49 荒れ野
翌朝、アグロセン南東部の地方紙は一面にヴァルヴェルデサーキットのレースを載せた。
「“プエンテック社『ドラゴネグラ』優勝、石油燃料車の優位性証明される”か。確かに、上位陣のほとんどは石油燃料車だな」
朝食を済ませたジョレンテ侯爵が大きな見出しを読み上げた。他の新聞を手にした侯爵夫人レオノールが不思議そうに首をかしげた。
「この新聞も、ゴールの時の写真がぶれているのね」
「不思議なことにどれもそうだよ。王都の新聞でさえ同じだと聞いた」
妙なこともあるものだと侯爵夫妻はテーブルに広げた各紙を見比べた。
「あら、こちらはカイエターナとチキティートだわ。暴走車が客席に突入するのを食い止めて、ドライバーを救助したのですって」
満足そうに愛する末妹の写真を眺め、レオノールは金髪を揺らして微笑んだ。
「優勝したドライバーは彼か」
ライアン・スミスがトロフィーを掲げている写真もあった。その表情は何故かこわばっていたが。
穏やかな朝の一時を過ごす彼らの元に、第四王女が挨拶にやってきた。
「おはようございます、お姉様、お義兄様」
「おはよう、カイエターナ。昨日は色々あったようだけどゆっくり休めたの?」
「はい、……あの……」
テラスや周囲をきょろきょろと見回す王女が何を探しているのか、夫妻には問わずとも分かっていた。
「ローディンの王弟殿下なら、視察に出かけられたわ」
「こんな朝早くからですか?」
驚く義妹に、侯爵が教えた。
「観艦式まで日にちがないからね。昨日のレースも予定を詰めて観戦されたのだし」
「それでは、すぐに王都に帰られてしまうのですね」
こうしてはいられないと、カイエターナは必死で作戦を考えた。あの感動的なレースで彼に花束を渡しキスできるはずだったのに、呪うべき蒸気車のせいで台無しになってしまった。
――それに、どういうわけか優勝した人は全然別の人になっていたし。
それには何か理由があるのだろうと大雑把に片付け、とりあえず王女はローディンの王弟を追おうと決めた。
「パロマ、車を出して。姉様、ジョン様の行き先は分かりまして?」
「アギーラ森林地帯の南側の土地ですって。何もない荒れ地があるだけなのだけど」
「ありがとう、姉様」
姉の滑らかな頬にキスをして、カイエターナは外出の準備のために部屋へと急いだ。
妹の姿が消えると、美しい侯爵夫人は小さな溜め息をついた。
「どうしたんだい? 王弟殿下とのことが気になるのかな?」
「あの方はいいとしても、ビアンカからの情報だとローディンの様子が厄介なことになりそうなの」
憂鬱そうな妻の白い手を、侯爵がそっと握った。
「こればかりは、解決も納得も当事者の心にしか出来ないよ」
「そうね…」
今日も晴れ渡った空を侯爵夫人は見上げた。
車から降りた場所は一面の荒れ野だった。アギーラの森の切れ目からは草原が続いているのに、この地域は灌木がたまにある程度だ。
「確かに、サモラ家でなくても誰かに押しつけたくなる土地だな」
風に吹かれて玉になった枯草が転がるこの地、ラビーニャは不毛と呼ぶに相応しい荒野だ。
「耕作地には出来なかったのかな」
「結構凹凸のある地形だ。かなりの整地作業が必要だろう」
ローディン王弟ジョンと彼の副官、護衛は失踪した海軍情報部員が傍聴しようとしていた裁判で争われた場所に立っている。
「これを裁判に掛けてまで所有を明らかにしたのは何かがあるのか、それともないのか……」
車に持たれて考え込んでいたジョンは、甲高い声がするのに気付いた。見れば少し離れた窪地で子供たちが遊んでいる。
「こんな所に面白い物でもあるのか?」
三人は声のする方に歩いた。
子供たちはいずれも十歳に満たないような年齢で、手にした何かを競うように地面に放っては歓声を上げている。
すると、ぽんと小さな音がして地面に炎が現れた。ジョンたちは身構えた。
「あれは天賦か?」
「しかし、炎を起こすなど創世記の伝説級です」
よく見れば、子供たちは全員マッチを持っていた。怪訝そうにしながらも、ジョンは彼らに話しかけた。
「やあ、それはどうなってるのかな」
突然現れた男性に子供たちは驚いた。しかしジョンの人畜無害オーラが落ち着かせたのか、すぐに一人が得意そうに説明した。
「ここで火の付いたマッチを投げると、空気が燃えるんだよ」
男の子が実際にやって見せた。確かに発火したマッチを地面に投げるだけで小さな炎が起きている。
――揮発性のガスが窪地に溜まっているのか?
