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5 傍目には居候

 プランタジネット伯爵位を与えられた後も、ジョンの主な住居はグラストンベリー宮の奥にある王子宮の一角だった。

 伯爵領はグレート・アヴァロン島南西部に延びたプランタジネット半島先端にある。首都からは馬車で三日の距離となると、招集があれば直ちに海軍情報部に出頭しなければならない身としてはかなり不便だ。


 一応伯爵家のタウンハウスも王都にあるのだがかなり老朽化しており、大がかりな補修が必要な状態だった。結果、消去法でジョンは幼い頃からの部屋に住み続けているのだ。

 ――傍目には居候だな。

 自らの中途半端な位置を可笑しく思いながら、彼は王宮の国王に取り次ぎを申請した。


 国王アルフレッドは弟の急な訪問には慣れていた。彼が学園時代から海軍情報部に出入りしていたことは知っていたし、幼少期よりも顔を合わせる機会が増えたことを喜んでいるほどだ。

 今日は婚約者のウエリントン伯爵令嬢が登城しており、彼女を交えた会談となった。


 ジョンは本題をいきなり切り出した。

「明日、アグロセンに発つ」

 急な話にアルフレッドは瞬きを繰り返した。それよりは落ち着いているマーガレットが王弟に質問した。

「海軍のお仕事ですか?」

 海軍大尉は頷き、話せる範囲で理由を説明した。二人はすぐさま彼の任務の重要性を理解した。


「そうか。向こうでの拠点は大使館になるのか?」

 今頃は情報部から大使館員ビル・サイアーズの旅券が届いているだろう。そう考えながらジョンは頷いた。若い国王は少し悪戯っぽく提案した。

「実は、アグロセンから海軍の観艦式の招待を受けている。通常なら第一海軍卿相当が出席するのだが、幸い今の王室には海軍所属の者がいるからな」

「つまり、僕が出席すると」


 表情が乏しいなりに迷惑そうな弟を見て、国王は笑った。

「そういうことだ。王弟プランタジネット伯爵なら上の者と会う機会も多い。行動は制限されるが、そこは手段があるのだろう?」

 楽しそうな兄の言葉に、ジョンは苦笑した。プランタジネット伯爵と情報部員ビル・サイアーズの二役はローディンで幾度となくこなしてきたし、アグロセンでもやり遂げる自信はある。


 そして彼は、兄の婚約者に一通の封筒を差し出した。

「レディ・マーガレット、これをウェリントン伯爵にお渡し願いたい」

「父にですね。間違いなく私自身で手渡します」

 何も聞かずに伯爵令嬢はそれを大事そうに収めた。既に任務を開始している弟に向けて、アルフレッドが言った。


「いい機会だ。任務を終えたらアグロセンの美人でも連れて帰るといい。どんな身分の者でも応援するよ」

「そんな物好きがいればね」

 気のない返答を最後にジョンは立ち上がった。そして婚約者たちを二人きりにしてやるために早めに訪問を切り上げた。




 ジョンが王宮の一角にある自室に戻ると、意外な訪問者が彼を待っていた。

「お久しぶりです、殿下」

 カニンガム子爵夫人エレイン。彼の乳母だった女性だ。成人後も何かと気遣ってくれる彼女は、ジョンにとって家族同様の人だった。頬に親愛を込めたキスをし、エレインは訪問の目的を話した。


「アグロセンに行かれると聞きました。カニンガム一族でお役に立てることはありますか?」

「相変わらず情報部顔負けだな」

 呆れ混じりに言うと、エレインは貴婦人めかして上品な笑い声をたてた。

「ロウィニア王家とまではいきませんが、我が家は多産家系で親戚は西方大陸中に散っておりますもの。噂の類なら新聞社よりも速く正確に届きますわ」

「では、プエンテック社に繋がりがある者を用意してくれ」

「分かりました。向こうにはアシュリーを遣わせます」


 余計な質問もなく、子爵夫人は請け負った。短い訪問を終えて帰る彼女に、ジョンは昔と変わらない別れの挨拶をした。

「行ってくるよ、ママ・エレイン」

 子爵夫人は優しく微笑んだ。

「気をつけてね、坊や」




 かつて多くの時間を過ごした王宮を歩きながら、エレイン・カニンガムは回想に浸った。乳母として伺候していた頃、第二王子に全く関心を持たない母后にせめて顔を見に来るだけでもと追放覚悟で直訴したこともあった。里帰りで我が子を抱きしめ、孤独な第二王子を思い出しては涙を堪えた。

