39 失踪者
何度も呼吸を繰り返した後で、ようやくトレホンは声を出すことが出来た。
「……な、何者なんだ、どうやってこんな物を…」
『質問はこちらがする。ああ、人を呼ばないことだ。引き出しの中身を知られたくないだろう』
役員の手は知らないうちに震えていた。
「何が望みだ、金か?」
『あなたの取引相手の情報。嘘をつけば同じ写真が自宅と実家と奥様のご実家にも届く』
資産家の妻あっての優雅な生活だ。汗を拭きながら彼は弁解した。
「やめてくれ、私を破滅させる気か」
『自分の行動が会社を窮地に陥れる自覚はないようだな』
「あんな部品、実用化されるかどうかも分からないのに。それに取引相手のことは知らないんだ。お互いのためだと言われて顔も見ていない。ちょっと下小遣い稼ぎのつもりだったんだ」
『追って指示を出す。必ず従え』
それだけ応えると電話は切れた。呆然としたまま、トレホンは受話器を握り続けた。
配電盤室で、大使館員はリールから引き出したコードを収めた。役員室の配線を元に戻し、彼は素早く廊下の気配を探ると部屋から出た。
プエンテック社を出て、ビル・サイアーズは時間を確認する風を装い周囲の異変を探った。
――どうも今朝から視線を感じる。
あの監視者のような網を張り巡らす不気味さはないが、単純な分、強さはなかなかのものだ。
――諜報員ならもう少し殺気めいたものは押さえるんだが、別組織か?
特に工作もせず、ビル・サイアーズ――ローディン王弟ジョンは歩き出した。監視を外す手段は街中を歩けば充分だ。彼の天賦、認識阻害が人混みの中に存在を消していく。いつしか視線は届かなくなっていた。
「どうした?」
「いや、標的を追っていたはずなのに見失った」
「実は、自分も…」
部下から連絡を受けたのは、アグロセン東部国境軍で『影の精鋭』と呼ばれる暗殺部隊の指揮官だった。
「一人ならまだしも、誰も追尾すら出来なかったと言うのか?」
「申し訳ありません」
己の失態に顔色を無くす部下に、指揮官は溜め息をついた。
「仕方ない、仕切り直しだ。将軍には私が報告する」
彼らは瞬時にその場から姿を消した。
数十分後、ビル・サイアーズが立っているのは首都エスペランサにある高等法院だった。ここに来るはずのエルマン社長が姿を消した経緯を彼は実際に辿っていたのだ。
「秘書と一緒に自社の自動車で裁判所に来た。それから受付を通り法廷へと向かう時、秘書が廷吏に呼び止められ、身分証の提示を求められた。数分にもならない間に社長は消えた」
その光景を頭に浮かべる。廷吏は不審者が入り込んだと通報を受けて駆けつけた。通報者は不明だ。秘書を社長から引き離すための工作という可能性が高い。
「問題は、どうやって成人男性をあっさりと拉致できたか、だな」
目撃者がいないのが痛い所だが、現場で何かが掴めるかも知れない。ビル・サイアーズは用意した傍聴券を手に、裁判所に入っていった。
受付で渡した傍聴券は、失踪したエルマン社社長コンラド・エルマンが出頭するはずだった法廷のものだ。今日は会社の譲渡に関する訴訟のようだ。
石造りの大きな建物はいかめしく、法と正義を司る女神像がロビーに飾られている。それをいかにも感心したように見上げ、ビル・サイアーズはここに来たもう一つの目的を待った。
それは足早に姿を現した。前植民地相ゴードン。手紙で指示したとおり、ここには単独で来たようだ。彼は小さな待合室に入っていった。大使館員はその隣の小部屋を数秒で開錠し、入室した。
ローディンで植民地相を務めたフランシス・ゴードンは怒りに震えていた。母国で政敵に追い落とされ、この国で再起を図っていたのに想定外の問題が起こってしまった。
「…くそっ、誰があんな写真を……」
