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70 宿題

 『グローリー』にもたらされた本国とアグロセン王家の対応は、艦長以下将校たちを安堵させた。ただし、眉間にシワを寄せる一人を除いて。


「往生際悪いなあ、観念しなよ」

 呆れた顔で王弟に遠慮のない言葉を掛けるのは彼の乳兄弟だった。王女発見から緊急停泊していた『グローリー』は錨を降ろし帆を縮めた状態で波に揺られている。


 甲板の舷側にもたれたジョンは、先ほどの通信文がまだ頭の中を巡っていた。

「大公家……三階級特進とか、二度戦死してこいと言うとか」

 その背中を思いきりアシュリーが叩いた。

「何言ってんの。堂々と王女殿下と結婚できるように陛下が調えてくれたってのに」

「いきなりすぎるだろう」

「知らない間に外堀埋められたからって拗ねないの」


 ジョンにしてみれば、外堀どころか気がつけば城ごと更地にされた心境だ。

 海に目をやれば夜明け前の水平線東側が薄明るくなっている。当直しかいない甲板は波の音しかしない。常に蒸気機関が作動している現代の船からは考えられないほどの静けさだ。


 それにしても、とジョンは考えた。兄はよくあの母を説得できたものだと。実家の犯罪を暴かれ減封されるなど王太后が許すとは到底思えない。

「なら、単独決行か。宰相たちに根回しはしていただろうけど」

 私欲のためには国を裏切ることも平気な者どもを一掃できる機会だと判断したのだろう。兄の治世のために必要だったとはいえ、かなりの英断だ。


 ――アグロセンとの友好関係は維持できた。ザハリアスのデュカキス大公は無事だったが、帰国後は荒れそうだな。

 北の大帝国はあのまま不穏分子を残し、国内で権力闘争に明け暮れさせることがローディンの利に繋がる。いずれ植民地や資源を巡る全面対決に至るまでに、できる限り勢力を削っておくべきだ。


 今後の政策について思索していたジョンは、小さな足音を聞きつけ振り向いた。アグロセン第四王女カイエターナが愛犬と共に甲板に来ていた。

「おはようございます、王女殿下」

 挨拶をした後で、彼は兄からの『宿題』を思い出した。第四王女に正式に求婚しろと難題を突きつけられたのだ。


 少し離れたミズンマストでアシュリーがニヤニヤとこちらを眺め、激励のつもりか手を振っている。憮然とする彼の視線の先にアシュリーを見つけたカイエターナの顔が曇った。

「おはようございます、ジョン様。……あの方とご一緒でしたの?」

「そうですが」


 不思議そうな彼に、王女は勇気を振り絞って質問した。

「ホテルでメイドをしていた人ですね。とても親しげなご様子でしたが……」

「アシュリーは私の乳母だったカニンガム子爵夫人の子で乳兄弟になります」

「乳兄弟……」

 自分など及びも付かない絆がある間柄と知り、カイエターナは青ざめた。それに気付かないジョンはのんびりと愚痴交じりに語った。


「海軍の先輩でもあるので容赦がなくて」

「先輩?」 

「カニンガム兄弟の末っ子ですが、あれで私より年上ですよ」

 記憶にある可憐としか言いようのないメイド姿を思い出し、思わず彼女は将校の制服を着ているアシュリーを振り向いた。おかげでより重要な事実が頭に届いたのは少し後だった。


