60 ヨーホー!!
観艦式で行われる模擬海戦は、誤射で港に被害が及ばないよう沖で開始される。受閲艦隊の戦艦級が、敵艦に見立てたダミーの艦船に砲撃するのだ。
列外のゲスト艦はデモンストレーションの砲撃をすることになっていた。無論、空砲を撃つだけなのだが、戦艦の主砲となれば音だけでも凄まじい。
さすがに一世紀前の木造船である『グローリー』はそれに加わらない。その代わりにかつての主流だった敵艦急襲、斬り込みを見せる予定だ。最初、同じローディン海軍の『インヴィンシブル』が相手になるはずだった。それが噂を聞きつけたアグロセン海軍の各艦が自薦他薦で名乗りを上げ、結局旗艦『エンベスティダ』が相手役を勝ち取った。
艦長デ・ソーサ大佐は上機嫌で『グローリー』号艦長と固い握手を交わし、その写真はアグロセン国内各紙のトップを飾った。
「ラモン・セスコ、ひいては〈レイヴン〉の目論見を阻止するには潜水艇が不可欠。でも、今の我々にあるのは新旧戦艦二隻のみだ」
「そうだね」
ローディン王弟ジョンの言葉に、アシュリーがその他一同を代表する形で肯定した。彼は淡々と計画を話した。
「斬り込み相手が『エンベスティダ』なのは幸運だ。向こうに乗り込んで艦長に談判し、潜水艇の使用許可をもぎ取る」
「……殿下」
無茶だという思いを込めて、副官のジェフリーが唸るように言った。
「他に方法があるか? いつ、どこから攻撃が来るか分からないのに」
言いながら、ジョンは斬り込み組と同じシャツとズボン姿になった。部屋の隅で彼の勇姿に胸を高鳴らせていたカイエターナは、思わず彼の前に出た。
「私もご一緒します!」
全員がぎょっとするのも構わず、王女は侍女に着替えを言いつけた。
「動きやすい服を用意してちょうだい」
「しかし、姫様」
「さすがにジョン様に運んでいただく訳にはいかないでしょう? それに、爺の顔が利くのは陸軍だけだし」
その言葉に、東部戦線の軍神も苦笑するほかなかった。
確かに、他国の王族にいきなり軍艦の貸出を求められるよりは、彼女を伴う方が成功率が上がるだろう。
そう計算したのか、意外な所から申し出があった。
「なら、ボクの服をお貸ししますよ。背丈はそんなに違わないようだし」
にこやかにアシュリーが提案したのだ。一瞬厳しい視線を元ホテルメイドに向けたカイエターナは、どうにか笑顔を作ってみせた。
「まあ、ご親切に」
「どういたしまして、王女殿下」
笑いを堪える先輩情報部員に、気味悪そうにジョンが尋ねた。
「どうした?」
「いや、ボクがキミに接近するたびに殺意がビシビシ飛んでくるのが可笑しくて」
意味が分からないでいる王弟の肩をアシュリーは何度も叩き、カイエターナは毛を逆立てた猫状態だった。
やや荒い足取りで王女一行が別室に移動すると、王弟たちは一様に息を吐き出した。
「で、他に誰が同行しますか?」
諦めたようにジェフリーが確認した。護衛のロイドは既に身支度をすませていつでも王弟について行ける状態だ。
「ロイドだけでいい。大勢引きつれたりすれば警戒されるし、潜水艇に乗り込む場合にも機能解読の天賦が役に立つからな」
副官は頷き、同僚に王弟のことを頼んだ。
士官室を出たジョンたちは、着替えを終えたカイエターナと合流した。アシュリーの訓練服を借りた彼女は凜々しい女戦士のようだった。下ろした黒髪をどうしようかと侍女が思案するのを見て、ジョンは護衛を振り向いた。
「例の物を」
寡黙なロイド・スコットは小さな包みを取り出した。それを王弟に手渡す。
「王女殿下、宮殿で貸していただいたハンカチのお礼です」
カイエターナは眼を瞠った。パロマも同様だ。
「何て素晴らしいレースでしょう、姫様。しかもこの波模様は見たことのないモチーフです」
どう見ても職人級の仕事だった。
――一体、誰がジョン様にこれを……。
