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71 動く爆破装置

 狭い階段を上がり、『グローリー』甲板に達したラモン・セスコは口元を歪めた。

 憲兵を装い港で水兵を殺害してなり代わり、この艦に乗り込むことが出来た。窮屈な環境で不満を抱えた者などすぐに見つかった。

 同室者の憎悪と恨みを増幅させ、適当に煽ってやればすぐに現実から遠ざかってくれた。おかげで誰にも疑われずにこの艦を行き来できる。憲兵隊の武器庫から調達した爆薬も持ち込めた。


 姿を偽るのも今日までだ。あの忌むべき侯爵家の血を引く王弟を、この船ごと海底に沈めてやる。勝利の光景を思い描き、笑いそうになるのを堪えるラモンだった。

 封筒を抱え、ラモンは船首近くでアグロセンの王女と話している王弟へと確実に近づいていった。


 その足音が聞こえると同時に、ジョンは接近者とカイエターナを遮断するように間に立った。さっきまで寝そべっていた優美な猟犬が、歯を剥き出し剣呑な様子で威嚇の唸り声を立てている。

 彼らの様子に、水兵服のラモン・セスコは立ち止まった。敬礼をし、封筒を差し出す。

「通信室から電文です」


 沈黙が甲板を包んだ。王弟はラモンに手を伸ばすことすらせず、興味深そうに観察している。

「制服は調達できたようだが、靴はそうはいかなかったようだな」

 ジョンの声はむしろ愉快そうだった。全身をこわばらせる水兵に、彼は淡々と続けた。

「この船の水兵でそんな足音を立てる者はいないんだよ。それとも、その靴が必要だったのかな」


 歪んだ笑みを浮かべ、ラモンは封筒を放り捨てた。同時に水兵服のシャツを脱ぎ捨てる。彼の上体はベストが装着されていた。取り囲むように付けられたポケットには無数の爆薬が差し込まれている。

 ジョンは彼から目を離さないまま、背後で息を呑む王女に告げた。

「下がっていてください。チキティート、距離を取れ」


 頭を下げながら猟犬はゆっくりと移動した。ラモンの周囲にどす黒い瘴気めいた違和感を覚え、カイエターナは呟いた。

「カルバーソ公子と一緒だった黒イモだわ」

 彼女は手元に狙撃銃もショットガンもないのを嘆いた。危険物を身につけていても、ヘッドショットで片が付くのにと。

「パロマに泣いて止められても持ってくるのだった」


 動く爆破装置と化したラモンに対し、ジョンはナイフすら持っていない。

 〈レイヴン〉の武装構成員に対し、一人と一頭は一触即発の状況で距離を測った。


 息を切らしながら階段を上がってきた情報部チームが甲板に戻ってきた時、既にラモン・セスコはジョンと接触していた。彼らは一瞥で状況を理解した。

「まずいな、迂闊に近寄れない」

 舌打ちした後でマストに身を隠し、アシュリーはジェフリーとロイドにハンドサインをした。彼らは頷き、足音も立てずに散開した。


 素早くマストに昇ったアシュリーは、当直の水兵に声を立てないよう指示し、銃を借りた。だが、敵艦乗員を狙撃するための銃は自艦の甲板に向けて撃つように出来ていない。そもそも帆桁やシュラウドが視界を遮る中での狙撃は危険すぎる。

「奴の爆薬に引火したら終わりだし、ジョンも王女様も傷つける訳に行かないし……」

 メインマストの上で、情報部員は考え込んだ。

 東の水平線からは太陽が姿を現し、アヴァロン海を照らし始めた。眩しげに海を見たアシュリーはシュラウドにいるジェフリーとロイドに合図をした。


 ラモン・セスコは港で殺した水兵から奪った軍用ナイフを握ると、王弟に襲いかかった。的確に躱すジョンは、彼の動作が大きすぎるような印象を持った。

 大型猟犬はラモンに飛びかかる機会をうかがうが、少しでも接近すればナイフを向けられるため攻撃に移れないままだった。


 数度ナイフが空を切る中、ジョンはラモンが意図的に立ち位置を徐々に変えているのに気付いた。その理由は、水平線で眩しく輝く太陽が教えてくれた。ラモン・セスコは陽を背にして戦っているのだ。

 目を眇め、厄介だとジョンは対策を考えた。その時、ラモンの攻撃が劇的変化を遂げた。一旦後退しするとナイフを収め甲板に手をつき、重いベストを装着しているとは思えない身軽さでタンブリングをし、蹴りを入れてきたのだ。


 彼の靴先が光るのを見て、ジョンは自分の予想が当たっていたことを確信した。ラモンの靴底から鋭いブレードが飛び出していた。

 思いきりのけぞり、王弟は甲板を転がって攻撃から逃れた。起き上がっても太陽を直視する位置取りはそのままだ。


 その時、彼は背後のメインマストの上で何かが光るのに気付いた。

 ――アシュリーか?

