63 原因不明の故障
カサアスール近郊の小さな入り江。そこでラモン・セスコは潜水艇の脱出ボートを待っていた。脳内で網状に巡らせた感覚の端にあるデュカキス大公の意識は繋がっている。ローザの使用人の振りをして彼と接触した時に紐付けたものだ。大公の負の感情を増幅させ、皇帝への叛意を煽り立てることはたやすかった。
血統と美貌に恵まれながら自分が侮っている者の下に立つしかない境遇に鬱屈していた者など、少し憎悪を膨らませてやるだけでいくらでも操れる。後はローザに任せて無敵感と万能感に酔わせていればいい。
喉の奥でラモンは笑い声をたてた。入り江の向かいにある崖の上では、カサアスール沖での模擬海戦を見物する者が歓声を上げている。帆船がどうのと言っていたが、もうじき『グローリー』も『インヴィンシブル』もアグロセン艦隊に取り囲まれ攻撃を受けるのだ。撃沈するまで楽しめばいい。
そう思っていたのだが、歓声の後に起こったざわめきにラモンは眉をひそめた。
「おい、今水柱が起きてたよな」
「あれ、爆発か?」
「あのでっかい戦艦ってザハリアスのだよな?」
思わず顔を上げたラモンは、崖上に通じる細い階段を上がった。双眼鏡で覗くと舷側に損傷を受けているのは確かに『スリアンヴォス』だった。
「何故、あの艦が? 奴ら、魚雷もまともに撃てないのか?」
忌々しげに舌打ちしたものの、彼はすぐに感情を切り替えた。
「まあいい、計画は何通りにも立ててある。潜水艇が役に立たないなら次の計画を実行するだけだ」
『スリアンヴォス』には厄災の薔薇と呼ばれたローザがいる。彼女であれば、浪費と女道楽しか能のない大公など片手でひねり潰せる。
「奴にとって皇帝が邪魔者なら、皇帝にとっても同じ事だ。おめでたいことに本人は気付いてないが」
〈レイヴン〉の構成員は、次に起きる『悲劇』をここで見物することに決めた。
潜水艇の司令所は恐慌状態だった。
「どうして『スリアンヴォス』に当てたんだ!」
「仕方ないだろう、まるで分かってたみたいに『エンベスティダ』に避けられたんだぞ!」
「内通者がいる」
艇長は周囲に不審の目を向けた。最も疑わしい者はローディンの青年だが、拘束されて何も出来ないのは全員が目にしている。この場にいない乗組員の誰かだろうかと思い始めた時、あたふたと駆けつけてきた乗員が報告した。
「艇長、監禁していた老人が消えました!」
「消えただと? どうやってあの部屋から出た!」
「それが、床板が剝がされており、そこから脱出したものかと」
潜水艇の最下層に押し込めていた老人が消えた先。そこは動力部に繋がる空間だ。艇長は青ざめたが、どうにか立ち直った。
「年寄り一人で何が出来る。せいぜい機械に挟まれて身動き取れなくなる程度だ」
無理矢理にでも自信を納得させなければ、今後の計画に差し支える。
「こっちはさっさとアグロセンの戦艦に損傷を与えて、こいつを残して脱出艇で逃げるんだ。そうすれば役目は終わりだからな」
その言葉にローディン情報部員アンドルー・イーデンは身を固くした。アグロセンの艦を攻撃した潜水艇にローディン海軍の者が乗ってたと知れたら、どんなことになるか想像が付く。二国間が険悪になる中、分別臭く調停役を名乗り出てくる者が黒幕だ。
艇長ら乗員は危険な任務を終えることしか頭にない。再度魚雷発射ボタンが押されるのに焦りながら、アンドルーは自分を拘束するロープを糸鋸の刃で懸命に切ろうとした。
魚雷発射からしばらくして、集音装置担当員が叫んだ。
「爆発音だ! 『エンベスティダ』の方角!」
「やったな。よし、急速浮上だ。すぐに脱出するぞ!」
安全に脱出できる深度になり、彼らがアンドルーを残して司令所を出ようとした時、床の点検口が突然開いた。そこから顔を出したのは一人の老人だった。
「やっと作業完了だ。もういいぞ、若いの」
