43 『邪魔者』に昇格
表向きは死んだはずの人物、ラモン・セスコは親しみやすい笑顔でアコスタ社の役員に提案を持ちかけた。
「よろしければ力を貸しましょう」
「誰だね、何が出来るというんだ」
彼のことを知らない役員だったが、見ず知らずの者に当然警戒した。ラモンはポケットから小さな部品を取り出した。それが何かを悟ったアコスタ社役員は顔色を変えた。
「……それは、まさか」
「プエンテックの車に装備されているセルモーター。気の毒なエルマン社が開発した」
エルマン社の社長コンラド・エルマンの失踪は業界で知らぬ者などいない。役員は青ざめた。ラモンは笑った。
「あなたに危害など加えませんよ。ただ、レースに勝ってライバルを打倒した時に少し融通してほしいだけです」
利益を求めてのことだと知ると、アコスタ社の役員に余裕が戻った。
「そうか、それでどうするんだ?」
夜に紛れた密約が成立した瞬間だった。
「そうか、『クエルヴォ』が接触できたか」
壁も絨毯も赤一色の密室で、報告を聞いた黒ずくめの総帥は満足そうに笑った。
「金目当てだと思って手を握ったか。愚かな奴だ」
細長いテーブルに着く配下の者も薄ら笑いを浮かべている。
「相手の車に細工してでも優勝という王冠が欲しいようだ」
「それでは、予定通りにヴァルヴェルデでは蒸気自動車に勝利を与えますか」
「まだまだ石油燃料車との覇権争いを続けてくれなければ」
「我々が南方大陸の資源を掌握し、西方大陸の利権を牛耳るまではな」
総帥は世界地図を眺めながら喉の奥で笑った。その膝では豪華な純白の猫がうずくまっていた。
地図の上部には翼を広げる大鴉の意匠があり、大陸や環諸島にはいくつもの印が付いていた。ザハリアス西部、南方大陸ムーラト半島、そしてアグロセン東部にある印は同じものだった。
「本国から続報は?」
首都エスペランサの高級ホテル、オテル・エクセルサス最上階で、メイド姿の情報部員が通信員の報告を待っていた。
「来ました、本国からとアグロセン東部からです」
ローディンからの電文テープを見たアシュリー・カニンガムは表情を曇らせた。
「……そう来たか。『ビル・サイアーズ』に至急電文を」
続いてアグロセン内の最新情報を得たメイドは口元を歪めた。
「これはすぐにでも確認する必要があるね。こっちもビルに送って」
最後にアシュリーはまだ確認が取れていない情報の断片に目を通した。
「これはデマ、こっちはただの偶然で……、使えるのは中々ないなあ」
うんざりしかけた所で、メイドは一つの紙片をつまみ上げた。
「…『レイヴン』……。ザハリアス西部の油田地帯と炭鉱に大口出資……。こんな財団も銀行も聞いたことないけど」
枯渇が噂される油田に今更参入するなど、素人の逆張りにしか思えないが何かが引っかかる。己の直感に従い、アシュリーはその情報もヴァルヴェルデにいるジョンへの急報ケースに入れた。
ジョレンテ侯爵の居城の一角、王弟一行が使用する自動車後部席で、副官のジェフリーが小型トランクを開けた。その中には電信装置が詰め込まれており、彼はアンテナを伸ばして連絡を受けた。定時連絡にはまだ間があるが、数時間ごとに緊急連絡を確認しなければならない。トランクの中には穴が開いた紙テープが渦巻いていた。
「緊急電文……」
ジェフリーはそれを切ると急いでカサル・アギーラ城内に入った。
「本国から急報?」
副官から受け取った電文テープを王弟ジョンは読み取った。その顔が次第にこわばっていった。
「どうやら、この国で諜報活動を妨害してくれたのは、グラストンベリー宮からの差し金らしい」
王弟のスタッフは息を呑んだ。
「……それは、王后陛下の勢力でしょうか」
「他に誰がいる」