 幼い王子がやがて母親のことを全く話さなくなった時、彼女は誓ったのだ。いつか彼が共に家庭を築く人を見つけるまで、全てを賭けて支えるのだと。




 エレインが去った後、ジョンはこれからの手はずを侍従長に頼んだ。観艦式は二ヶ月後だが、彼自身は先行し、アグロセンの首都エスペランサにあるローディン王国大使館の平大使館員ビル・サイアーズとして駐在する。

「しばらくここを空けるが、アグロセンの観艦式に出席するための準備中だと説明しておいてくれ」

「畏まりました。お荷物は」

「着替え程度でいい。平の大使館員がトランクの山など分不相応だからな」


 侍従長は一礼して退出した。海軍の招集は突然なことが多く、いつでも出発できる最低限の荷物は常に部屋の隅に用意してある。

 居室の銀のトレーに置かれた海軍の紋章入り封筒を手にし、予想どおりの物を確認して彼は微笑した。

 『三等理事官ビル・サイアーズ』の身分を保障する外交官用の旅券だった。下から数えた方が早い役職だが任務にはうってつけだ。


 使い込んだトランクの中身を確認し旅券を収めると、ジョンは安楽椅子に座り込んで伸びをした。彼の脳内には今回の任務に関する情報がめまぐるしく行き交っていた。

「……次世代駆動系が外燃機関でも内燃機関でも、海軍はより優れたものを導入するだけだ。ただ、その結果が歪められて性能が劣るものを掴まされることは避けねばならない」


 自分がするべき事をまとめ、彼は早めの就寝の準備を命じることにした。明日は早朝から港に行き乗船しなければならない。海軍大尉ジョン・ウィンストンは立ち上がった。

 王宮を二つの月が照らし、初夏の夜は穏やかに過ぎていった。




 同じ夜空をアグロセン王国で眺める者もいた。

 バルコニーから煌々と輝く二つの月を見上げ、カイエターナ王女は感嘆の声を上げた。

「今夜は二つとも満月なのね。ねえ、知ってる? こんな夜に泉を覗くと運命の恋人の顔が映るのですって」


 常に側にいる愛犬チキティートは耳を動かし、主の言葉を傾聴した。大型の猟犬の首を抱き、王女はうっとりと呟いた。

「見てみたいわ、でもちゃんと人間の顔になってるかしら。泉にまでおイモが映っていたらどうしましょう」

 奇妙な苦悩を語る中、ロッサフエンテ宮の夜も更けていった。




 その部屋は狭くはなかった。だが、薄暗さが圧迫感を伴い、テーブル囲んで座る人々に緊張感をもたらした。

 一人が立ち上がり、計画の進捗を報告した。続いて懸案事項を告げた時、上座から低い声がした。


「ローディンに動きが?」

 発言者の上半身はカーテンで隠され、他の者から見えるのは豪華な安楽椅子に腰を下ろした黒いローブと多くの指輪が嵌められた太い指、そして膝に抱いた銀色の長い毛並みの高慢そうな猫だった。


 報告者は硬い声で答えた。

「はい、海軍情報部がアグロセンに潜入した形跡があります。人数は判明しておりませんが、かなり少数と思われます」

「ふん、南方大陸の植民地拡大でいい気になっているようだが、アグロセンでの戦いは勝手が違う。全滅する前にそれに気付けばいいが」


 テーブルを囲む者たちは低く笑った。世界の命運を握るのは自分たちだと信じて疑わない嘲笑だった。

 白銀の毛並みの猫が口を開け、小馬鹿にするような欠伸をして首輪にちりばめられたダイヤをきらめかせた。

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