42 心臓と眉間
カサル・アギーラでの晩餐は、広い正餐室で行われた。森林地帯を領地とする侯爵家らしく、当主自らが山で仕留めてきた金鶏や大猪などが調理されテーブルに並ぶ様は壮観だった。ジョンは感嘆の言葉を漏らした。
「見事なものですね」
ジョレンテ侯爵家は代々狩猟が趣味との噂どおり、この城には至る所に大型動物の剥製が飾られている。麓の村を襲った熊や狼など、気の弱い女性や幼い子供は怖がりそうなものまでが並んでいた。
食後の一服のために移った部屋にも毛皮が敷かれていた。壁には猟銃が骨董品から最新式のものまで架かっている。博物館のようだと思いながら、ジョンは煙草を手に鑑賞した。
「これは、先ほどカランサ将軍から届けられたものです」
侯爵が差し出したのは傷だらけのライフル銃だった。それを受けとり、ローディンの王弟は刻印を探した。
「ゼファー社、ザハリアス製ですか」
アグロセン陸軍の伝説的英雄が他国の銃をわざわざ寄越した理由が見当着かず、ジョンは型式を確認しようとした。そして、製造番号が削られているのに気付いた。
「まともなルートで仕入れたとは思えませんね」
「将軍も同意見です。先日、首都で起きた狙撃事件をご存じですか?」
思わずジョンは顔を上げた。
「耳にしましたが、まさかこれが?」
どうりで傷や歪みがあるはずだと彼は納得した。手慣れた様子で弾倉や照準を確認するのに、侯爵が意外そうに言った。
「海軍ではこの型が採用されているのですか?」
「艦では銃身を縮めた改造版を使います。もっとも、艦隊戦闘は遠距離砲撃がメインになったせいで、海兵が銃を使用するのは上陸戦のみになってきましたが」
「敵艦に切り込む時代は遠くなるばかりですな」
やがて話題はローディンから乗ってきた『グローリー』号に移り、彼らは穏やかな会話を楽しんだ。
別の部屋ではジョレンテ侯爵夫人レオノールが妹の相談を聞いていた。
「そうなの、コンスタンサが忠告してくれたのね」
「メイドの真似事などしても本物にはかないませんし、ジョン様にご迷惑をかけてしまうかもしれないのでやめました」
エスピノサ伯爵夫人コンスタンサが末の妹の暴走に歯止めをかけてくれたことに侯爵夫人は微笑を浮かべた。
「そんなことをしなくても王弟殿下は親切にしてくださるのでしょう?」
「はい、クレーンでジョン様と一緒に悪者を退治できました!」
勢い込んで報告するカイエターナは、その際にローディン王弟を何度もクレーンから振り落としかけたことを綺麗に忘れていた。
「でも、なかなか進展できません。礼儀正しいのだけど、名前も呼んでくださらないし」
不満げな様子の恋する乙女に、レオノールはそっと手を差し述べた
「いいこと、カイエターナ」
妹の頬を両手で包むようにして、黄金細工のような侯爵夫人は慈愛に満ちた表情で語りかけた。
「恋というのはね、殺るか殺られるかよ」
「……姉様?」
会話の飛躍について行けない第四王女は、美しい姉を見つめるばかりだった。ジョレンテ侯爵夫人は懐かしそうに回想した。
「私がイグナシオ様との結婚が決まって最初に決行したのは、あの方に群がる軽薄な浮かれ女どもを始末することだったわ」
「…あの、始末とは」
背後で声もなく目を剥くパロマをちらりと見やり、カイエターナは姉の本意を探ろうとした。
「狩猟大会で新型の猟銃の試射をしたの。バラハス製M70、六連発ライフル。彼女たちの趣味の悪い羽根飾りをことごとく吹き飛ばしてやったわ」
レオノールの声と表情からして、『命が惜しければ失せろ』という意思表示だったのだろう。戸惑う妹に侯爵夫人は教訓を垂れた。
「人のものになると手を出してくる恥知らずはどこにでもいるのよ。本気で戦う覚悟もない癖に」
カイエターナの脳裏にやけに馴れ馴れしいメイドの姿が浮かんだ。彼女は大きく頷いた。