吐き捨てるようにジョンは答えた。兄を手中に置き亡き夫の代わりをさせるためにはローディンの未来すら歪めるつもりなのだ。彼の母親は。
「僕がここで情報部員や社長の失踪の真相究明をするのが都合悪いようだな。何が絡んでいいても驚かないが」
「まさか、裁判所での狙撃も…」
「積極的なのか黙認なのかは不明だが、向こうも承知の上だろうよ」
にわかには信じられない様子の部下と違い、ジョンは確信していた。母は自分の目的のためなら興味の無い息子の命などどうでもいいのだと。
――『存在しない者』が、『邪魔者』に昇格した訳だ。
電文には積極的に情報を売りアグロセンでの妨害工作員を送り込んでいるのはウォータールー侯爵家だとあった。
母の実家、外祖父の家だがジョンとは完全に没交渉だ。王太后エレノアを見習うように侯爵家の祖父も兄アルフレッドのみの後ろ盾となってきた。若い国王が母太后の手を振り払い自分自身の道を歩まれるのを防ごうと背後から撃ってきたのだろうか。
更に、ヴァルヴェルデでの妨害工作の情報も入っていた。
「レーシングカーに細工をされる可能性があるらしい。どこのガレージも警戒は厳重だろうが、レース前で人の出入りは多いからな」
「全員をチェックすることは出来ませんね」
「どの時点で妨害工作に出るか、だな」
「殿下、作戦はどのように」
すぐにでも準備に取りかかりたい様子のロイドに、ジョンは必要な物を伝えた。
「まず、プエンテックのピットクルーの作業着と身分証。それと念のために…」
言われた物を丁寧な字で書き留めると、ロイドは部屋を出て行った。ジェフリーは返信作業にかかり、ジョンは一人、広い客間の椅子に座り込んだ。
「兄上は当然事態を把握している。ウォータールー侯爵家は陸軍への影響力はあるが、海軍はウェリントン伯とレディ・マーガレットを支持している。侯爵家ゆかりの令嬢を兄上が相手にするはずもないとなれば、どんな手に出てくるかだな」
ローディンを新時代に導く王が母后の執着で父親の亡霊もどきにされるなど、どんな手段を使ってでも阻止しなければならない。
「まずは、ヴァルヴェルデからだ」
蒸気自動車と石油燃料車。あのサーキットでは真に優れた者が勝たねばならない。そのための計画と計算を、ジョンは脳内で目まぐるしく思索した。
出かける支度がすんだ第四王女カイエターナは、姉レオノールに朝の挨拶をした。
「おはようございます、お姉様」
「おはよう、カイエターナ。まあ、とても綺麗よ」
侯爵夫人は目を細め、レース観戦用のすっきりとした緑の濃淡のデイドレスを着た妹を賞賛した。周囲の侍女やメイドたちも口々に称えた。
「本当に可憐でお美しい」
「どんな殿方の心も溶かしてしまいますよ」
そうだろうかと王女が思い浮かべるのはただ一人だった。レオノールが残念そうに妹に詫びた。
「一緒に観戦したい所だけど、今日は新型の猟銃が届く日なのよ。帰ったら話を聞かせてちょうだい」
「はい、姉様」
「これは私からよ。お気に入りをよりすぐっているわ」
侯爵夫人がメイドに持ってこさせたのは淡い黄色が黄金のように見える大輪の薔薇の花束だった。細長い箱に入れられたそれをパロマが恭しく受けとり、王女の後に控えた。
「勝者に相応しい色でしょう?」
くすくすと笑いながらレオノールは妹の頬にキスをして送り出した。玄関ホールにはローディン王弟が待っていた。
「今日はよろしくお願いします、ジョン様」
「こちらこそ、王女殿下」
いつもと同じく礼儀正しいエスコートだったが、カイエターナは言葉に出来ない違和感に囚われた。彼の横顔がいつもと違うような気がしたのだ。
だが、何も言えないまま彼女は王家専用車に乗り込み、ヴァルヴェルデサーキットへと出発した。




