40 狙撃
ビル・サイアーズは裁判所の一階廊下を外から観察した。件の窓はわずかに閉め残し目印代わりにしてある。そのガラスの低い位置に小さな傷があった。まるで小石か何かがぶつかったような。
「何かをぶつけて音を立てた。静かな廊下なら気付く程度の音を。社長が窓を向き、外に何かを見た。冷静ではいられない物を。出入口を通る手間を惜しんで簡単に開いた窓から外に出る。それから……」
植え込み部分を辿ると、踏み散らかした跡があった。
「ここで待ち伏せされたか。抵抗したようだが」
足跡を詳しく見ようとした時、視界の隅で何かが光った。反射的に、ビル・サイアーズは身体を低くし植え込みの陰に隠れた。彼がいた場所の窓ガラスが砕けた。銃を抜き、海軍情報部員は応戦体勢をとった。
狙撃の次弾がどこから来るか、彼は待ち構えた。だが、その後の展開は予想もしないものだった。
隣の建物で悲鳴が上がり、屋上から落下する人影が見えた。それと同時に、裁判所の中庭に数人が踏み込んできた。ビル・サイアーズは上着の胸ポケットから万年筆を外し、中心からへし折った。途端に彼の周囲が白い煙に覆われた。
「何だ?」
驚く侵入者たちは視界を煙幕に遮られ身動きも出来なかった。ようやく煙を掻き分け目指す者を探した時、彼らは半開きの窓と煙で白く濁る廊下を見た。
「中に逃げ込んだか」
既に裁判所内では火事だという声と大勢が駆けつける物音がする。彼らは撤退するしか無かった。
侵入者が去ったことを、ビル・サイアーズは建物の陰から確認した。窓に投げ込んだ煙幕万年筆はこの騒ぎで何人もの人に踏まれて壊れ、騒動後はゴミとして処分されるだろう。騒ぎで建物から避難する人の群れに、彼は苦もなく紛れ脱出した。
「失敗した?」
ホルヘ・カランサ将軍は若い部下をぎろりと睨んだ。
「申し訳ありません。とにかく追いにくい相手で、しかも何者かの妨害がありました」
「妨害だと」
思いもよらない事態に将軍は白い眉をひそめた。部下は報告を続けた。
「はい、件の大使館員が裁判所で不審な行動をしていた所を、隣の建物屋上から狙撃があった模様です。狙撃者はすぐに仕留めました」
「首都の中心部でか? その狼藉者は? 大使館員は?」
「狙撃者は建物から墜落死、死体回収に向かったのですが発見できませんでした。大使館の男は運良く免れました。確保しようとしたのですが、急に火事騒動が発生し…」
将軍は部下を下がらせ考え込んだ。
「さて、末姫様にどのようにお伝えしたものか。二日後にはご夫君(未定)との地方視察があると言うのに」
悩める東方戦線の軍神は報告書をひたすら睨みつけた。
オテル・エクセルサス。ローディン王弟一同が終結した時、既に外は暗くなっていた。
「狙撃、ですか?」
副官ジェフリーがさすがに驚いた顔をした。護衛のロイドは王弟ジョンに負傷がないのを確認し、ようやく息をついた。
「裁判所隣の建物からだ。だが不思議なことに、狙撃者はすぐ後に自分が撃ち落とされていた。アシュリー、高等法院付近で落下事故の一報はあったか?」
「いや、そんなこと消防や病院にも入ってないよ」
彼らにお茶をサーブしたメイドが怪訝そうに応えた。王弟は頷いた。
「あの高さで助かるとも思えないが、お仲間が極秘裏に回収したか」
「どこの組織でしょうか」
ジェフリーに問いに、誰もが頭をひねった。
「分からない。と言うより思い当たる所が多すぎる」
彼らはこれまで、数多くの任務にあたってきた。その中で他国の諜報機関とぶつかったことも数知れない。
だが、ミゲル・ベセラの隠れた天賦を強制発現させたラモン・セスコといい、今回の敵陣は得体の知れないものがあった。
「外国の機関で天賦を扱える諜報員の情報はあるか?」
問われたアシュリーは首を振った。
