68 ご挨拶
「護送車が事故にあった?」
出港準備で慌ただしい『グローリー』の船室で、王弟は急報に顔色を変えた。
「また襲撃か?」
「うーん、崖から海に落ちたんだよ。遺体が潮に流されたおかげでまだ全員回収できてないんだ」
アシュリーも予想外の出来事に困惑気味だった。声を潜めて重要事項を告げる。
「実は、発見された遺体の様子から、仲間内で殺し合った形跡があるんだよ」
「仲間割れか?」
「問題は、拘束されてるはずなのにどうやって大立ち回りが出来たかだよね」
遺体回収時の隠し撮り写真を見て、ジョンは創傷に注目した。
「首に腹部。下から上に切りつけたようだな……」
すっきりしない事件だが、捜査権もない自分たちに出来ることはない。それでも確認したいことがジョンにはあった。
「ラモン・セスコは?」
「見つかってない。彼だけじゃないけどね。こうなってみると、あの〈レイヴン〉の親玉を本国に極秘移送したのは正解だったね」
これからローディン海軍情報部で尋問が待っているのは総帥だけでなく、ウォータールー侯爵家の手下も同様だ。アルフレッド国王がこのカードをどう利用するかはまだ分からないが。
「部下を囮にして自分だけ逃げ出すような輩は吐くのも速いと思うよ」
アシュリーの容赦のない言葉に、王弟は全面同意した。消息不明の情報部員を必死で追跡した日々を思い出し、それらに必ずついて回る王女の記憶はあえて押し込もうとした。
「事後処理が全て終われば即出港だ」
それだけ言うと、王弟は窓から港を眺めた。
「やせ我慢しなくてもいいのに」
呆れたような乳兄弟の言葉は聞こえないふりをした。
首都エスペランサ。エルマン社社長コンラト・エルマンは、何度目かの新聞記者の取材に応じて自身の冒険譚を語った。
「まあ、そういうわけで何とか潜水艇から脱出できて、『エンベスティダ』に助けられたということさ」
記者は笑顔を作りつつも、物足りなそうな声を出した。
「他に何かないですかね、社長。例えば、謎の協力者がいたとか、潜水艇の正体が分かる物があったとか」
「ずっと閉じ込められとったんだぞ、そんなことが分かるはずがないだろう」
呆れたように躱され、若い記者は諦めるしかなかった。
記者が帰ると、エルマンはやれやれと首の筋肉をほぐした。
「どいつもこいつも代わり映えのせん質問しか持ってこんな」
退屈そうな彼の元に、秘書が一通の手紙を渡した。
「差出人は不明ですが、危険物ではありませんので」
「ほう」
開封して手紙を読むうち、エルマンの手が震えてきた。驚いた秘書が彼に尋ねた。
「どうしました、社長」
「セルモーターの改良点の指摘だ。これは実際乗ってみなければ分からないことだぞ。一体誰なんだ?」
早速技術者たちを社長室に呼びつけながら、エルマンの脳内は改良版のセルモーターを夢に描いていた。
プエンテック社では別の驚きがあった。
「ローディンのハートリー社に出向…ですか」
「向こうがぜひにとのことだ」
ハートリー社はローディン側の出資者だ。合弁会社であるプエンテックで得た技術を自社にフィードバックするために人材を求めているという理由だった。
そう人事部長に言われても、ミゲル・ベセラは実感が湧かない様子だった。取りあえず辞令を受けとり、首をかしげながら人事部の執務室を出て行く。
「ローディンか…。お祖母ちゃんの親戚を訪ねるいい機会なのかな」
同僚のラモンのこと、特異能力のせいで気味悪そうに見られ始めたことなど、多少空気を重く感じていたこの頃だった。ミゲルは心機一転と思うことにした。
『グローリー』号の甲板で、アンドルー・イーデンは猛然とモップで拭き掃除をしていた。監督は勿論アシュリー・カニンガム少佐だ。
「帰国したら一から鍛え直すからね!」
「アイ、サー!」
昼は一水兵、夜は始末書大量作成と、アンドルーは失踪分の働きを日々支払わされていた。
「帰国前に燃え尽きるんじゃないのか?」
