53 厄災の薔薇
『ラビーニャに地下資源か?』
『裁判での判決無効の可能性?』
派手な見出しが躍る新聞を、マルケス社社長ウーゴ・マルケスは叩き付けるように置いた。
「これであの土地の権利が宙に浮くかもしれない…」
上手くいけば大油田を掘り当てられたかもしれなかったのにと、彼の怒りは高まるばかりだった。
強欲な相続人たちの裏をかき、不毛の荒れ地に隠れた金鉱にも等しい資源を手に入れられたのにと思うと頭をかきむしりたくなってくる。マルケスは必死で呼吸を整えた。
彼のデスクには多くの手紙類が殺到している。ラビーニャの油田を当てにして融資を取り付けた金融機関や関連会社からのものだ。投資から手を引くため返済を要求するものだと読まなくても分かる。
「くそっ、せっかく石油精製過程で船舶にも使える燃料が作れると分かったのに…」
マルケスは裏口から会社を出た。既に自宅には取り立て人が押しかけているようだ。ほとぼりが冷めるまでどこかに潜伏しようと、彼は自分の車に乗り込んだ。
「カサアスールへ」
運転手に告げたが答えがない。苛立ちのままに、マルケスは運転手を怒鳴りつけた。
「何をしている、さっさと出せ!」
ちらりと後部席を振り向いた運転手は見覚えのない男性だった。愕然とするマルケスに、横からのんびりした声がかけられた。
「大声を出さなくても彼は運転してくれますよ。行き先は少し違いますが」
眼鏡をかけた地味な男性がいつの間にか同乗していたのだ。驚きに声も出ないマルケスの隣で、大使館員ビル・サイアーズはのんびりと脚を組んだ。
「少しお話しするだけですよ、セニョール・ウーゴ・マルケス。いや、ユリシーズ・マルコシアス」
ザハリアスでの名を呼ばれ、マルケスの顔色が変わった。のほほんと、天気の話でもするようにビル・サイアーズは追い込みをかけた。
「ローザはどこにいる? あの女と手を組んだのは諜報活動のためか? それとも裏で新産業時代に欠かせない資源を牛耳るのが狙いか?」
マルケスはわなわなと震え始めた。それは、一代で成功を遂げた実業家とは別人のようなうろたえぶりだった。
「ロシータ…ローザはあっちから近づいてきたんだ。上流階級に顔が利くし、贅沢さえさせれば貴重な情報をくれるから……」
「自分がどんな沼に首まで使っているか分からないようだな」
シガレットケースを取り出し、ビル・サイアーズは質問した。
「カサアスールに何がある」
マルケスの視線が揺らいだ。答えやすいように三等理事官は質問を続けた。
「重要な物か、それとも人か」
二番目の質問に、社長の発汗量が明らかに増えた。
「人か。協力者か、これから蹴落とすライバルか。ああ、〈レイヴン〉の人間と言うこともあるか」
思わずマルケスは顔を上げ隣の人物を見た。これと言って特徴のない男性は煙草に火を付けた。
「〈レイヴン〉での役目は何だ? カサアスールの用件はザハリアスと大鴉のどちらのためのものだ?」
「それは……」
尚もためらうマルケスに溜め息をつき、ビル・サイアーズは運転手に合図をした。
「どうやらセニョール・マルケスはここで降りたいようだ」
解放されるのかと思わぬ幸運に目を輝かせたマルケス社の社長は、その場所に気付き凍り付いた。
彼らの車はザハリアス帝国の大使館前に停まっていたのだ。事も無げにビル・サイアーズは告げた。
「降りないなら引きずり下ろす。勿論、後でローディン大使館からザハリアス側に詫びを入れておくから心配は無用だ」
「やめてくれ! そんなことをされたら私は強制送還されて監獄行きだ!」
他国との内通を疑われる。それは帝国では死刑宣告に等しい。冷たい視線を投げかけていた大使館員は、人畜無害な笑顔になった。
「話す気になりましたか?」
