62 性癖を追加
「……あの、岩礁の陰、こちらに何かを投げつけようとしている」
プエンテックの若手社員の言葉を聞き、艦長が瞬時に回避運動を指示した。
「取り舵一杯!」
操舵手が大きな舵輪を力一杯回す。隣の戦艦も回頭を始めた。二隻の間を何かがすり抜けた。気づいた者が目で追ううち、それが行く先にあった岩場が砕け散った。
「何だ!」
「何が起きたんだ!」
周囲が騒ぎ立てる中、ローディン王弟は沈黙し続けた。側に寄り添うような気配を感じ、振り向くとアグロセンの第四王女が立っていた。
「あれが、ジョン様がおっしゃっていた魚雷、ですか?」
「のようです。さすがに人の手でどうこうできる物ではないですね」
「銃で撃っても駄目でしょうか?」
「補足も困難な代物ですよ。弾丸程度では傷も付きませんし」
「では、逃げるしかないのですか?」
悔しそうなカイエターナに、ジョンは小さく笑った。
「海戦は結局の所、生き残った船が多い方が勝ちですからね」
王弟に言われ、王女は『グローリー』の甲板を振り返った。四本マストにはためく帆の美しさに一瞬見とれ、この船が血なまぐさい激戦をくぐり抜けてきたのだと思いを巡らす。
「…そうですわね。ここまで生き延びた船を傷つけたくありませんわ」
「同感ですよ」
尚も潜水艇を追尾しようとするミゲルを見ながらジョンは答えた。
「戦艦の主砲は海中を攻撃するように出来ていない。これからは対潜水艇用の兵器開発が必要になるな」
呟く彼の元に、『エンベスティダ』からの信号が報告された。
「海中に不審な音が発生しているだと?」
『グローリー』艦長ダグラス少佐が怪訝そうな顔をした。思いも寄らない展開に、ジョンは逡巡した。
「アシュリー、海中に『遠話』は届くか?」
王弟の奇抜な質問に、情報部の先輩は腕組みをした。
「うーん、大体の位置が掴めたら何とかなるかなあ。不審な音って何だろ?」
視線を向けられた連絡員が信号解読文を読み上げた。
「電信用の符丁のようです。『エルマン』と」
「コンラト・エルマンか? 裁判所から消えた社長の」
帆船の甲板は新たな情報に混乱を来していた。
異常事態は潜水艇内でも認識された。
「何の音だ? これは」
海に潜む船にとって、位置を知られることは撃沈に直結する。他の潜水艇の集音装置を警戒してスクリューを止めていたのに無駄になってしまう。
「船底を何かが叩いているようです!」
司令所で船長に報告する乗員もうろたえ気味だった。船長は背後で拘束されたローディンの情報部員をちらりと見て冷静になろうとした。
「ふん、魚雷を使い果たせばすぐに乗り捨てる計画だ。少し早めればいいだけだ」
それを聞き、指揮所に連行されたアンドルー・イーデンはエルマン社長の見解の正しさを確信した。そして、彼の言葉に従い部屋の前で転んだように装った時、ドア下のわずかな隙間から差し出された糸鋸の刃を握りしめた。
その頃、コンラト・エルマンを監禁していた部屋に入った乗組員は目を疑った。床が剝がされ、老社長は姿を消していたのだ。
「いないぞ!」
「どこに行ったんだ!?」
船内の混乱をよそに、エルマン社長は配管が複雑に絡み合う駆動部を這っていた。
「やれやれ、腹がつかえて上手く進まん。ここを出たら少し運動するか…」
散歩でもするように呑気にぼやきつつ、彼はスパナで重要な結合部のボルトを緩めにかかった。その間にもピストンを利用して船底を叩き続ける装置が延々と彼の名を発信し続けた。
鼻歌交じりで作業をしていたエルマンが、ふと手を止めた。誰もいないはずなのに声がしたのだ。
『エルマン社長、『グローリー』です』
「……これは、噂に聞くローディン貴族の天賦か?」
『現在その潜水艇を追尾中。攻撃手順は…』
遠話で説明され、社長はにやりと笑った。
「この年でこんな経験が出来るとはな」
