55 国際観艦式
アグロセン王国海軍観艦式。当日は抜けるような青空となった。
軍港があるカサアスールは特別観覧席が設営され、招待された各国の王族高官などが海風に吹かれながら式典を待っていた。
招待されていない一般市民は港を見渡せる丘や教会の尖塔などに陣取り、海軍の主力艦隊を一目見ようと騒いでいる。
そのため、カサアスールを一望できる場所は人でごった返していた。中には丘の木に登る者もいたが、その眺望は彼らを満足させて有り余るものだった。
「……すっげえ、艦隊が勢揃いしてるぞ!」
眼下の湾にはアグロセン海軍が誇る常備艦隊――軍艦53隻、駆逐艦45隻、水雷艇9隻、潜水艇5隻の計112隻が6列になって錨を降ろしていた。国王ファドリケが乗艦する御召艦『ガナドール』が4隻の供奉艦を従え悠然と浮かぶ。港全体に整列した艦隊に人々は圧倒された。
「あっちが外国の戦艦だろ」
「今年は十年ぶりの国際観艦式だからな。リーリオニア、ロウィニア、ローディン、ザハリアスまで参加してるんだぞ」
情報通が得意げに周囲の者に解説する。外国から参加した艦船は隊列を組むことはなくアグロセン国旗を掲揚し、控えめに出番を待っている。人々は自国の戦艦と比べてああだこうだと批評に忙しかった。
「一番でっかいのがザハリアスの戦艦『スリアンヴォス』だろ」
「あそこの船ってみんなあんなに大きいのかよ」
「リーリオニアは二隻来てるんだ。『ヴァンクール』と『ドミナシオン』」
「ローディンも二隻だぞ。『インヴィンシブル』と……」
「あの帆船だろ!」
最新鋭戦艦と最古の戦艦を並べて披露するのが、いかにも海洋国家らしいと、彼らは興奮気味に語った。
観艦式を楽しむ人々とはうって変わった様子の部屋がカサアスールの一角にあった。
窓もなく壁も床も赤一色の部屋には大きなテーブルが置かれ、数人の男たちが座っていた。彼らの服装は黒一色。血のような赤い部屋に不気味なアクセントとなっていた。
上位席に座る男性の上半身はカーテンで見えない。常に膝に乗せている純白の猫が代わりのようにテーブルに着席している者を睥睨している。
一人が沈黙に耐えきれなくなったように咳払いをした。
「ヴァルヴェルデのレース以降、アコスタ社を始めとした蒸気自動車メーカーは受注が激減しています。石油燃料車の製造に切り替えない限り、年内にも多くの会社が倒産の憂き目を見るかと…」
予想できたことだが、現実となると彼らの顔は暗かった。報告者は言いにくそうに次の報告をした。
「更に、マルケス氏が自宅の火災事故で死亡したことから、他の石油会社がラビーニャの試掘許可を取り付けています。あの地は親族争議の後に原告が姿を消してしまったことから、正当な所有者を裁判所が認めるまでは国の預り地となる模様で、産業省が実効支配に取りかかっています」
ザハリアスの油田が先細りなことから、一転して西方大陸の開発に目を向けたようだ。これもマルケス社を隠れ蓑に〈レイヴン〉が権益を独占するはずの事業だった。総帥は苛々とテーブルを指先で叩いた。爪が立てる小さな音にびくつきながら、別の者が報告した。
「尚、石油精製技術の書類はマルケス邸焼失時に失われたものと思われます。ローザの消息は不明」
「あの女、特許目当てに書類を持ち出して逃亡したのではあるまいな」
呟く間にも、総帥の苛立ちは収まらなかった。猫が不機嫌そうに鳴き、それを宥めるうちに彼は機嫌を直したようだ。
「まあ、いい。枯渇しかけたザハリアスの油田地帯にある山はイピロス炭の鉱脈に繋がっていることが判明した。自動車で敗北したとしても蒸気機関は鉄道に船にと需要はまだまだある。炭鉱の極秘採掘は進んでいるだろうな」
「はい、順調に鉱道を延ばしております」
