48 愛の舞台
「最終ラップ…あと一周でおしまいなのね」
レースの知識がない第四王女にも、次に最初にホームストレートに戻ってきた車が優勝なのだと分かった。観客が熱狂している理由も。
両手を握り合わせ、祈るようにカイエターナは愛しい人の勝利を願った。
「信じてますわ、ジョン様。必ずや勝利の栄冠を手に私の元に戻ってくださると」
薔薇色の表彰式しか頭にない彼女の側で、双眼鏡越しにコースを見る人々は段々と不安げな空気を醸し出していった。
「おい、今『バポールロボ』が『ドラゴネグラ』にぶつけに行かなかったか?」
「見た見た。大丈夫かよ、あれ」
「オルテガは何考えてんだ?」
さすがに大会役員もざわつき始め、カイエターナは彼らに尋ねた。
「どうなっているのですか?」
「はあ、その、多少ドライバーが暴走しているようで…」
歯切れ悪い回答に、彼女はオペラグラスで向こう正面のストレートを見つめた。トップの二台の順位こそ変わらないが、レースは険悪な様相を呈していた。重量に勝る『バポールロボ』が、『ドラゴネグラ』をコースからはじき出そうとするかのように、接触を繰り返していたのだ。
「不逞の輩がジョン様の妨害を……」
今すぐ狙撃してやりたい衝動を必死で堪え、カイエターナはローディン王弟の無事を祈った。
勘弁してくれと言いたい気分で、何度目か分からない悪質な接触をジョンは交わした。最後のコーナーでは流石に体当たりはなかったが、このまま1マイルのストレートに出て共倒れ狙いのクラッシュをしかけてくる可能性もある。
――それなら、こちらも遠慮は無しだ。
ハンドルを切り、鋭い立ち上がりで『ドラゴネグラ』は勝利が待つロングストレートに躍り出た。
「二台が来た! 差はわずか! 優勝はプエンテックの黒い竜か、アコスタの蒸気の狼か!?」
結着を迎えるグランドスタンドは、まるで建物自体が生き物のように咆吼していた。人々は口々に二台のマシンの名を呼びドライバーの名を叫んだ。
「行け! 『ドラゴネグラ』!」
「負けるな! オルテガ!」
悪質な妨害行為ともとれるドライビングだが、ここまでくれば故意の接触も意地のぶつかり合いと見なされたようだ。
当事者のドライバーには、当然ながら別の意見があった。
「ぶつかり合えば車重の軽い方が不利。なら、仕掛けるならここしかないか」
ビル・サイアーズは呟くと同時にシフトレバーを操作した。猛追する『ボパールロボ』が徐々に並び掛けていく。
「どうした、ローディン野郎。もう燃料切れか?」
オルテガが乾いた笑い声を立て、インから石油燃料車に車体を寄せようとした。
その瞬間、『ドラゴネグラ』は爆発的な加速を見せた。さっきまでライバルがいた左隣がただの空間となり、『バポールロボ』はよろけた。相手がコース外に弾き飛ばされる光景の夢想に酔いしれていたオルテガは、車を立て直すのが一瞬遅れた。
致命的な一瞬だった。
完全にコントロールを失った『バポールロボ』はスピンしながらコースアウトした。その先にあるのは表彰会場だった。勝利の美酒を味わうはずだった場所をマシンが粉砕した。
「ジョン様と私の愛の舞台が!」
突然の惨事にカイエターナは悲鳴を上げた。やがて彼女の黒い瞳は怒りに燃え上がった。
「万死に値しますわ! パロマ、箱を」
侍女がおろおろしながら細長い箱を差し出した。無造作に蓋をむしり取り、第四王女は黄金の薔薇の中からある物を掴んだ。キャバレロ製水平二連式ショットガンCORDONIZ。
カイエターナは引き金に指を掛け、銃身を一回転させてショットガンを構えた。暴走車を照準に捕らえ、遠距離用引き金を引く。
轟音と共に『バポールロボ』の右前タイヤが吹き飛んだ。だが、車は前進を止めない。観客が我先に逃げ出し狂騒状態に陥りかけた。大型猟犬が主を守るように唸った。