彼女らの動揺を専門店のタグがないせいと誤解し、王弟はあっさりと作者を明かした。
「彼のお手製です」
女性二人は固まった。ジョンの背後に控えた護衛が頷いている。先に立ち直ったパロマがハンカチで王女の髪を結び、邪魔にならないようにした。
準備が出来た彼らを士官が呼びに来た。
「殿下、始まります」
「分かった。王女殿下、こちらに」
帆船の甲板に出た王弟は、連れの王女のおかげでいつにも増して人の目に留まらなかった。誰もが美貌の王女に見とれ、同伴している自国の王弟を意識から素通りさせる様子はいっそ愉快なほどだ。
「シュラウドは太い綱のみに足を掛けて登ってください」
王弟の忠告に従って王女はバランス良く網目状の綱を昇り、ジョンやロイドと供にフォアマストの大横帆の帆桁に立った。
帆船時代の戦闘は砲撃戦の他に敵艦に接舷して斬り込む荒技もあった。しかし、この模擬海戦で再現するのは一苦労だ。鋼鉄の軍艦相手では衝突など出来ないし、そもそも甲板の高さが違う。そのため最も敏捷な水平を選抜してマストからロープを使って乗り移る離れ技を披露するのだ。
高いマストも、上下左右に揺れる甲板から相手の艦にロープ一本で飛ぶ危険性も、カイエターナは全く苦にしなかった。
「爺の山岳訓練を思い出しますわ。でも木は動かないから、こちらの方が難しそう」
「…そうですか」
王女の真面目な感想に、アグロセン王家の教育はどうなっているのかという疑問が浮かんだが、ジョンは意識の奥に追いやった。今は無関係なことで気を散らせいてる場合ではない。
フォアマストの見張り台からロープが垂らされる。体重を掛けてしっかりとくくりつけられていることを確認し、水兵たちは強く握る。
対するアグロセンの戦艦『エンベスティダ』は甲板を広く開け、水兵たちが着艦しやすいように配慮している。舷側には落下防止用の網まで張られるほどだ。沿岸の見物人には分からないだろうが。
帆船が戦艦に接近する。潮の流れと風向きを正確に読み、慎重な操艦技術が問われる操船だ。
絶妙な距離に接近すると、マストから合図が来た。
「今だ!」
水兵たちが一斉にかけ声を上げ、ロープで仮想敵艦に飛び乗っていった。
「ヨーホー!!」
彼らに混じって、ローディン王弟とアグロセンの第四王女も帆桁を蹴った。船が揺れる関係でロープの動きはまっすぐではなかったが、充分な余裕を持って着地できた。
海岸で見物する市民たちはの興奮は高まる一方だった。
「見たかよ、今の!」
「ロープで戦艦に飛んでったぜ!」
「すげえ!」
甲板に降り立った水兵たちは拍手で迎えられた。戦艦『エンベスティダ』の乗員と握手をして、彼らは模造刀を抜くと斬り合いを開始した。双方、それなりに真剣な剣技を見せる中、ジョンとカイエターナは艦長を探した。
「デ・ソーサ艦長は?」
突然現れた美女と地味な水平に問われた乗員は困惑したが、彼が答えるより先に驚きの声が上がった。
「王女殿下?」
艦長服を着たデ・ソーサ大佐だった。カイエターナはジョンの腕を取り、彼らに紹介した。
「こちらはローディンの王弟殿下です、艦長」
「は? あ、いや、失礼しました!」
「お気になさらず。突然の乗船をお許しください」
王弟が丁寧に詫びると、艦長はようやく落ち着いてきたようだった。
「しかし、どうしてこのような危険なことを?」
「実は……」
甲板の隅で、これまでの経緯をジョンは艦長に説明した。デ・ソーサの顔は次第に怒りに染まってきた。
「国王陛下もおられる式典で舐めた真似を……」
「持ち込まれた潜水艇は他国のものでしょう。アグロセンの潜水艇で位置を割り出せば拿捕も攻撃も可能なのですが」
「分かりました。副長、潜水艇群に信号を! 最も近い艇を我が艦に来させろ!」
模擬海戦の裏側で、極秘裏の指令が迅速に遂行された。




