50 台無し
遠ざけられた王家の車にも爆発の音と衝撃は届いた。後部席で飛び上がった侍女のパロマは、第四王女に退避を進言した。
「姫様、どうやらあちらは何か事件に巻き込まれているようですし、カサル・アギーラに戻られては…」
カイエターナはためらうことなくドアを開けた。
「あなたたちはここから動かないで。おいで、チキティート」
忠実な愛犬のみを連れて、王女はそっとローディン王弟一行がいる場所に近づいた。
襲撃者たちは燃える車から命からがら脱出した。それを副官のジェフリーと護衛のロイドが迅速に身柄確保していく。
最後の一人は焦げた服を脱ぎ捨てながら這うように車から離れ、悪態をついた。
「くそっ、何でこんな事に…」
「ローディン語だな」
掛けられた言葉に振り向くと、これと言った特徴がなく印象の薄い男性が立っていた。男は顔色を変えた。
「……王弟殿下…」
ジョンは意外そうな表情になった。
「なるほど、僕の顔を覚えさせられたのか。苦労しただろう」
穏やかな笑顔で彼は上着の中から拳銃を取り出した。アグロセン王家の車をちらりと見て消音装置を取り付ける。
「君の雇い主を教えてくれ」
銃を向けられても男は押し黙った。ジョンは無表情に銃口を下に向けた。くぐもった音の直後に男は絶叫した。その左手の甲を弾丸が貫通していた。
素早く彼の口にハンカチを突っ込み、ジョンは質問を続けた。
「組織か家か、言わなければ次は指を飛ばす」
血まみれの手を庇い、必死で頷く男の口から布を取り去ると王弟は回答を待った。
「……〈レイヴン〉。国を超えた組織だ」
「ここを探られたくない理由は?」
「た、ただ言われただけで…」
「最新式の車まで与えられてその理由は通らないだろう」
焦げた上着を拾い上げ、内側のテイラー名を見て王弟は苦笑した。
「身元を示す物を身につけないのは基本中の基本なのだが。キャメロットに店舗があるテイラーだな。これを傘下にしているのは……」
それを聞き、男の肩が揺れた。ジョンは容赦なく畳みかけた。
「ウォータールー侯爵家」
「違う! 我々は〈レイヴン〉の」
「侯爵家がその他国籍組織とやらに関わっているなら矛盾はないだろう」
追求された男は俯くのみだった。更に問い詰めようとしたジョンは、まだ燃え続けるセグラの陰に人の気配を感じ、咄嗟に銃を向けた。
「出てこい」
足音は小さく、犬の唸り声も聞こえる。まさかと思う彼の前に姿を現したのはアグロセンの第四王女だった。
「ジョン様、私……」
彼が危ない目に遇っていないか心配でやってきた王女は、予想もしない状況に立ちすくんでいたのだ。ローディン王弟は溜め息交じりに重から消音装置を外して上着の中に収めた。
「これはローディン国内の問題ですよ、王女殿下」
「でも、ウォータールー侯爵は王太后陛下の…」
彼の母親の実家だという知識はカイエターナにもあった。これでは祖父が孫の命を狙ったことになってしまう。
狙われた本人は彼女より遙かに淡々としていた。部下に男を拘束させ、車のトランクに押し込める。
「大使館に連行し、本国に緊急電文を」
「了解」
部下たちは敬礼した。ジョンは王女を振り向いた。
「カサル・アギーラに戻ってください。私はこのまま首都に行きます。ジョレンテ侯爵には後ほどお詫びをしますので」
「ジョン様…」
「ご覧のとおり母親とその実家に排除されかけておりますので、王女殿下にまで害が及ばないようにします」
説明しながら、彼はこれまでになく苦々しい気分になっていった。母に無視され続け、ようやく視界に入ったと思ったら障害物扱いという状況に、心がささくれ立っていくのを止められない。
カイエターナは懸命に首を振り、彼に訴えかけた。
「でも、家族なのでしょう?」
両親兄弟からの溢れるような愛情を受けてきた彼女には理解できなくて当然だ。無理のないことなのに、反射的に出た声はジョン自身も驚くほど冷たいものだった。