総帥は満足そうな含み笑いを漏らした。そして、大鴉の翼に覆われた世界地図を指さした。
「我々の邪魔をしてくれたローディンの若造どもに思い知らせてやる。こうるさく嗅ぎ回っていた奴を生かしておいたのもそのためだからな。いずれ全ての大陸の人間が知ることになる。世界を動かすのはもはや国などではなく、国も大陸をも超え利益によって繋がる組織なのだと」
赤い部屋の中で〈レイヴン〉の構成員たちは一斉に立ち上がり、総帥に敬礼した。
狭い部屋で男はみじろいだ。彼が監禁されているのは人ひとりがようやく生きていられる最低限の環境だ。最初は闇雲に脱出手段を探していた彼は、孤独に苛まれていった。幸運と言うべきか、壁の向こうには同じ境遇の者がいた。
男は壁を小さく叩いた。
「生きてるか? 爺さん」
しばらくして壁の向こうから不機嫌な声が返ってきた。
「コンラドだ。ローディンでは礼儀を教えんのか?」
「あんたが俺の名をちゃんと呼ばないからだろ」
「呼んでるだろうが、アンドレス」
男性――アンドルー・イーデンは溜め息をついた。
「くそっ、裁判所でヘマなんかしなけりゃ今頃は…」
掴んだ大きな情報で任務を成功させ、一風変わった上司にも認められるはずだった。壁の向こうの老人が枯れた笑い声をたてた。
「儂も人のことは言えんな。裁判所でいきなり門外不出のはずのセルモーターの設計図を見せられて逆上してこのザマだからな」
「社長は不意打ちだったんだろ。俺なんか任務でヘマしたんだぜ」
「若いモンはまだ巻き返せるさ」
立ち上がるのも難しい空間で、情報部員は薄暗い周囲を眺めた。
「ここ、最初は絶対船だと思ったんだけど、何でいきなり駆動系の振動も波も感じなくなったんだろ」
「さあな、理由ならいくつか思いつくんだが」
壁の向こうからの声は、がさごそという雑音混じりだった。アンドルーは不思議そうに尋ねた。
「何やってんだ?」
「ただの嫌がらせだよ。技術者を舐めた奴らへのな」
コンラド・エルマンの声は途絶えたが、妙な音は尚も続いた。
国際観艦式の出席者はそれぞれ馬車や自動車で港に赴いた。港湾保安部前に作られた観覧席は次第に人で埋まっていった。
国王ファドリケは既に御召艦『ガナドール』に乗船し、受閲艦のパレードを待っている。第一列先頭の戦艦『エンベスティダ』は艦隊旗艦に相応しい偉容を観覧する者に見つけていた。
国際観艦式の特徴は、国外から来訪した艦船も参加することだ。列外に控えた外国艦船には陪観艦船もあるが、アグロセン海軍と供にパレードに加わる軍艦も多かった。
ローディンの新鋭戦艦『インヴィンシブル』も出番を待つ艦船の一つだった。艦長ドナヒュー大佐は不思議そうに副長を振り向いた。
「王弟殿下は乗艦して参加されると聞いたが」
「『グローリー』の方ではないでしょうか」
「そうか」
艦長はあっさりと納得し、アグロセン海軍の陣容の観察に戻った。一方の『グローリー』でも全く同じ会話がされていることを、彼は知るよしもなかった。
厳重警戒の港の中、圧倒されたようにきょろきょろとあちこちを見回しながら歩く者がいた。
「こちらですよ、シニョール・ベセラ」
名を呼ばれ、プエンテック社の若手社員ミゲル・ベセラは慌てて同行者に追いついた。
「すみません、観艦式を見られるなんて思ってなかったので…」
照れくさそうにお上りさん丸出しの言い訳をする彼に、ローディン大使館三等理事官ビル・サイアーズは印象の薄い笑顔を見せた。
「ヴァルヴェルデでは案内をしていただいたのでお礼に、ということですよ」
「いえ、人が多くてあまりお役に立っていなかったのに」
恐縮するミゲルは、妙な縁で知り合った大使館員に申し訳なさそうに言った。彼らは人が賑わう港湾保安部から少し離れた埠頭に来ていた。標識には「アナーデ埠頭」と書かれている。




