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67 手本にするのは

 王弟ジョンは船室を出て帆船の甲板に上がった。軍港からカサアスールの夜景を臨む。作戦が終了すれば即帰国だ。この光景を見られるのも長くないだろう。

 そう思った時、真っ先に頭に浮かんだのは母国で彼を待つ人々ではなく、黒い髪と瞳を持つ女性のことだった。いつも自分に向けられてきた情熱に溢れる視線と何事にも真剣に体当たりしてきた彼女。


 ただの通りすがりのはずが王宮で予想外の再会をし、いきなり運命の人認定されたことや造船所でのクレーン対決に酒場で踊ったこと、これまでの記憶が一気に押し寄せてきた。

 周囲は身分的に問題はないと言うが、問題ないのは身分だけだ。実質自分が持っているのは僻地のわずかな所領と街の子供たちに幽霊屋敷扱いされている老朽化した館のみ。王弟という身分すら、兄に世継ぎが産まれれば価値がなくなるものでしかない。


 そこまで考えて、ジョンは苦笑した。結局の所、カイエターナが本国での自分を見て幻滅するのを直視したくないことに気付いたためだった。

「元に戻るだけか」

 誰からも認識されない資質を武器に任務を遂行する。周囲が自分を素通りする生活は何一つ変わらない。なのに、胸の奥がひどく冷たくなるような感覚があった。ローディン王弟はそれらを封印するように星を見上げた。




 深夜にも関わらず、赤い部屋には構成員たちが列席していた。誰もが不安にかられ、互いへ視線をちらちらと送りながらも押し黙ったままだ。

 重い空気にたまりかねたように一人が口を開いた。

「総帥、潜水艇が拿捕され多くの同志が捕らえられたというのは本当ですか」


 カーテンの奥の黒衣の男性は無言を通した。何の反応もないのにじれた構成員たちが、堰を切ったように彼を責め立てた。

「我々はどうすればいいのですか」

「この責任は誰がとるのですか」

「答えてください、総帥!」

 一人が遂に立ち上がり、カーテンの奥に鎮座する者に詰め寄った。


 突然、外で激しく争う音がした。全員が中腰になり顔を見合わせる。次に扉が荒々しく開け放たれ、武装した官憲が彼らに銃を向けた。

「動くな! 両手を上げろ!」

 彼らは呆然とした顔でのろのろと手を上げた。構成員の身柄を確保すると、強制捜査の手は最上席に及んだ。乱暴にカーテンが引き開けられる。

 贅沢な椅子にあるのは黒衣を着せた人間の模型だった。構成員たちは目を見開いた。

「……逃げたな」

 官憲の一人が悔しそうに呟いた。




 数時間後、夜明けが訪れるエスペランサ中央駅のサロンで一人の紳士が優雅に食後の葉巻の香りを楽しんでいた。新聞を広げ、彼は西方大陸の情勢に目を通した。

 紳士の元に一人の配達員が近寄った。

「定時連絡か」


 配達員は頷き、一通の封筒を手渡した。紳士――〈レイヴン〉総帥は葉巻の端を切り取った。

「アジトを失ったのは残念だが、別の場所に移ればいいだけだ。役立たずどもを切り捨てるいい機会だったな」

 余裕の表情で封筒内の連絡文を読むなり彼は硬直した。

「イピロス山脈で地震? 秘密炭鉱が落盤で壊滅? まさか……」


 油田獲得計画が頓挫しても〈レイヴン〉安泰の設計図を描けたのは、稀少な大火力石炭の鉱山があったからだ。それを失ったとなると、枯渇した油井にいたずらに金を注ぎ込んだだけになってしまう。

 手を震わせる総帥に、心配そうな声がかけられた。

「大丈夫ですか、お客様」


 側に来たメイドを追い払おうとした〈レイヴン〉総帥は、不意に動きを止めた。小さく呻きながらぐったりと椅子からずり落ちかける。

「ご気分がお悪いのですね、今、病院にお連れしますから」

 かいがいしく彼の世話をするのは茶色の髪を二つ結びにした可憐なメイドだった。配達員に扮した部下に指で合図し、用意させた自動車に運び込ませる。


 自動車が出発するのを見届け、メイド――アシュリー・カニンガムは麻酔針をカフスに隠した。

「まあ、部下を見捨てて自分だけ逃げようとする奴の末路なんて、こんなもんだよね」

 テーブルに置かれたままの葉巻を手に取り、南方大陸産だと確認してからメイドはにっこりと微笑んだ。

「チップありがとうございます、お客様」




 カサアスール付近の入り江で捕縛された〈レイヴン〉構成員たちは、皆無言だった。護送用の大型蒸気車で家畜のように運ばれる屈辱も、これから先に待ち構えている事態に比べれば些細なことだ。