「君に何が分かる」
彼は王女に背を向け、副官に言った。
「王女殿下を車にお送りしろ」
ジェフリーは礼儀正しく彼女に手を差し出した。カイエターナはローディン王弟に呼びかけようとしたが言葉が出てこない。
結局、おとなしく侍女たちが待つ車に戻るしかなかった。
ローディンの王弟は、一度も第四王女を振り帰らなかった。
アグロセン王国首都エスペランサ。ロッサフエンテ宮殿は近づく観艦式の準備で慌ただしかった。
しかしその一角にある王女宮はいつもの華やかさが影を潜めていた。ファドリケ国王は気掛かりそうに第四王女の侍女に尋ねた。
「カイエターナはまだ閉じこもっているのか」
「はい、お食事も摂られない有様で……」
筆頭侍女パロマは気を揉んでいるが、状況は一向に改善していないようだ。国王は溜め息をついて額に手を当てた。
「どうしたものか…、ヴァルヴェルデで何があったのだ?」
「それが、姫様はただ泣くばかりで」
王妃イサベラは心配のあまり自分が医者の世話になってしまっている。ここは最も頼りになる者をと、国王は使いを出した。
王宮からの応召でやって来たのはシルバー・ブロンドのウィルタード公爵夫人ビアンカだった。
「何がありましたの、お父様。カイエターナは?」
「部屋にこもりきりだ」
「ローディンの王弟殿下関係かしら」
前にも似たようなことがあったと考える彼女に、侍女のパロマが縋り付くように言った。
「あの時とは比べものになりません。ずっとお部屋で泣き続けで」
どうやら非常事態ということは公爵夫人も理解した。見れば父も兄もおまえに任せたと言いたげな顔をしている。
ビアンカは溜め息をつき、惣領姫の役割を果たすべく妹の部屋を訪れた。
「カイエターナ、私よ」
いつも明るく笑い声が絶えなかった部屋は、カーテンを閉め切り陰鬱な薄暗さだった。
これは重症ねと考えながら、王家の第一王女は求める人の姿を探した。猟犬が鼻を鳴らす音で、居場所は判明した。窓の近くで妹が膝を抱えていた。
その傍らに座り込むと、ビアンカは妹の肩を抱いて優しく話しかけた。
「みんな心配しているわ。ヴァルヴェルデは楽しかったのでしょう?」
顔を伏せたまま、カイエターナは呟いた。
「……私が台無しにしてしまったの」
「聞かせてちょうだい、何があったのか」
辛抱強く聞き役に徹したビアンカは、途切れ途切れの説明を引き出すことに成功した。その内容は公爵夫人を驚愕させるものだった。
「その、王弟殿下を狙った者はローディンのウォータールー侯爵家の手先だと言うの?」
「…他に、聞いたことのない、組織の、名前も。〈レイヴン〉、とか」
ビアンカは眉をひそめた。そして涙で汚れた妹の顔を拭いてやり、その手を取った。
「あなたはローディン王家についてどれだけ知っているの?」
「王室の人の、名前と家系図は習いました」
小さく頷くと公爵夫人は話し始めた。
「あの国はどの王朝も親兄弟親族間の権力闘争で滅びているわ。今のテューダー朝は表向きは平穏だけど色々と問題を抱えている。王弟殿下と王太后陛下との確執は知っているわね?」
カイエターナがこくりと頷いた。彼女の乱れた黒髪を撫でながらビアンカは続けた。
「確執と言うより、王太后陛下が王弟殿下を一切顧みなかったのよ。先王陛下が崩御された衝撃で王弟殿下を早産されたことで、最後のお別れが出来なかったためだとも聞いているわ。王弟殿下が父君には似ておられなかったことも原因のようね」
「…でも、それはジョン様のせいではないわ」
憤慨する妹に気力が戻ってきたのを確認し、ビアンカは彼女を宥めた。
「理不尽よね、人の感情は。王太后陛下はご長男の現国王陛下のみを溺愛してきたけれど、あまりの束縛ぶりに我慢できなくなった国王陛下が、ご結婚を機に名実ともに独立するのではと噂されているわ」
複雑に入り組んだ事情を第四王女は何とか理解しようとした。