「ないね、あれはローディン特有の物だし。それに逓減問題に対処できなければ諜報活動に使うには不安定すぎるから」
ローディン貴族特有の天賦はある年をピークに衰える逓減問題を抱えている。情報部ではそれまでに諜報活動のノウハウを築いて任務に支障がないようにするシステムが確立しているが、他の国でそこまでの研究はなされていないだろう。
「とはいえ、楽観視は危険だ。現に、ラモン・セスコはもう少しで『グローリー』号を破壊する所だった」
「あの社員は今後絡んでくるでしょうか」
「別人の死体まで使って死を偽装したんだ。用意した側は容赦なく使い潰すつもりだろう」
夏場なのにお寒い空気がホテルの一室に流れた。
やがて気を取り直したローディン海軍情報部員たちは、それぞれの調査結果を報告し合った。
「では、エルマン社の社長はおびき出されて拉致されたということですか?」
ジェフリーが驚き、アシュリーが紙束をテーブルに置いた。
「その日、裁判所に出入りした乗り物の記録。ほとんどが司法省の馬車だけど、一台、不審者侵入騒ぎの怪我人搬送名目で来てる」
「病院に記録は?」
「全くなし。拉致に使用したなら多分こいつだろうね」
馬車はごく普通の一頭立て。市民層が使う辻馬車タイプだ。
「これで下町あたりに紛れ込まれたら追跡は困難だな」
「拉致した社長の監禁場所だよね、問題は。首都内なのか、別の地域か」
推理するには圧倒的に材料が足りない。ジョンはアロンソ・トレホンとフランシス・ゴードン卿についても伝えた。
「ゴードンは大慌てで報告書を大使館に持ってくるはずだ。その時はビル・サイアーズに渡すようタウンゼント大使に連絡を」
「トレホンはどうするの?」
「もう一度締め上げる。あの資料を机の中でただ眠らせていたとは思えないし、取引相手とこちらとを天秤に掛けている頃だろうからな」
「ボクの後輩も悪どくなったもんだねえ」
「先輩の薫陶の結果だ」
茶化すアシュリーに言い返し、ジョンは不快そうに口元を歪めた。
「兄上が母上の影響下から抜け出すには国王としての実績を上げるしかない。南方大陸での資源調査もプエンテック社での次世代自動車開発もその一環だ。王太后に目先の利益をぶら下げられて国益を損なうような輩は必ず排除する」
青い瞳に剣呑な輝きを宿しながら王弟は宣言した。その場の誰もが無言で頷いた。
しばしの沈黙の後、ジェフリーがためらいがちに尋ねた。
「これからヴァルヴェルデの視察の準備もあります。その、第四王女殿下のことはどう計らえばよろしいですか」
「彼女が望むなら同行させる」
王弟の即答に、ロイドが驚いた声を出した。
「よろしいのですか」
「あの王女殿下の場合、放置する方が遙かに危険だ。目の届く所にいてくれれば対処法もある」
この数日間で痛感した教訓だった。
「了解」
副官と護衛は敬礼して諸準備の手配をし、ホテルのメイドだけがにやにやと笑っていた。
ロッサフエンテ宮殿では、ローディン王弟の意向を呑気に喜ぶ王家の人々がいた。
「まあ、ジョン様が同行を許してくださったの?」
「おまえが望むなら好きなだけお側にいていいとのことだよ」
同行を許可するという回答をかなり恣意的に拡大解釈し、父王は愛娘の笑顔に目を細めた。
「嬉しいわ、パロマ。あなたも一緒に来てね、チキティート」
「畏まりました」
侍女はやや警戒気味に、大型猟犬は嬉しそうに尾を振り王女に答えた。
「ヴァルヴェルデならレオノールの嫁ぎ先に近い。ジョレンテ候が狩猟シーズンに向けて揃えた馬でも王弟殿下にお披露目すればいい」
国王の提案に王女は勢いよく頷いた。
「そうします、お姉様とお義兄様にもお会いできるのですね」
カイエターナは楽しそうに愛犬の頭を撫でた。
「自動車レースを見るのも初めてだし、素敵な旅になりそうよ」
王弟一行の内情を知らない王女の夢は、薔薇色に膨らむ一方だった。