そう推測しながら、ジョンは子供たちの様子を観察した。
「あまり長くいると気分が悪くなったりしないか?」
彼らは一様に頷いた。
「うん、父ちゃんに見つかったら怒られる。あ、鐘だ、帰んなきゃ」
遠くから微かな鐘の音がする。子供たちは一斉に駆け出した。残された三人は用心しながら窪地を歩いた。
「確かにガスのようですね」
「だが、付近に火山はないし硫黄の臭いもしない」
「どこから発生したのでしょうか」
用心深く口元にハンカチを当て、ジョンは跪くようにして地面に触れた。乾燥した荒れ地に見えるのに、どこか湿ったような感触がある。
このケースに当てはまる物を彼は必死に考えた。
――不毛の地に見えるがどこかからガスが発生している。確か、アギーラの森の奥には岩山が連なっていた。これと似た場所は……。
突然彼は立ち上がった。
「殿下?」
驚く部下に、彼は告げた。
「ここには何もない。あるのは地下だ」
王弟は地面を指さした。
「おそらく、油田が存在している」
副官と護衛は息を呑んだ。サモラ家の相続人はこの事実を親族に隠してこラビーニャの相続権を放棄させたことになる。
「それなら、わざわざ訴訟騒ぎにする価値はありますね」
ジェフリーが呟き、ロイドが頷いた。ジョンは尚も残る疑問を口にした。
「問題は、相続人がどうやってそのことを知ったかだ」
「確か、特に職に就いている様子もなく、石油会社とも関係の人物でした」
「誰かに入れ知恵された、設け話を持ち蹴られた、あるいは……」
最も危険な可能性は、この地を手に入れるために親族と称して表れた何者かが法律上の権利を手にしたという筋書きだ。
その時、彼方からエンジン音が風に乗って流れてきた。そちらを向いたジョンは、光る物を感知した。銃の照星だ。
「伏せろ!」
彼の言葉に部下たちは機敏に反応した。その直後に窪地に銃弾が跳ねる。視線だけで合図すると、三人はそれぞれ違う方向に駆け出した。
距離を取っていることもあり、狙撃者は標的のバラバラな行動に焦ったのか照準が甘くなった。
最短距離で自動車に辿り着いたロイドがすぐにエンジンを回し、車を発進させる。車体を盾にしてジョンとジェフリーが次々に乗り込んだ。
王弟の乗る石油燃料車は逃走すると見せかけて襲撃者の車の前に回り込んだ。窓から身を乗り出し、ジョンが拳銃を撃った。運転手を狙ったが、弾丸はガラスを覆った鉄板に弾かれた。
「防御力特化の車か。その分鈍重そうだが」
舌打ちする王弟の耳に、第三のエンジン音が聞こえた。挟まれたかと思った彼に、覚えのある声が呼びかけた。
「ジョン様ー! 今日もレースですかー?」
アグロセンの第四王女カイエターナが王家専用車でやってきたのだ。ジョンは思わず大声を出した。
「危ないですから、ここから離れてください!」
そして彼は、蒼白になっている侍女が抱えている物に気づいた。
「それを貸して!」
窓越しに渡されたカービン銃でジョンは襲撃者の車に狙いを付けた。
――車種はセグラA1石油燃料車。なら、狙うのは……。
彼は後部席下に照準を合わせた。カービン銃が火を噴き、次の瞬間に燃料タンクを打ち抜かれた車が跳ねた。続けざまに車体を撃つと、やがてセグラはバランスを崩し横転した。地面に燃料が流れ出たかと思うと、車は爆発炎上した。