がくりと肩を落とし、マルケスはぼそぼそと答え始めた。
「カサアスールの港で『荷物』を預かれと言われた。中身を詮索するなとも」
「その『荷物』の置き場所は?」
「アナーデ埠頭、第五バース」
「船か…」
ザハリアスで採掘した石油を運搬する船なのだろう。乗組員がよく入れ替わるなら物でも人でも隠すのにうってつけだ。
背中を丸めるマルケスは身体がしぼんでしまったように見えた。ビル・サイアーズは運転手に指示した。
「自宅に送って差し上げろ」
「了解」
自動車はザハリアス帝国の大使館前から走り出した。
豪華な屋敷に着いてもマルケスの顔色は戻らないままだった。
「どうぞ、約束どおりお届けしましたよ」
三等理事官はドアを開けて豪邸の主が帰還するのを手伝った。のろのろと玄関へと歩く社長に追い打ちをかけるのを忘れない。
「また、詳しくお話を伺います。セニョール・マルケス」
足を止め、忌々しそうに唸るとウーゴ・マルケスは屋敷内に入り乱暴に玄関を閉めた。
「明日は夜逃げしているかも知れませんよ」
運転手に扮したロイドが心配そうに言ったが、ビル・サイアーズは首を振った。
「僕が動いて見せたんだ、何重もの監視が付いているよ」
彼らがマルケス邸を去ろうとした瞬間、轟音と衝撃が背後から襲ってきた。地面に伏せた二人は、悪趣味であっても豪華だった屋敷が炎に包まれるのに愕然とした。
「大丈夫ですか、殿下」
「ああ、耳鳴りがする程度だ。それより屋敷の者は?」
火を避けながら後退した彼らは怪我人が脱出した時に備えたが、人影は見られなかった。ビル・サイアーズは苦々しく呟いた。
「使えないと判断したらこれか、『厄災の薔薇』」
野次馬が集まる前に二人は待機させていた車に乗り込み、燃えるマルケス邸を後にした。
「将軍、例の大使館員が立ち寄った屋敷が火災を起こしました」
ロッサフエンテ宮殿の警備部隊詰め所。部下の報告にホルヘ・カランサは白い髭を震わせた。
「火災だと? どこだ?」
「実業家のウーゴ・マルケス氏の邸宅です」
「それで、奴は?」
眼光鋭く詰問され、若い部下は直立不動で必死に声を張り上げた。
「騒ぎに乗じて逃走した模様です」
将軍は鼻息荒く腕組みした。
「先日の高等法院といい、まるで厄災を引きつれているようだな」
しばらく考えこんだ後、カランサ将軍は命令を下した。
「足跡を辿れ、姫様の大事な王弟殿下に危害を加えるようなら容赦せんぞ」
こうしてローディン大使館の三等理事官ビル・サイアーズは、本人が知らぬ間に東部戦線の軍神に危険人物認定されたのだった。
煤まみれになって帰ってきた王弟ジョンとその護衛ロイドを、オテル・エクセルサスで通信役をしていたアシュリー・カニンガムが怪訝そうに迎えた。
「どうしたの?」
「マルケスが死んだ」
ジョンの返答は極めて完結だった。さすがに目を瞠るアシュリーは、すぐに原因を推察した。
「ザハリアスか〈レイヴン〉にでも消された?」
「カラミティ・ローザの姿が見えなかった。こっちが奴らの正体を突き止めたと知って、邪魔者を切り捨てて逃げたようだ」
「口封じも兼ねたんだね」
小さく頷くと、ジョンは煙臭い服を着替えた。
彼が作戦室に戻ってきて最初に質問したのは、カサアスールの港のことだった。
「アナーデ埠頭は捜索したのか?」
「真っ先に従兄弟の部隊に連絡したけど、五番バースにそれらしき船はなかったよ。他の埠頭も捜索させてる」
「あの状況で嘘をつくとは思えないが」
ウーゴ・マルケスはアグロセン大使館の前でローディン関係者が乗る車から降ろされるのを心底恐れていた。その場しのぎの嘘などつけばどんな報復を受けるかの計算くらいはしたはずだ。
ローディン海軍情報部員たちは、せっかく掴んだ手がかりの消失に落胆を堪えた。




