72 王宮ノ薔薇ハ咲キ誇ル
『グローリー』号での事件は、アグロセン王家にも伝えられた。第四王女が乗船する船なのだから秘匿するべきではないというアルフレッド国王の判断だった。
「大変なことが起きていたのだな」
無事に終わったことだが、最悪の場合歴史的な帆船が爆沈の運命を辿るところだった。ファドリケ国王は冷たい汗が流れるのを感じた。
「王弟殿下が命がけで船とカイエターナを助けてくださったのですね」
イサベラ王妃はうっとりと感激していた。
「そうだな」
国王も頷き、色々と想定外続きだった観艦式までの日々を思った。
感慨に耽る国王夫妻の元に来訪者があった。ジョレンテ侯爵夫人レオノールとエスピノサ伯爵夫人コンスタンサ。第二王女と第三王女だ。
「お父様、カイエターナが出奔したというのは本当ですの?」
「ローディンの王弟殿下を追って行ってしまったの?」
不確かな情報しか得られなかった彼女たちは、愛する末の妹がどうしているかを知りたがった。
「密航になるところだったのを、ローディンの国王陛下が王弟殿下の婚約者待遇で招待という形にしてくださったのよ」
王女たちへの説明役をしたのは王宮に逗留していたウィルタード公爵夫人ビアンカだった。姉の言葉に彼女たちは色めき立った。
「まあ、それではカイエターナは王弟妃になるのね」
「でも、あの方は伯爵位しかお持ちでなかったわ。それも名ばかりの」
「それが、殿下の祖父・ウォータールー侯爵の所領と居城を相続してプランタジネット大公になられたの」
レオノールとコンスタンサは顔を見合わせた。二人は真剣な顔で呟き始めた。
「それなら、あの子に一番似合うメイド服を送って殿下を繋ぎ止めないと」
「殿下の趣味を疑われてよ、コンスタンサ」
「身分が上がると寄ってくる不届き者の排除なら、重火器が一番だわ」
「武器輸出はおやめなさい、レオノール」
妹たちの暴走を食い止め、公爵夫人は溜め息をついた。
「あの子に必要なのはローディンの宮廷と社交界でのしきたりを覚える事よ。パロマの実家、ホルダ子爵家にはあの国の伯爵家に嫁いだ者がいるから伝手はあるわね。言葉はマスターしているから後は…」
結婚式までのあれこれを考える姉に、妹たちが怪訝そうに言った。
「まだ先の事よ、ビアンカ」
「国王陛下のご成婚の後になるのだから」
「時間なんてすぐに過ぎるわ。すぐに、ローディンの人間になってしまう。あの子が一番遠いとこに行ってしまうなんて…、もう滅多に会えない……」
言葉を途切れさせた公爵夫人は、大粒の涙をこぼしていた。いつもは気丈な姉の突然の涙に妹たちは驚いた。すぐに彼女に寄り添い肩を抱いて慰める。
「ああ、お願いだから泣かないで」
「あの子ならきっと幸せになるわ。私たちの可愛い妹ですもの」
『三輪の薔薇』と呼ばれる王女たちは、彼女たちが愛した『最後の薔薇』の幸福をひたすらに願った。国王夫妻は娘たちを静かに見つめていた。
航海をを再開した『グローリー』はアヴァロン海を順調に進んだ。夏の好天は安定し、風を掴んだ帆船はグレート・アヴァロン島目指して白波を蹴立てた。
日没の光景の中、ローディン王弟ジョンは一日ぶりに甲板に出た。爆発に巻き込まれたものの回復はめざましく、軽い運動ならと軍医が許可してくれたのだ。
散歩がてら、船尾から船首へと歩いていると声をかける者がいた。
「もう歩き回っていいんだ」
彼の乳兄弟、アシュリー・カニンガムがからかうような笑顔で立っていた。
「一日じゅう寝てたんだ、ベッドは飽きた」
「仕事中毒だねえ」
情報部の上官は王弟の側に来ると口調を変えた。
「聞きたかったんだけど、どうやって助かったの? ああ、偶然手錠が外れて逃げられたなんて与太話はいいから」
真実を言えと詰め寄られ、ジョンはフォアマストにもたれた。
「飛び降りながら手錠で奴の首をへし折って、靴のブレードでベストを切り離した」
「瞬殺ね。でも、海中とはいえ爆発の直撃だったんだよ」
「盾があったからな」
数度瞬きした後、アシュリーは正解に辿り着いた。
「…そうか、奴の死体で防いだって訳ね。いや、丸腰でもキミとは戦いたくないよ」
「手錠は奴の手首を切り落として外した」
「もういいって」
さすがにげんなりした様子のアシュリーだったが、不意に小さく笑った。
「でも、いいことかもね。命根性が汚いのも。今までのキミだったら、あいつを道連れに飛び込んだ段階で満足したかも知れないよ」
彼の言葉は正鵠を射ていた。あの時ジョン頭の中にあったのは、この船を救うこと。そして何としてでも生き延びることだった。
会話が途切れた時、水兵のものとは違う靴音が響いた。にやりと笑うと、アシュリーはわざとらしい笑顔を作った。
「あ、ボク急用を思い出しちゃった。じゃ、ごゆっくり」
乳兄弟が足早に退場した後、王弟の元に歩み寄ってきたのはアグロセンの第四王女だった。
