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45 自虐的な響き

 ジョンの意向を受け、副官ジェフリー・クーパーがプエンテック社のエステベス社長に話を持ちかけた。

「彼をお借りしてよろしいでしょうか。殿下がサーキット周辺を見物したいと仰せですので」

 いきなりの役目を振られてミゲルが目を丸くした。そんな彼を見て、社長が頷きながらも忠告した。

「構いませんが、かなり混雑していますよ」


 ローディン王弟の安全を懸念する彼に、本人が笑いながら答えた。

「私は大して目立たないので大丈夫ですよ」

 本気になれば五秒で雑踏に埋没してしまう人間にしては謙遜が過ぎる表現だったが、周囲の人間は妙な説得力を感じた。


 ジョンはついて行きたくてうずうずしている第四王女を振り向いた。

「王女殿下はここにいてください。あなたが出れば混乱が起きるでしょうから」

 侍女も護衛も当然という空気を作り出し、カイエターナは頷くしかなかった。

 王弟一行は貴賓室を出て行った。彼の言葉にどこか自虐的な響きを感じ、王女は淋しそうに呟いた。

「私は、あなたがどれだけ多くの人の中にいても、一目で見つけますわ」

 その声に気づいたのはこの旅行にも同行してきた猟犬だけだった。




 副官のジェフリーと護衛のロイドを連れ、プエンテック社員ミゲル・ベセラに先導されてジョンはグランドスタンドの外に出た。騒がしい人混みに入る前に、ジェフリーに小声で指示をする。

「おそらく君と同系統の天賦だ。誘導を頼む」

「了解」


 すっとジェフリーはミゲルの隣に並んだ。

「ご友人に似た人を見かけたのはこのあたりかな?」

「そうですね。多分、ちょっと神経質になってたんです」

「レース本番だから?」

「だと思います。車が何だか違って見えたし」


 その言葉をローディンの一行は聞き逃さなかった。ジェフリーは興味深そうに尋ねた。

「どんな風に?」

「えっと…、整備員の人たちとの連絡係を任されてるから何度も見たはずなのに、妙に別の物が紛れ込んでるような、収まりが悪いような……」

「それは、ダイヤが変わったとかではなく?」

「タイヤじゃなくて、コクピットの…、ハンドル、の近く…」


 ――セルモーターか?

 ジョンの頭に真っ先にその部品が浮かんだ。開発会社の社長が失踪し、プエンテックの役員トレホンが情報を漏洩させた部品。

 ――クランク・ハンドル無しでエンジンを点火できるなら、レース中のピットインで有利になるはずだ。

 事故を避けるため、ピットでの給油給水時はエンジンを切ることになっている。いかに早くリスタートできるかがレースの鍵と言ってもいい。


 王弟の内心に気付かないミゲルは律儀に自分が見た物を説明しようとした。

「ラモンかと思った人、今思うと大会関係者の腕章を着けてた気がします」

 ――主催者側なら車に接近することが出来るな。

 指示を待つ部下たちに、王弟は頷いた。ジェフリーはわざと人の多い場所に行くよう仕向け、屋台が並ぶテントの背後にジョンは素早く入り込んだ。荷物と建物で遮蔽された空間で、ジェフリーが持ち歩いていた鞄から出された作業服に早業で着替える。

 帽子を被り、『B.サイアーズ』の関係者証を付けたジョンは一瞬で雑踏に紛れ、プエンテックのピットに向かった。




「ジョン様はどこに行ってしまわれたのかしら」

 つまらなそうに第四王女は愛犬の頭を撫でた。銀灰色の大型猟犬は慰めるように尾を振った。

「殿方は機械がお好きですからね。車を見物されているのでは?」

「そう…」


 オペラグラスをコースに沿って並ぶピットに向け、カイエターナは愛しい人を探した。今日もジョンはローディン海軍の制服姿だった。大勢の人の中でも目立つはずだ。

 ゆっくりとオペラグラスを動かしていた彼女の手が止まった。その中に捉えているのは作業服を着て帽子を被った男性だった。

「……ジョン様」


 さっき出て行ったばかりの彼がどうして労働者のような格好をしているのか見当も着かなかった。が、必死で王弟の姿を追ううち、カイエターナは些細なことなどどうでも良くなっていた。