更に熱心に破壊工作に励むエルマンだった。
「伝わったかどうかは半々だね」
疲労の色を滲ませながらアシュリーが笑った。
「ボクとしては思わぬ使い方が開眼できてよしとするか」
これまで存在を認識した相手にしか使えなかった『遠話』が、限定的であるとはしてもより広範囲で使えるのは確かな強みだ。
「敵側とコンタクトが取れたのは大きいぞ。向こうの行動が筒抜けになるからな」
ジョンの言葉が終わらないうちに、エルマンから符丁が来た。
「魚雷発射です!」
水兵が報告すると同時に帆船は回避行動に移った。僚艦となった『エンベスティダ』も同様だ。
またしても魚雷は二隻の間を通っていった。前回と違うのは、進む先にあるのが岩礁ではなく高みの見物を決め込んでいたザハリアスの戦艦『スリアンヴォス』だったことだ。
「回避するよう伝えろ!」
発光信号を出したが既に遅かった。『スリアンヴォス』後部で大きな水柱が上がった。
揺らぐ戦艦の甲板で、デュカキス大公は立っているのがやっとだった。
「何事だ!?」
「攻撃を受けました!」
「被害を報告しろ!」
乗員が慌ただしく行き交う中、喪服のローザは蒼白になっていた。
「まさか…、沈むのは『エンベスティダ』のはずなのに」
腕に抱いていた白い猫は驚いてどこかに消えてしまった。舌打ちしながら、ローザは猫釣りの餌をとりだし優しげに呼びかけた。
「おいで、マルガリテース、何も怖くないわよ」
やがて金色の目が銃座の陰から覗き、白猫が鼻をひくひくさせながら近寄ってきた。餌をやりながら猫を宥め、ローザは再び抱き上げた。
戦艦の甲板では、大公と艦長の下に、続々と報告がもたらされた。
「左舷に魚雷が命中しました」
「隔壁で浸水は最小限に抑えられています」
「舵とスクリューは無傷です」
艦長が盛大な溜め息をついた。
「どうやら操船に支障はなさそうだな。すぐにでも港に戻れば」
「……駄目だ」
大公の地を這うような声に艦長たちは固まった。
「攻撃されたのだぞ! 反撃しなくてどうする!」
「しかし殿下、魚雷となれば敵は潜水艇です。補足するのすら困難かと」
「貴様、それでも帝国海軍か!」
逆上する大公を持て余し、『スリアンヴォス』は更に混乱を深めた。
ザハリアスの戦艦を双眼鏡で観察し、大事に至らなそうだとローディン王弟は息をついた。
「どうやら致命傷ではなかったようだな」
「はい、身代わりにしてしまったようで多少心は痛みますが」
やたらと『多少』を強調しながら艦長が同意した。あの戦艦の乗員が『グローリー』を飾り物だの無益な骨董品だのと嘲っていたのを散々耳にしてきたのだ。
水兵から双眼鏡を借りてザハリアスの巨大戦艦を見ていたカイエターナが驚きの声を上げた。
「まあ、あのザハリアスのおイモも黒ずんでいますわ!」
「イモ?」
以前にも聞いた単語だと、ジョンは聞き返した。第四王女は誤魔化し笑いをしながら説明した。
「あの、妙な振る舞いをしたカルバーソ公子と同じ黒いもやが包んでいますの。この船で無礼を働いた者が出していたのと同じ」
――ラモン・セスコの? ザハリアスの大公を支配下に置いているのか?
よく観察しようと双眼鏡を覗いたジョンは、視界に入った別の人物に息を呑んだ。戦艦に不似合いな喪服の女性。風に吹かれたヴェールから覗いた顔は手配中の者だ。
「カラミティ・ローザ!」
王弟のただならぬ様子に、カイエターナも双眼鏡で確認した。
――喪服の女の人がいるわ。…まさか、ジョンは様はメイドだけでなく未亡人もお好みなの?
勝手に性癖を追加されたことを知らないジョンは、ザハリアス帝国の諜報員が『スリアンヴォス』に乗船している理由を推察した。
――デュカキス大公の懐に入ったのか? 皇帝の従兄弟に?
かの帝国の勢力情勢を頭に浮かべ、ローディン王弟は納得した。そして、艦長に頼み事をした。




