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41 サーキット

 ヴァルヴェルデサーキット。

 アグロセンの首都エスペランサから東へ、馬車で約二日の距離にあるトルド州の端に作られた、初の自動車レース専用サーキットだ。

 これまでのレースが野山を数日かけて走るラリー形式だったのに比べ、最初から結着までが目の前で見られる斬新さで業界では話題になっていた。


 王家の大型自動車でサーキット場前に到着したカイエターナは、グランドスタンドの巨大さに目を瞠った。

「まあ、古代の闘技場のようですね」

「戦いには違いありませんよ」

 彼女が降車するのに手を貸したローディン王弟ジョンも、広大なコースと爆音をけたてて走る車を珍しそうに眺めた。

「レースに参加する車は蒸気エンジンと石油燃料エンジン、半々くらいですね」


 コースを走る自動車に、そこまで目立った差は無かった。どうやって見分けるのだろうと車を凝視する第四王女に、ジョンが説明した。

「蒸気車は外燃機関。水を沸騰させ蒸気で外部からエンジンを動かすため、ボイラーと給水装置が必要になります。石油燃料車は内燃機関。エンジン内で燃料をガス化させ直接動かすのです」

「なら、大きな車が蒸気車なのですか?」

「一つの目安ですね。排気管の臭いならすぐに分かりますよ。ただ、石油燃料の臭いは人によっては気分が悪くなることもありますので気をつけてください」

「はい」


 ジョンの説明を楽しそうに聞くカイエターナに、筆頭侍女パロマ以下の付き人は好意的だった。

「王弟殿下はとても紳士的ですのね」

「我が王家の方々に比べると、多少見劣りはしますけど」

「何と言っても姫様があんなに幸せそうですし」


 パロマは同僚の囁きに頷きつつも、手放しで喜べない心境だった。カランサ将軍が要注意人物ビル・サイアーズとの接触に失敗し、しかも狙撃事件に遭遇している。弟もまた何の情報も掴めていない。

「どう見ても不自然だわ…」

 第一王女ビアンカも同意見だ。パロマは護衛を増強させた警備体制をもう一度見直そうと決意した。


 ローディン王弟の元に、プエンテック社の幹部が挨拶に来た。

「王弟殿下、わざわざのお越しありがとうございます」

「プエンテック社はローディンにとっても重要な企業ですから、応援するのは当然ですよ」

 穏やかな笑顔で言われ、社長以下は感無量の様子だった。ジョンは何食わぬ顔で探りを入れた。


「あれ以来、変わりありませんか」

「はい。おかげさまで、このレースを目標に順調に車を仕上げました。…ああ、役員の一人が休職しています。心神の耗弱とか」

「そうですか、大変な中でのレースなのですね」

 プエンテック社役員アロンソ・トレホンの入院については調査済みだ。というより、再度の要求を突きつけられた彼が体調に異変を起こしたというのが真相だ。


「明日のレースを楽しみにしています。ぜひ祝勝会を開きたいですね」

「はい、一同精励し最高の結果をお届けします」

 やる気に満ちた社長とスタッフを残し、ジョンはカイエターナをエスコートしてグランドスタンドを案内された。

「貴賓室はこちらになります。コースを一望できますよ」


 直線とカーブで構成されたコースでは、数台がテスト走行をしていた。珍しそうにサーキットコースを眺めた第四王女が残念そうに言った。

「ここからだと車がとても小さいのね。近くには行けないのかしら」

「レース当日は大勢の観客がいますし、走行車に事故があった時の安全面もありますから」

 ジョンに言われると、カイエターナはおとなしく頷いた。




 見学が終わると、王弟と王女の一行はジョレンテ侯爵の居城へと移動した。サイファンでは街のホテルに逗留したジョンだったがヴァルヴェルデは街から遠く、警備上の関係もあり侯爵の招待を受けることにしたのだ。当然、宿泊先も同じことにカイエターナは何の不満もない。