「本当に、あの方は何をお召しになっても絵になるわ。きっとレースに出る車を影ながら応援なさるのね。何て奥ゆかしい方なのかしら」

 盛大な誤解とご都合主義的観測で、第四王女はうっとりと溜め息をついた。




 いよいよレースのスタートの瞬間が近づいた。ピットから各マシンがコースに出て走行練習時のタイム順にスタート地点に着く。先頭のインはプエンテック社の『ドラゴネグラ』だ。シルバーの車体に竜のシルエットが黒く描かれたレーシングカーは盛んにエンジンを吹かして合図を待った。

 大会の計測員が時計を見つめながら片手を上げる。スターターが旗を振った。一斉にエンジンを高回転させた十台の車が咆哮を上げる。

 ヴァルヴェルデレースの開幕だった。


 グランドスタンドは車に負けない歓声に包まれた。このレースが蒸気車と石油燃料車の戦いであり、勝者が市場を手に入れることを観客の誰もが知っていた。記者席には国内各紙の他、西方大陸の他国や南方大陸からも記者が駆けつけ、実況に耳を澄ましながら記事を書いている。

 コース近くにはカメラマンたちが陣取りスクープを狙った。


 レーシングマシンはプエンテック社の『ドラゴネグラ』を先頭に1マイル以上のホームスレートを驀進し、最初の難関、下り勾配にある90度の右コーナー『アーダ』に突入する。

 ブレーキングの音が響き、コースの砂利が弾き飛ばされる。急減速した車の群れは次々と回頭し高速ロングコーナーに飛び込んだ。その後、ヘアピンやアップダウンのあるコーナーを駆け抜けバックストレートに車列は突っ込んだ。


 後方の一台がよろめくようにバランスを崩した。向こう側は風が強いようだ。大きく後退した車を見て、賭けていた者が頭を抱えた。

 その後、2連ヘアピンと高速コーナーを乗り切りマシンは再びグランドスタンド前に戻ってきた。実況者の声が拡声器から響き渡る。

「1週目を終え、先頭はプエンテックの『ドラゴネグラ』! 次いでアコスタの『バポールロボ』! その後にラサロらが続く!」


 レースは予想どおり蒸気車と石油燃料車の一騎打ちの様相を呈してきた。双方を応援するファンが声を限りに車やレーサーへの名を叫んだ。

「行け! 『ドラゴネグラ』!」

「負けるなよ、オルテガ!」


 グランドスタンド前のピットレーンにも熱狂は届いた。プエンテック社のピットは最高のスタートに湧きたっていた。

「いいぞ、ライアン! その調子だ!」

「このまま、トラブルなく走ってくれよ」

 祈るような激励はピットクルー共通のものだった。自動車レースはこれまで野山を長距離走るラリーがほとんどだった。専用のサーキットで車とドライバーの優劣を競う試みもあったが、ここまで大々的なものは初めてだ。


 自動車が開発され失敗を重ねながらも進化し、ようやく馬車と並ぶ移動手段として認められようとしている。現時点で拮抗している蒸気車と石油燃料車。モータリゼーションを主導するのがどちらかが、二時間後に判明するのだ。

「蒸気で効率的に動かせるのは鉄道までだ。個人の乗り物にボイラーでは限界が見えている」

 チーフエンジニアが確信を持って呟いた。ピットの隅で彼の言葉を聞いていた整備員も軽く頷いた。

「ボイラーの軽量化は難しいですからねえ」

「結局、蒸気車はパワーウエイトレシオの問題を解決できないまま終わるだろうよ」

 感慨深げに語るチーフエンジニアは新参者の整備員を見て微かに違和感を覚えたようだったが、すぐにレースに集中した。整備員が首から下げている関係者証明書には『B.サイアーズ』とあった。


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