船底から這い出たエルマン社の社長は情報部員に合図した。全力でロープを引きちぎったアンドルーが素早く艇長を羽交い締めにし、腰の拳銃を奪って彼の頭に突きつけた。
「動くな!」
そのまま艇長を引きずり、アンドルーはじりじりと後退した。
「爺さん、こっちに。動くなよ、ここで発砲なんかしたらどうなるか分かってるな?」
狭い艇内で銃撃戦などすれば機器類を破壊する上に跳弾で自分が被弾する恐れがある。誰もが指一本動かせなかった。
司令所の扉を抜けると同時にエルマンが外から工具類で封鎖した。
「時間稼ぎくらいにはなるだろ」
「脱出艇はどこにある?」
こめかみに銃口を押しつけると、艇長は震え声で答えた。
「この先、左側のドアだ」
エルマンがドアを開け、ロングボートがあるのを確認した。アンドルーは頷き、艇長の後頭部を銃把で殴った。彼を床に放り出し、情報部員と社長は脱出に取りかかった。
海中で国籍不明の潜水艇を探索していたアグロセン海軍潜水艇も爆発音を確認した。
「『エンベスティダ』の方からです」
「浮上音を捕らえました!」
乗船していた王弟の護衛ロイドは頷いた。これは計画の一環であり、爆発音はメリル主任の発明品である鞄を海中に沈めた箇所から発生したものだ。そして彼らの次の行動は、観艦式のため魚雷を装備してない潜水艇でいかに攻撃をするかだ。
魚雷発射区画で、担当員が護衛に説明した。
「火薬はあるが信管は付いてない。これを撃ったところで当たっても爆発などしないぞ」
「分かっている」
ロイドが取り出したのは懐中時計だった。蓋を回し、火薬を詰めた弾頭に取り付ける。
「起爆装置だ。爆発は一分後」
「先に言え!」
大慌てで担当員は発射装置に懐中時計付き火薬を装填した。把握した敵潜水艇の位置に向け、緊急発射する。
補足された潜水艇では、怒り狂った乗員が司令所の扉を破壊し、狭い通路になだれ込んでいた。
「艇長!」
部下に支えられ、後頭部を押さえながらも艇長は立ち上がった。
「あのクソ野郎、ボートを乗っ取りやがった……」
充血した目で彼は命令した。潜水艇に脱出艇射出の振動が響くと、艇内は殺気立った。
「魚雷用意! 奴らを葬ってから攻撃の責任をなすりつけるんだ!」
逆上した乗員たちは魚雷発射準備に取りかかった。
その時、何かが潜水艇に当たる音がした。
「何だ?」
「石でも落ちてきたのか?」
大した衝撃でもないため彼らは無視しようとした。
「魚雷発…!!!」
艇長の命令は潜水艇を大きく揺るがす振動と爆音に途切れた。
「暴発か?」
「違う、攻撃だ!」
「緊急浮上!」
「速くハッチに!」
司令所は騒然となった。発射装置の原因不明の故障で、撃ったはずの魚雷が発射口に引っかかったままの状態を誰も確認すらしなかった。無理な操縦で揺さぶられた魚雷は船体に打ち付けられ、信管が作動する。
潜水艇の前部が吹き飛んだ。
「命中確認!」
爆音と水柱が報告に続いた。その後、残骸と備品が次々と浮かび上がる。中には必死で泳ぐ人の姿も混じっていた。
混乱する海面にアグロセン海軍の潜水艇が浮上し、黙々と救助作業に取りかかる。そして少し離れた位置に小さな脱出艇が浮かんだ。ハッチから上半身を出した者が手を振った。
「男性二人、見たところ怪我はない模様」
その報告を受け、ローディン王弟ジョンは大きく息をついた。
「救助は向こうに任せよう」
『エンベスティダ』に信号を送り了解をもらうと、王弟は『スリアンヴォス』に意識を向けた。
「あっちは揉めているようだが」
デュカキス大公が何やらわめき散らしているのが双眼鏡越しでも分かった。彼は喪服姿のローザの方を注視した。
「何を企んでいる」
双眼鏡の中で、大公が彼女に詰め寄った。ローザは落ち着いているように見えた。腕に猫を抱えたまま、大公を宥めている。
ジョンは再度『エンベスティダ』と連絡を取った。アグロセンの戦艦とローディンの帆船は、ザハリアスの大型戦艦を挟むような位置に移動した。