すぐさま王女は二発目を構えた。頭には姉の忠告が流れた。
『短期決戦なら心臓と眉間よ』
「心臓は分かりませんから、お顔を行きます!」
ヘッドライトの中間に向けて近距離用引き金を絞る。弾丸はボンネットを貫いた。吹き飛ぶようにボンネットが開き、破壊されたボイラーから水蒸気が噴出し周囲を白く染める中、『バポールロボ』はようやく停止した。
険しい表情で恋の邪魔者を睨みつけ、カイエターナは呟いた。
「嫌だわ、この距離で一発で仕留められないなんて。爺に叱られてしまいそう」
その時、コクピットから弱々しく助けを求める声に彼女は気付いた。
ドライバーが高温の蒸気から逃れられずにいる。すぐさま王女は愛犬に命令した。
「連れてきて、チキティート!」
銀灰色の猟犬はスタンドから飛び出すと車に向けて走った。そして、数分とかからずにドライバーの服を咥えて車から引きずり出し、飼い主の元へ帰還した。カイエターナは忠実なアグロシアン・ウルフハウンドを抱きしめた。
「いい子ね、チキティート。よくやったわ」
すぐさま救護係が駆けつけ、オルテガの様子を見た。蒸気で火傷を負っているが、命に別状はなさそうだ。
「ありがとうございます、王女殿下。おかげで死者を出さずにすみました」
大会役員の感激の言葉に優雅に微笑んで見せながらも、カイエターナは失望感に呑み込まれていた。
――せっかく栄光のジョン様を祝福できると思ったのに……。
巨大なグランドスタンドは、表彰会場付近のトラブルに気付かない人も多かった。実況者は息も絶え絶えに声を振り絞っている。
「『バポールロボ』がコースアウト! 優勝はプエンテックの『ドラゴネグラ』だ! この展開を誰が予想したでしょうか! まさに激戦!! 白熱したレースでした!」
プエンテックのピットは狂騒状態だった。クルーたちは抱き合い、泣き笑いしながら彼らが送り出したマシンを迎えた。
「やったぞ!」
「ありがとう、ライアン!」
ドライバーは彼らに応えながらもよろけるようにコクピットから出た。
「おい、大丈夫か?」
頷きながら彼はピットの奥に向かった。
「水を持ってこい!」
「タオルもだ!」
「救護係はいないのか?」
ピットの喧噪はなかなか収まらなかった。
数十秒後、『ドラゴネグラ』のメインドライバー、ライアン・スミスは誰かに呼びかけられて目を開けた。
「大丈夫ですか? ミスター」
見知らぬ整備員の手を借りて、彼はのろのろと起き上がった。まだふらつくライアンを整備員が祝福した。
「おめでとうございます、優勝ですよ」
「……優勝?」
怪訝そうな彼を、整備員はピットクルーへと押し出した。
「ほら、皆さんお待ちかねですよ」
その言葉が終わらないうちに、ライアンは仲間にもみくちゃにされた。
「よくやったぞ!」
「凄い走りだったぞ!」
「あんなアクシデントがあったのに」
ドライバーは何が何やら分からないまま彼らに抱きつかれ肩を叩かれていた。
「いや、俺は何も覚えていないというか、頭が真っ白になって…」
「そうか、本能で走ってたんだな」
「お前もマシンも無事で良かったよ」
チーフエンジニアが指さす先には悲惨な状態になったライバル車の姿があった。ライアンは仰天した。
「あれ、『バポールロボ』じゃないか、何があったんだ?」
「オルテガの野郎が体当たりかまそうとしてお前に躱されて自爆したんだよ」
言われても記憶にないライアン・スミスは曖昧に頷くしかなかった。
勝利の喜びに沸き立つピットから、整備員に戻ったビル・サイアーズはそっと離れた。すぐさま副官のジェフリーと護衛のロイドに挟まれ、ローディンの王弟は元の姿に戻った。
熱戦の余韻に浸るヴァルヴェルデは、優勝ドライバーをひと目見ようとする観客の歓声が途切れることなく続いていた。