 ジョレンテ侯爵のカサル・アギーラに到着すると、正面玄関ホールで侯爵が出迎えてくれた。


「ようこそ、王弟殿下。お疲れでしょう」

 鍛え抜かれた長身の侯爵は美丈夫と呼ぶに相応しく、ハニー・ブロンドの侯爵夫人レオノールと並ぶとお似合いの美男美女だった。

 ――陸軍騎兵の金モールだらけの軍服が凄まじく似合いそうだな。夫人は黄金細工の女神のような黄薔薇だし。

 アグロセン王家と関係者はどうして目に痛いほど眩しい美形揃いなのだろうと考えつつ、ジョンは侯爵に城への招待の礼を言った。


「お招きありがとうございます、ジョレンテ侯爵。ご機嫌麗しく、侯爵夫人」

 礼儀正しいやりとりの後、カイエターナが無邪気に姉に駆け寄った。

「ご機嫌よう、お姉様、お義兄様。姉様、サーキットはとても大きな所でしたわ」

「会えて嬉しいわ、カイエターナ。よく来てくれたわね」

 再会を喜ぶ姉妹はゆっくり話せる部屋へ行き、ジョンは副官や護衛と一緒に用意された客間に案内された。


 荷物をほどき旅装から着替えると、ローディンの王弟一行は割り当てられた居間に集合した。

「大使館経由でフランシス・ゴードン卿から渡された報告書がこれだ」

 出発直前にビル・サイアーズとして大使館で受けとってきた封筒を、ジョンは部下に見せた。

「……これは、南方大陸で有望な油田発掘の可能性があったということですか」

「ムーラト半島シャルヤ湾。場所は絞り切れていないが、試掘していれば掘り当てられたかも知れない」

「それが、今はザハリアスがやりたい放題ですか…」


 悔しそうなジェフリーとロイドに向け、ジョンは底意地の悪い笑顔を見せた。

「不幸中の幸いなのは、あの帝国が未だにハズレを引き続けていると言うことだな」

「ムーラト半島だと、かなりの広範囲になりますからね」

「試掘権の設定はどうなっているのでしょうか」

 ロイドの問いに、ジョンは資料の一枚を取りだした。


「向こうも中々したたかだ。試掘は五年単位で更新をするとある」

「それでは、権利料をつり上げられる恐れもあると」

「タダでよそ者を我が物顔にさせない訳だ」

 これは最優先で母国の兄に送ることを決め、ジョンは次の問題に移った。


「トレホンが秘匿していたセルモーターの資料は、指示があれば彼のデスクに置いて役員室を空けていたようだ」

「では、その間に何者かが資料を見た?」

「写真に撮れば外部に持ち出す手間や危険とは無縁だ。おそらく、流出役はラモン・セスコだろう。確かにまだ開発中の部品ではあるが、あれは石油燃料車の未来を変えると言ってもいい」


 鉛蓄電池でエンジンをスタートさせるセルモーターが持つ意味を、彼らは承知していた。石油燃料車はエンジンを回すためにクランクシャフトを人力で回転させる作業が必要だ。重労働な上に、回転のタイミングがずれるとハンドルが逆回転を起こすキックバックで負傷する者が後を絶たない。

「確かに、誰でもスイッチ一つでエンジンを点火できるなら、クランク・ハンドルを回せないご婦人でも自動車を運転できますね」

「運転手を雇える者しかオーナーになれない時代が終わる」


 これで単価が下がれば大衆車への道が開ける。馬車も蒸気車も駆逐しモータリゼーションへの歴史が拓けるのだ。

「蒸気自動車のスタート時間短縮に限界が見えている時にこんな物を作られたら、メーカーは焦るでしょうね」

 ジェフリーが言うと、ロイドが懸念を訴えた。


「これが開発されたら挽回できないとなったら、妨害工作を仕掛けることはありえるでしょうか」

「考えておくべきだろう。明日のレースは西方大陸中が注目している。優勝者とその車が自動車の未来を決めるかもしれないからな」

 心して明日の計画を立てる王弟一行だった。


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