37 守ってみせます
カイエターナはテラスに向かい、庭から車寄せに近寄った。ローディン王弟は自動車に乗り込もうとするところだった。
「……あ…」
声をかけようとした第四王女は立ち止まった。ジョンの横顔は見たこともないほど深刻な表情を浮かべていたのだ。まるで見知らぬ人のように思え、カイエターナは庭園の茂みの影から出ることができなかった。
王弟の随行員が周囲を警戒しながら自動車に同乗する。カイエターナは彼らが話すローディン語の中に聞き覚えのある名を拾い上げた。
――……ビル・サイアーズ…。
王宮の庭園で長姉ビアンカたちが話していた名だ。そして、昨夜のことが彼女の頭に浮かんだ。あの時、ジョンが何故かウェイターをしていた店で『ビル』という名が呼ばれていなかっただろうか。彼に正体不明の尾行がまとわりついたのはその直後だ。
「まさか、その者がジョン様のお命を狙っていたの?」
その可能性は一瞬で彼女の怒りに火を付けた。カイエターナはホールに戻り、控えていた侍女を呼んだ。
「パロマ、私、明日すぐに王宮に帰るわ」
「どうなされたのです、姫様」
「カランサの爺と相談するの。ビル・サイアーズとかいう悪党の暗殺計画を」
仰天する侍女をよそに、アグロセンの第四王女は輝く二つの月に誓った。
――ご安心なさって、ジョン様。あなたは私が守ってみせますわ!
ローディン王弟一行の宿泊先であるファイサン最大のホテルでは、出発準備が慌ただしく進んでいた。
ジョンは首都からの電信文を何度も読み返した。そこにはアシュリーからの最新情報と本国からの極秘情報があった。
「石油燃料自動車を開発中のコンラド・エルマン社長、特許権訴訟のため裁判所に向かう途中で失踪。これに呼応してローディンで蒸気自動車派の運輸相ナサニエル・ダーリントン卿がプエンテック社からの撤退を議会に提議」
「ダーリントン卿は王太后陛下のご実家に連なる者では」
「ウォータールー侯爵家のな」
陸軍に派閥を持つ一族だが、例に漏れず海軍とは対立している。ウェリントン伯爵令嬢マーガレットが王妃になることに最も強固に反対していたのも彼だ。
対応が早すぎる。ジョンは疑念を抱いた。
「…まるで用意していたような周到さだな」
「殿下もそう思われますか」
副官のジェフリーも同意見のようだ。その隣で護衛のロイドも頷いている。ジョンは忌々しそうに言った。
「プエンテック社は兄上の肝いりで設立された合弁会社だ。ローディンのみならずアグロセンの自動車産業の命運も担っている。それをこんな事で…」
考えられるのは若い国王をどこまでも自分の庇護下に置きたい王太后と、傀儡政権に利権絡みで協力する蒸気自動車/メーカーだ。
「首都に戻ったらより強力な体勢で情報収集が必要になる。それと、ファイサンでの失態を罵倒したい奴が手ぐすね引いて待ってるからな」
副官と護衛は同時に該当人物を思い浮かべ、顔を引きつらせた。
かなりの強行軍にさすがにくたびれたエンジン音でローディン王弟の自動車がオテル・エクセルサスに戻ってきたのは翌日の午後だった。旅の疲れも見せずに王弟たちは最上階に上がった。部屋に入ると明るい声が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、殿下」
明るい茶色の髪を二つ結びにしたメイドのアリサ――ローディン海軍情報部員アシュリー・カニンガムだった。表情に反して全く笑っていない目を向けられ、ジョンたちは自然と背筋が伸びた。
彼らだけになった居間で、アシュリーはどさりとソファに腰を下ろした。
「聞いてるよ、ファイサンでは大変だったね」
ねぎらいの言葉なのに胸に突き刺さるのは何故だろうとジョンは考えた。