 合図に使うため情報部員が常に携帯している鏡だ。シュラウドでも同様の光信号があった。彼らの作戦をジョンは察した。打つ手がないように見せかけ、メインマストが真後ろになるように微妙に立ち位置を調整する。


 静かな戦いが繰り広げられる甲板に、今日も掃除任務があるアンドルー・イーデンがモップとバケツを手にして上がってきた。掃除用の細い階段を使ったため、封鎖状態に気付かなかったのだ。

「あー、眠…、あれ?」

 予想もしない光景を前に、アンドルーは固まった。そこに駆けてきた黒髪の美人が彼の手からモップを奪う。空になった片手を、再訓練中の情報部員は呆然と眺めた。


 高く小さな指笛をカイエターナは吹いた。猟犬がこちらに意識を向けた。手にしたモップを勢いよく甲板に滑らせると、チキティートは回転するそれをしっかりと咥えた。

「あの方に!」

 腕を振って王女は合図した。モップを咥えたまま猟犬は走り出した。


 ローディン王弟は、追い詰められているように見えた。手のナイフと靴のブレード、双方からの攻撃を避けるのが精一杯の状態で、ジョンはメインマストの方に追いやられていった。

 劣勢の中で、彼はタイミングを計っていた。

 ――あと少しで雲が完全に晴れる。やるならその時だ。


 王弟の正面で、太陽が一層輝きを増した。接近してくる犬の足音を背後に感じ、片手を上げた。彼の頭上を飛び越えアグロシアン・ウルフハウンドが現れた。ラモンが余裕でナイフを構える。

 ほぼ同時に、メインマストとシュラウドから鋭い光が走った。それはラモン・セスコの目を直撃した。


「くそっ!!」

 直視できず闇雲にナイフを振り回す彼の腹部にモップの柄がめり込んだ。ラモンは後方に吹き飛んだ。チキティートからモップを受けとったジョンの反撃だった。

 すかさず猟犬がラモンの左足に噛みつき靴の攻撃を無効化する。甲板に落ちたナイフを蹴飛ばし、ジョンはモップの柄で彼の首を床に押しつけた。素早く甲板に降りてきたアシュリーたちが取り囲む。


「ロイド、解除を」

 爆薬付きベストを外そうとした護衛は、素手で触れた途端にびくりと手を引っ込めた。

「起爆装置が作動しています」

「何だと!?」

 さすがに驚く彼らの前で、ラモンが目にも留まらぬ早業を披露した。一瞬で、彼とジョンの手が手錠で繋がれたのだ。


 血の滲む口元を歪め、ラモン・セスコは周囲を挑発した。

「さあ、撃てよ。俺を殺してこいつを外す前に船が爆発するけどな」

 青年は狂ったように笑い出した。ジョンは一度だけ、蒼白になっているカイエターナに視線を走らせた。

 その後、王弟は何の躊躇もしなかった。ラモンを引きずり起こし、舷側を乗り越えていく。


「殿下!」

「おやめください!」

 彼の行動を理解した者たちが引き留めようと必死で叫んだ。

「ジョン様!」

 カイエターナが彼に両手を伸ばす。その直前、二人の姿が消えた。大きな水音がし、『グローリー』の人々が舷側から海を見るが、何も浮かんでこない。


 恐ろしい沈黙が甲板に広がった。直後、呼吸すら忘れたような人々の足元が揺れた。同時に帆船付近で轟音と水柱が起こり、しぶきが甲板を濡らした。海が濁り、衝撃で死んだ魚が次々と浮かび上がってくる。

「……嘘……」

 座り込んでいたカイエターナはふらふらと立ち上がった。そして海へ飛び込もうとした。


「姫様!」

 騒ぎを聞きつけ上がってきたパロマが主人にしがみついて止めた。

「離して! あの方を助けるのよ!」

「無理です!」

 情報部員たちも加わり彼女を押しとどめた。

「……だって、こんなこと……、ジョン様……」

 泣きじゃくる王女に掛ける言葉もないまま、いたずらに時が過ぎていく。


 そこに、場違いなほどのんびりした声が聞こえた。

「おーい、錨を上げてくれー」

 空耳かとも思ったが、確かに聞き覚えのある声だ。人々は声のした船首付近に殺到した。『グローリー』の錨に繋がる太い鎖に捕まり、手を振る人がいた。

 ローディンの王弟だった。


「抜錨! キャプスタン巻き上げ急げ!」

 艦長の号令で急速で錨が巻き上げられた。鎖と一緒に上がってきたジョンにロープが投げられる。

 王弟はあちこち傷だらけで酷い有様だったが、致命的な負傷は見当たらなかった。さすがに立っているのがやっとの様子で、すぐに担架が運ばれてきた。


 パロマに付き添われ、カイエターナが彼の側に来た。ジョンは苦笑いした。

「…大丈夫です」

 掠れた声で言われ、王女は笑おうとして失敗した。泣き始める彼女に困った顔をしながら、ジョンは医療室に搬送された。

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