今日も水兵に混じって働いていた王弟ジョンが上司に言った。アシュリーは意に介さなかった。
「こんなのシゴキのうちに入らないよ。例の透視能力の彼は上手いこと引っ張れそう?」
「ハートリーに出向名目でローディンに来させる」
「なら、何とかなるね。あっちで女の子でも紹介して永住させれば天賦の訓練を続けられるし」
保有者は多いに越したことはない。諜報活動に役立つなら尚更だとの共通認識の元、彼らは頷いた。
「で、キミの方はいいの? 挨拶もロクにしないで」
「何のことだ」
そっぽを向く乳兄弟に、アシュリーは大げさに肩をすくめた。それに構わずジョンは宣言した。
「日没前に出港だ。兄上の方も御前会議で例のご老人に引導を渡しているだろうし」
「泣いてるんじゃないかなー」
嫌味を無視し、順調に物資搬入が進む様子をジョンは見下ろした。帆船の速力ではローディンまで半日とはいかないが、長期航海ではない。そのため食料などは大量に用意する必要はなく、搬入作業は昼までには終わりそうだ。
終わりという言葉が胸に染みた。それでもローディンの王弟は決断を翻さない。帰国しいつもの多忙な日々に戻れば忘れられるだろう。思いがけない出会いがもたらしたことも薄れていくだろう。
荷物の搬入終了の報告を受け、ジョンは艦長に合図した。
「抜錨、出港!」
キャプスタンが錨を巻き上げ、ボートに引かれた帆船がゆっくりと埠頭から離れる。別れを惜しむ港の人々に手を振り、『グローリー』は展帆作業に移った。
「フォア、メイン、ミズン、各トプスル、、トゲンスル、展帆!」
マストの上部の帆が広がり風を受ける。そして最下段の大横帆のロープが引かれた。巨大な白い帆が一気に膨らみ、戦列艦は加速した。
遠くなるカサアスールの港をジョンは船尾から見つめた。
「……我ながら未練がましいな」
全て置いていくと決めたのは自分なのに、海の彼方に消えていく西方大陸から目が離せずにいる。
――彼女なら求婚者は腐るほどいる。物珍しいだけの異国の王族のことなどすぐに忘れるだろう。
そして幸福になるのだ、知らない誰かと一緒に。
胸の痛みを押し殺し、彼は船室に戻ろうとした。そこに、慌てふためいた様子で水兵がやって来た。
「失礼します! 今、搬入した積み荷の中に不審物が見つかりました!」
ただならぬ様子にジョンは急いで下層に降りた。
そこには艦長を始め主立った将校たちが揃って大きな木箱を取り囲んでいた。
「不審物はこれか?」
「はいっ、中から妙な物音が」
護衛のロイドが手袋を外して素手で箱を触る。そして奇妙な顔で振り向いた。
「機械ではありません」
箱からは確かにがたがたと音がしている。ジョンは開封を命じた。
「開けろ」
銃を構えた水兵たちが前に出る。木箱の蓋を数人がかりでこじ開けると、内側から勢いよく開いた。身構える王弟たちが目にしたのは艶やかな黒髪だった。
「やっと出られたわ、パロマ!」
「……姫様、私、気分が…」
アグロセンの第四王女が伸びをしながら箱から立ち上がった。彼女の侍女は青い顔で口元を押さえている。その横からアグロシアン・ウルフハウンドまでが顔を覗かせた。
記憶に新しい彼女たちを前に、ジョンは我知らず呟いた。
「……王女殿下……」
彼を見つけたカイエターナは輝くような笑顔を見せた。
「ご機嫌よう、ジョン様」
「……どうしてここに……」
「ご挨拶に伺ったのですけど、間違って運ばれてしまいましたの」
「間違って……」
鸚鵡返しをした後、王弟は背後に立つ艦長に問いただした。
「艦長、本艦の現在位置はアグロセン領海内か?」
「…公海上です、殿下」
「そうか、公海か…」
乾いた笑い声をたてた後、ジョンは全力で振り返った。
「本国とアグロセンに緊急通信を!!」
「アイ、アイ、サー!!」
通信室めがけて伝令が疾走し、上級士官は臨時会議のために集合した。
帆船『グローリー』が上へ下への大混乱になる中、人騒がせなカイエターナは船酔いした侍女を気遣っていた。