「分かりました、姉様。背の君とはそこまでして守らねばならないのですね」
「短期決戦なら狙うのは心臓と眉間。カランサ将軍に教わっているでしょうけど」
「はい、いついかなる時でも油断しません」
「健闘を祈るわ、私の可愛い妹」
うっすらと涙ぐむ聖女のような表情で、レオノールは末の妹と抱き合った。侍女のパロマは物騒な会話にも動じず平然と仕事をこなす侯爵家のメイドたちを、異世界の生き物のように眺めた。
ジョレンテ侯爵が夫人とのなれそめ話を始めた時、ジョンはつい確認した。
「エスピノサ伯爵は第四王女殿下が夫人との仲の後押しをしてくれたとおっしゃっていました」
「ああ、カイエターナ殿下は私には愛の天使だよ」
侯爵は笑った。そして熊の毛皮の前で遠い目をした。
「最初にお会いした時、幼かった王女殿下は私を見て『グリス!』と叫んで飛びついてこられた」
「グリス(灰色)?」
「王宮にある最大級の大灰熊の剥製ですよ。殿下のお気に入りで、そう呼んでおられた」
目の前の侯爵は長身であっても無骨さや粗野とは無縁の洗練された貴族だ。彼の何が熊に通じたのか、ジョンには理解不能な感性だった。
――まあ、子供の言うことだからな。
無理矢理納得しようとする彼をよそに、侯爵の回想は続いた。
「それでレオノールが私に興味を持ってくれました。私たちは互いに一目で分かり合えた。そう、我々がB-13無煙火薬を愛用していることに」
「……は?」
耳を疑うような単語にジョンは間の抜けた声を出してしまった。侯爵は誇らしげに室内の毛皮類を指し示した。
「この部屋の半分は妻の獲物です。ああ、新婚旅行の夜に二人で仕留めて捌いた鹿肉は絶品だった……」
熱い夜の思い出に侯爵は浸り、王弟は繊細優美な侯爵夫人と居並ぶ毛皮剥製の群れとを結びつけるのに多大な苦労をしていた。
カサル・アギーラを取り囲む森を抜けた先、夜のヴァルヴェルデサーキット周辺は、尚も調整中の自動車が収まる簡易ガレージがあちこちにあった。
「社長、マシンは好調です。セルモーターも問題なく作動しますよ」
シャシーの下に潜り込んでいたエンジニアが、疲れた顔で笑った。プエンテック社社長エクトル・エステベスは満足げにレーシングカーを眺めた。
「明日はこいつでアコスタに引導を渡してやれるな」
社長の言葉に周囲のクルーが沸き立った。
「勿論だ!」
「優勝するぞ!」
いつの間にか円陣を組む彼らを眺め、社長は秘書に尋ねた。
「ライアンはどうしている?」
「セニョール・スミスはホテルできちんと休息を取っていますよ」
「そうか、明日は厳しいレースになるだろうからな」
ローディンから来たドライバーは昼間にヴァルヴェルデをテスト走行し、最高のラップタイムを叩き出している。クルーたちはその余韻で今でもテンションが高い。
意気軒昂なプエンテック社と離れた簡易ガレージでは、アコスタ社の蒸気自動車が最終点検を受けていた。本社から派遣された役員は、自動車を調整するクルーに苛々とした声をかけた。
「明日は勝てるんだろうな。プエンテックに負けたとあれば我がアコスタ社の、ひていは蒸気自動車の未来に関わるんだぞ」
「最善を尽くしますが、どうしても向こうより車体が重い分、レース後半に響いてきます」
「それを何とかするのが技術者だろうが!」
エンジニアを怒鳴りつけ、役員は帽子を掴むとガレージを出た。
「まったく、何で私がわざわざ、こんな田舎まで……」
このレースは本来、同僚が監督を担当するはずだった。それが突然の病休で会社に顔を出さなくなり、とばっちりのように役目が回ってきたのだ。
不運を嘆く彼の背後に、すっと近寄る者がいた。
「明日のレースは不利なようですね」
驚き振り返る役員の前に、若い男性が立っていた。かつてのプエンテック社の社員、破壊工作罪に問われ移送中に殺害されたはずの男、ラモン・セスコが。