「ご機嫌よう、ジョン様。こちらにいらっしゃると先生から伺いましたの」
「ちょうど夕陽が綺麗に見える時刻ですよ」
カイエターナは西へと目をやった。海と空を赤く染めて太陽が沈んでいく。やがてオレンジ色の残照が徐々に濃紺に飲み込まれ、反対側には星が見え始める。
マストに灯りが点けられ、当直員の水兵が行き交った。二人は並んで、夜を迎える帆船の作業を眺めた。
カイエターナにとって、薄暗がりは有り難かった。突然の爆発騒ぎでジョンを失ったかと思って大泣きし、彼が生還した時も涙が止まらなかったおかげでまだ目蓋が腫れぼったいからだ。
彼に会えたらとずっと考え続けてきたのに、いざ目の前にすると頭から言葉が抜け落ちてしまった。王弟は元気を取り戻しているようだがあちこちに治療の痕がある。特に厳重に包帯が巻かれている左手首に目を留め、そこに手錠がはめられた時の絶望感が甦った。王女は小さく身震いした。
彼女の視線に気づいたジョンは左腕を動かしてみせた。
「骨も神経も異常がないので、心配いりませんよ」
「あの黒イモのせいで…」
カイエターナの呟きを耳にしたジョンは以前からの疑問を口にした。
「アグロセン語でイモというのは特別な意味があるのですか」
ぎくりとした第四王女は焦った挙げ句に素直に白状することにした。
「実は私、興味のない人がイモに見えますの」
ジョンは彼女をまじまじと見た。
「……その、私もやはりイモなのでしょうか?」
「いいえ、ジョン様は最初にお会いした時から人間です! だからすぐに分かりました。運命の人だと」
どうやら、華やかな貴公子たちがこぞってイモの群れ扱いだったのだと彼は何とか理解した。そして、ためらいがちに尋ねた。
「恐ろしくはなかったですか? そのような世界は」
カイエターナははっきりと答えた。
「不思議でしたけど、親しい人、信頼できる人は普通の人間に見えますから。それに、私がどんなに奇妙でも家族は愛してくれます」
その言葉はジョンに喪服の王太后を連想させた。自分に対してただの一度も情愛を示したことのない母親を。無意識に彼は手を伸ばし、王女の黒髪に触れた。
「君は残酷だ」
低い呟きにカイエターナは目を瞠った。俯いたままジョンは続けた。
「君に出会わなければ、僕は自分の欠落した箇所から目を背けていられた。捨てたはずの未練を引きずっていることにも」
王女には、目の前の王弟が傷ついた幼い子供のように見えた。彼女は思わず両手を彼の頬に添えた。
「あなたに欠けた所があるなら、私が埋めます。何年かかっても、一生かけてでも」
目を閉じ、ジョンは華奢な手が与えてくれる温もりを身の裡にしみこませた。これを手放さずにいられる方法を、彼は一つしか思いつかなかった。外交も思惑も全て振り捨てた中で、ローディンの王弟は懇願した。
「結婚してくれ、カイエターナ」
アグロセンの第四王女は信じられない思いで彼を見つめ、やがて綻ぶように微笑んだ。
「はい、喜んで。……やっと、名前を呼んでくださったのね」
二人の手が互いの背に回り、寄り添う影が一つになった。
甲板の反対側からこっそりと成り行きを見守っていた者たち――アシュリー、ジェフリー、ロイド、パロマは叫びたいのを我慢しながら拳を握った。
「これで本国に任務達成の電文を送れるよ」
「どうなることかと思いましたが」
「慶事が続くな」
「…姫様、おめでとうございます……」
お祝い気分の彼らはようやく成就した恋人たちを見守った。だが、四人は予想しない事態を目撃することとなった。
カイエターナは抱きつくと言うより力任せの体当たりをジョンにかましたのだ。王弟はよろめき、後ろ向きにひっくり返った。頭部の強打はかろうじて防いだが、打ち付けた背中の痛みに彼は声も出なかった。
その上に馬乗りになったカイエターナは、世にも幸福そうに言った。
「さあ、覚悟なさって、愛しいジョン。私、絶対、あなたの、お側を、離れたり、しませんからね」
言葉の合間合間にキスを落とし、アグロセンの王女は熱烈に愛を囁いた。押し倒されたローディンの王弟はどうしたものかと考え、結局降参することにした。頬にかかる黒髪にくちづけてどうにか伝える。
「愛しているよ」
嬉しそうにカイエターナは彼の胸に顔をうずめた。
呆気にとられる傍観者たちの中で最初に言語機能を取り戻したアシュリーが、しみじみと呟いた。
「ママが見たら泣くだろうなー、色んな意味で」
それでも伴侶を得た乳兄弟を祝福し、情報部員は通信室に急いだ。勿論、待ちかねているであろう国王陛下に求婚成功の暗号電文を送るためだ。
真夏の太陽よりも熱い恋人たちを乗せ、歴戦の百門艦は故郷を目指し海を渡った。
『グローリー』からローディン海軍情報部へ 極秘扱い
――王宮ノ薔薇ハ咲キ誇ル。――
〈END〉
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