クラブで目を引いた可憐なメイドにバルで再会し、運命かも知れないねと笑う彼女と夢見心地で飲んだ。その後の記憶は定かではなく、一夜のお楽しみだと思っていたのに……。
苛立つ彼に嘲笑が浴びせられた。びくりとして待つ会室を見渡すが、誰もいない。
『そのままで、ゴードン卿』
再び正体不明の声に呼びかけられ、ゴードンは不安げに視線を巡らせた。諦めて椅子に座り直すと、声は彼に詰問した。
『エレノア王太后とどんな密約でここに逃げてきた?』
「わ、私は王太后陛下とそのようなことなど」
『その写真を本国の新聞社に売って欲しいのか?』
「よせ! そんなことをされたら二度と政界に戻れなくなる」
傲岸な態度が崩れ、前植民地相は哀願した。
『よほど植民地で吸った汁が甘かったようだな。南方大陸での資源調査に横槍を入れて中止に追い込んだ理由は何だ?』
「…どこまで知っている?」
『質問はこちらがする』
声は容赦がなかった。しばらく俯き膝に置いた自分の手を見つめていたゴードンは、観念したように口を開いた。
「情報が入った。あの湾にあるのは粗悪な褐炭だけだと。調査費の無駄遣いを議会に責められないように打ち切ったんだ」
『その直後にザハリアスが湾の試掘権を得た訳か』
北の大帝国の名に、前植民地相の肩がぴくりと震えた。みすみす資源を帝国にくれてやったのかと議会で追及されたのが、彼の凋落のきっかけだった。
「王太后陛下はおとがめにならなかった。時間を置いて返り咲けばいいとおっしゃったのだ」
『咲ける場所が残っていればの話だ』
冷徹に突き放され、ゴードンはやけ気味に正体不明の相手を責め立てた。
「なら、どうすれば良かったのだ。あのままローディンで記者に追いかけ回される日々を続けろというのか!」
『南方大陸の植民地の正確な資源調査結果を大使館に提出しろ。三日以内だ。一日でも遅れたら、あの写真がどこに出回るか分からないと思え』
ゴードンは立ち上がり、見えない声の主に抗議しようとした。しかし彼は次第にうなだれ、ふらふらと部屋を出て行った。
隣室の壁から外した拡声装置を折りたたみ、ビル・サイアーズ三等理事官は何事もなかったように小部屋を出た。彼はそのまま第十二法廷に向かった。
既に裁判が始まっていたため、法廷の扉は閉じられていた。手帳を取り出し残念そうに書き込む大使館員を誰も気に留めなかった。
――秘書が呼び止められたのが、あの角の所。ちょうどエルマン社長が死角になる場所か。通報を受けただけにしては計算されたような位置取りだな。
例の廷吏を探らせようとビル・サイアーズは書き留めた。ただ、廷吏に気を取られていたとはいえ、至近距離で暴力沙汰があれば秘書が気付かないとは考えにくい。
――となると、エルマン自ら離れていったと見るのが妥当か。
彼が何かに気を取られ、出廷を忘れるほどの反応を見せるのは何だろうか。
――ここで大声は出せない。どうやって彼をおびき出し、人目の付かない場所で身柄を確保できた?
失踪者が最後に目撃された場所に三等理事官は佇んだ。開廷中の廊下に人影はない。
――物音で注意を引けないなら、何かを見せた? 一代で会社を築いた優秀なエンジニアが自制心を失うほど動揺するものを。
それなら持ち主の後を追い、問いただそうとしたかも知れない。物陰で何者が待機していたかも知らずに。
廊下は裁判所の中庭に面していた。ビル・サイアーズは窓の前に来た。窓はどれも内側から施錠され、天井に近い換気窓が開いているだけだった。施錠部を観察するうち、一つだけが他と異なっているのに彼は気がついた。
――ここだけ随分と緩くなっている。
外に何かあればすぐにでも開けられそうだ。ビル・サイアーズは窓の下を見た。そして鍵を開け窓を押し上げた。窓下の植え込み部には足跡があった。
「ここから出たのか…」
窓を戻すと彼は一旦外に出た。