「……その、カニンガム『兄弟』とおっしゃいましたよね」

「五人兄弟で…、ああ、メイドは彼の趣味です」

 馴染みすぎてつい忘れていたという様子のジョンを見るうち、王女はようやく平常心を取り戻した。

「そうですの、あまりに似合っていたもので誤解してしまいましたわ」

 それでどこの家にでも潜入できるのがアシュリーの最大の強みだ。とはさすがに言えず、ジョンは話題を変えた。


「よくお休みになれましたか? 侍女の方はご気分が悪そうでしたが」

「パロマは落ち着きました。あの、用意してくださったお部屋のレースのテーブルクロスは、もしかして…」

「私の部下、ロイド・スコットの力作です」

「やっぱり。パロマが何だか対抗意識を燃やしてて、ぜひお話を伺いたいと」

「伝えておきましょう」

 どうやら侍女の闘争本能に火を付けてしまったようだ。レース編みなら血を見ることにならないだろうとジョンは快諾した。


 アヴァロン海を甲板から眺め、カイエターナは眼を瞠った。

「海で朝日を見るのは初めてだわ」

「この天気と風なら、一両日中にグレート・アヴァロン島に到着しますよ」

「そうですか」

 王女は残念そうに呟いた。甲板を見渡し、観艦式での出来事を思い出す。

「この船で経験した観艦式は忘れられません。ロープで乗り込んだり、火薬を運んだり」

「実は、百年前の海戦では女性もパウダーボーイ役をこなしてましたよ」


 王弟の言葉にカイエターナは信じられないと言いたげな顔をした。

「女の人が軍艦にいましたの?」

「怪しい者ではなく、船大工のように退役まで船から離れられない職種の乗員の妻子がこっそり乗り込んでいました。海軍としては公認する訳にはいかないが目をつむっていたようです」

「そうですか……。分かりますわ、夫が退役するまで会えないなんて未亡人と変わりませんもの」

「平時は上級士官の洗濯物を引き受けてしっかり小金を稼ぎ、海戦となれば子供たちを最も構造が丈夫な箇所に避難させて火薬運びや軍医の助手をしていたという非公式の記録があります」

「ローディンのご婦人は勇敢ですのね」

「当時は船の戦果が夫の収入に直結していましたから」

 妻たちが真剣になるのも頷ける理由だった。


 傍目には和やかな会話をする二人だったが、マストの陰から見守る者の感想は異なっていた。

「ああ、もう。もっと色気のある会話をしなよ」

 ジョンの乳兄弟でもあるアシュリーは盛大にもどかしがった。彼の背後にいたジェフリーとロイドもそれぞれの表情で同意している。

「せっかく当直の水兵以外を甲板から追い払ってるのに。国王陛下直々にさっさと求婚しろとおっしゃってるんだから、素直になればいいのに」

 今は首元で一つにまとめている髪を揺らし、海軍情報部員は王弟らしからぬ優柔不断さに気を揉んだ。


 そこに伝令の水兵が駆けつけた。

「カニンガム少佐、艦長がお呼びです」

「せっかくいいとこなのに……」

 ぶつぶつ言いながらも、アシュリーは招集に応じた。ジェフリーとロイドも上官に続く。


 船尾付近の砲門層に向かう時、通路で彼らは一人の水兵とすれ違った。脇に退き敬礼をする水兵に不審な所はなかった。ただ、ジェフリー一人が足を止め振り返った。伝令らしき水兵は上層へと移動した。

「ジェフリー?」

 同僚に呼ばれ、王弟の副官は首をかしげながらも二人の後を追った。




 艦長に敬礼し、情報部員たちは彼から事情を聞いた。

「カサアスールから、埠頭の倉庫から刺殺死体が見付かったと連絡が入った」

「港の殺人事件ですか?」

 怪訝そうなアシュリーたちは、次の言葉に驚愕した。

「遺体の身元はイアン・マッカイ二等海兵。この艦の乗組員だ」

「乗船確認したはずでは」

「ああ、確かに乗っているはずだ。それで同室の者に話を聞こうとしたのだが」


 艦長はある部屋の扉を示した。のぞき窓に鉄格子が入ったその部屋は懲罰房だった。窓を開けると拘束服を着せられた若い男性が座り込んでいるのが見えた。何事かを抑揚のない声で呟き続ける様は、明らかに常軌を逸している。

「マッカイのことを質問したら豹変して、ずっとこの有様だ」

「誰かがマッカイになりすまして乗船し、同室者はそのことを漏らさないよう操作された…」


 アシュリーの言葉に弾かれたように顔を上げた者がいた。王弟の副官、ジェフリー・クーパーだった。

「さっきの水兵、見覚えがあるような気がしたのは奴だったのか」

「どうした?」

 ロイドに肩を掴まれ、ジェフリーは叫んだ。

「あの顔、帽子で隠していたがラモン・セスコだ!」


 直感像所有者である彼の視覚記憶を疑う者はいなかった。アシュリーが強張った顔で尋ねた。

「奴はどっちに行った?」

「上層に」

「……甲板だ!」

 叫ぶと同時に情報部員たちは駆け出した。


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