 尋問の末に国家転覆罪にでも問われれば、その先にあるのは極刑だ。彼らは身震いを堪えられなかった。


 その中で一人、ラモン・セスコはじっと時を待っていた。

 ――この道は前にも通った。途中で総帥の手の者が待ち伏せした時のルートだ。今回は警護の数を増やしてるけどな。

 どのあたりで民家が見えなくなるかは承知している。後ろ手に拘束され、仲間と繋がれて座っていたラモンは靴の踵で床を何度も蹴った。


「うるさいぞ」

 カンに障った一人が文句を言った。その答えは首への一撃だった。彼は頸動脈から血を噴き出しながら床に転がった。

「わっ!」

「どうしたんだ!」

 周りの者が騒ぐ中、靴底から飛び出した刃物でロープを切ったラモンが手を前に回し、口内に仕込んだ開錠用具で手錠を外した。他の構成員たちは呆然と彼を眺めた。


「……おい、逃げられるなら何でこいつを殺ったんだ」

 一人が掠れ声で尋ねるた。その答えは彼らに向けて一閃される刃物だった。


 荷台から異様な叫び声がするのに気付いた憲兵が蒸気車を止めさせた。

「今、妙な物音がした」

「気をつけろ」

 銃を構えた彼らは用心深く荷台の扉を開けた。中は凄惨の一言に尽きた。構成員たちが全員血まみれで倒れている。


「……これは…」

 憲兵たちの耳に弱々しいうめき声が聞こえた。

「まだ生きてるのがいるぞ!」

「おい、しっかりしろ!」

 暗褐色の髪の男性が、救いを求めるように手を伸ばしてきた。反射的にそれを掴んだ憲兵は、思いも寄らない力で引き寄せられた。気付けば彼の眉間に銃口がある。さっきまで彼の腰にあった銃だ。どうしてと言葉にする前に憲兵は眉間を打ち抜かれ仰向けに倒れた。


「ファビオ!」

 仲間の憲兵が慌てて銃を向けるが、それより速く男は引き金を引いた。

 乱射が終わった後、蒸気車で生きているのは暗褐色の髪の男――ラモン・セスコひとりになった。彼は憲兵の服に着替えると、車を道から外れさせ、崖から海に落とした。そして、いかにも変事が起きたようにカサアスールへの道を駆け出した。




 アグロセン王国首都エスペランサ。日常に戻ったロッサフエンテ宮殿で、第四王女は侍女からの報告にうろたえた。

「オテル・エクセルサスが引き払われた?」

「はい、王弟殿下ご一行は観艦式からカサアスールに留まり、帰国の準備を進めておられるようです」

「そんな……」


 『グローリー』で告白できなくとも、首都にいる閒はと思っていたのに根底から覆されてしまった。

「帰国されるのはいつなのかしら」

「かなり急いでおられるようで、早ければ明日中にでもとうかがいました」

 長椅子に座り込み、カイエターナは途方に暮れた。

 ――あの方が行ってしまう、ローディンに。

 それだけが頭の中をぐるぐる回り、他のことが考えられない。第四王女は必死で落ち着こうとした。


 ――待って、姉様たちならどうなされるかしら。

 彼の好みの姿で誘惑するのも、重火器で乗り込みを掛けるのも違う気がする。となれば手本にするのは常に冷静な第一王女だ。

「ビアンカ姉様……、そうだ、ウィルタード公爵様は確か…」

 カイエターナは立ち上がった。

「パロマ、至急ウィルタード公爵を訪問したいの。すぐに使いを出して」

「…はい」

 突然のことに驚きつつも、頼れる第一王女に相談するのだろうと侍女は使いの者を呼んだ。


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