の王弟が一線を引いた態度を崩さなかったこともある。
国際観艦式が無事に終わり、王弟が首都に戻らないまま帰国すると聞いた時は安堵したものだ。嘆く妹を慰めれば時が解決してくれると。
「それを、よりによって……」
第一王女の回顧は、次第に怒りへとベクトルが変わっていった。限りなく密航に近いカイエターナの捨て身の最終手段をサポートしたのが自分の夫、ウィルタード公爵だったのだ。
「何を考えているの、あの人は」
口をついて出た文句に、思いがけず答える者がいた。
「王女殿下の幸福だよ、君と同じく」
薔薇を背景に東屋の側に立っていたのは、ビアンカの夫であるウィルタード公爵その人だった。いかにも紳士然とした端正な公爵は、困ったような表情を浮かべた。
「まだご機嫌は直らないのかい?」
公爵夫人は美しいシルバーブロンドを揺らしてそっぽを向いた。子供じみた仕草に、幼馴染みの夫は苦笑した。
わざとらしい沈黙を気にも留めず、公爵は懐かしそうに薔薇庭園を見渡した。
「思い出すよ。初めて君と会ったのもここで、それから一緒にここに忍び込んでは一緒に怒られた」
幼い頃のいたずらを蒸し返され、公爵夫人は顔をしかめた。公爵は妻の隣に座り、思い出を語った。
「小さかった頃はいい遊び仲間だったのに、成長すると妙に意識して疎遠になりかけたことがあっただろう?」
互いに難しく繊細な思春期にさしかかった時のことだと、ビアンカは頷いた。素直になれず、わざと相手を無視するようなこともしてしまった。一抹の寂しさを抱えながらも、これで離れてしまうならそれだけのことと思い込もうとした。
「そんな時に、久しぶりにお会いできた第四王女殿下に言われたのだよ。どうして一緒じゃないのかと」
「カイエターナが…」
まだ幼く恋愛のことなど何も分からないはずの妹が、ビアンカと共にいない彼を不思議がったのだ。
「あの時気付いた。努力無しに維持できる関係などないとね。そして、自分の側にいて欲しいのが誰なのかも」
「それで、いきなり求婚に押しかけてきたのね。ここの薔薇を勝手に摘んで」
「散々怒られたよ」
公爵につられて夫人も笑っていた。あの時捧げられた眩しいほどの純白の薔薇を今も覚えている。
「だからカイエターナに協力したの?」
夫人の問いに公爵は笑顔で答えた。
「小さかったあの方が、恋のために海を渡る覚悟を見せたのだよ。勿論、ローディンに持っている全ての伝手を利用して根回しはしたがね」
「道理で、話がやたらと順調に進むと思ったわ」
「君だって分かっているはずだよ、人を思う気持ちも子供が大人になるのも止める術などないと」
ビアンカは目を閉じた。四人兄妹でベビーベッドを囲んではしゃいだ時、大きな猟犬に捕まりながら立ち上がる姿に感涙した時、結婚し王宮を出る時に泣きじゃくる妹を必死で慰めた時。
「私たちの手を離れる時が来たのね」
寂しげな呟きを耳にした公爵が立ち上がった。そして一輪の薔薇を妻に差し出す。
「そろそろ私を許して屋敷に戻ってくれないか? 子供たちが早く連れて帰れとうるさくてね」
ビアンカは薔薇を受けとった。今度の花は中心部にいくにつれて淡いクリーム色になる大輪の白薔薇だった。
「また勝手に摘んだりして」
「これが一番君に似ていたんだ」
非難をさらりとかわし、公爵は手を差し伸べた。それに自分の手を重ね、公爵夫人は立ち上がった。薔薇の香りに包まれた小道を二人は歩き始めた。
白バラを眺めながら、ビアンカはふと呟いた。
「あの子、『グローリー』で騒ぎを起こしていなければいいけど」
過保護な言葉に公爵は笑った。
「きっと王弟殿下がよしなに計らってくれるさ」
同意しつつ、公爵夫人は東屋を振り向いた。黒髪の幼い女の子の笑い声はもう聞こえない。だが、今は王太子の子供たちがここを遊び場にしている。いつかカイエターナが里帰りしたなら、変わらぬ庭園に想い出を蘇らせるだろう。
「いつか、あの子の子供たちがここで遊ぶのを見たいわ。きっと天使のように可愛いはずよ」
新たな夢を見る妻に、夫は第四王女の配偶者となる人物を思い浮かべた。こればかりは天の配剤に期待するしかないだろうという正直な思いは、賢明にも口にしなかった。
かつての夢の庭から今の時を供にする家族の元へと、公爵夫妻は歩き続けた。