「あー、その、色々と計算違いが」
「うん、麗しの第四王女殿下だよね」
「嫌みったらしい言い方をするな」
「じゃ、直接攻撃していい?」
バキバキと指を鳴らすメイドにジョンは降参するほか無かった。
「こちらの作戦ミスだ」
「そうだね、おまけにたった一日で状況が激変するし」
自分で淹れたお茶を飲み、アシュリーは多少なりとも落ち着いたようだった。
「ローディンの情報はママと兄さんたちに任せておけばいい。ボクたちが集中すべきはここで解決の糸口を掴むことだよ」
ここまでに仕入れたものを総括しろと、アシュリーは乳兄弟に視線で指示した。ジョンは暗号でメモした手帳を取り出した。
「まず、情報部員が失踪したのは裁判所かその付近。傍聴券はサモラ家の遺産相続に関する件。結局後妻の連れ子が荒れ地を押しつけられて貧乏くじを引く形で結着。嫌がらせなのか、他の相続権がある親族全てに荒れ地の権利を放棄させている」
アシュリーが頷き、続きを促した。王弟は次に成金と揶揄される社長のことを話した。
「マルケス社社長、ウーゴ・マルケス。ザハリアスの油田開発の権利を得て成り上がった。だが肝心の油田が枯渇の危機にある。なのに大量の燃料を必要とする大型船舶の会社に燃料を売り込みに行った。商談は秘密裏に行われている。マルケス社が石炭の鉱山を手に入れた事実はなし」
次いで彼はローディンが関わる合弁会社に言及した。
「プエンテック社の役員は新型車の自動スターターの情報を隠匿していた。そして若い社員ラモン・セスコは『グローリー』号の破壊工作に加担。憲兵隊に身柄確保されるも移送中に殺害される。ただし、焼却場に届けられた遺体は別人のものだった」
カップをテーブルに戻し、メイド姿の情報部員が後を受ける形で話し始めた。
「まず本国からの連絡。ダーリントン卿は案の定、会社とズブズブ。こっちは泳がせて一網打尽を狙ってる。王太后陛下のご実家、ウォータールー侯爵家は背後で糸引いてるね。もう少し露骨に欲かいてくれると助かるんだけど、これも揺さぶりかけてみる。アグロセン駐留大使時代に馬鹿なハニトラに引っかかったドワイト・アンダーソン卿を使うよ。あのボンクラも最後くらいお国の役に立ちたいだろうし」
本人の意思など考慮せず、情報部の先輩は周囲の温度を引き下げるような笑顔を浮かべた。
「で、ここは強硬手段を取る必要があるのは分かるね」
「ああ。元々倫理も名誉も存在しない世界だ」
それを聞き、無邪気な顔でアシュリーはカードのように多くの写真を扇状に広げた。
「じゃ、使えるの選んで」
写真はどれも、裕福そうな紳士たちが鼻の下を伸ばしきった顔でだらしない姿をさらしている。その隣には茶色の髪を二つ結びにした可憐なメイドが親密そうに密着していた。
「……いつ、こんなものを」
硬い声で問う王弟に、メイドは陽気な笑い声をたてた。
「いやあ、働いたんだよ、ボク。もうクラブというクラブにメイドとして潜り込んで、バルにも顔を出して。お偉いさんは色々ため込んでるねえ。大変でしょう、おつらいでしょうって声かけたらチョロかったなー」
「これはプエンテック社、こっちはマルケス社、アコスタ社の会長もいるし、こっちは王宮御用達の商会の……」
副官のジェフリーが、アグロセンの産業界オールスター状態の写真に目眩をこらえていた。どの一枚もスキャンダルを引き起こすのに充分だ。
「有効に使うんだよ。結局諜報は飲ませて抱かせて金握らせて、弱みを掴んだ所から搾り取るんだから。今は正当性なんてドブに捨てて目的主義教に入会でもするんだね」
足を組んだメイドは堂々と権謀術数主義を論じた。あまり見たくない写真の束から、ジョンは一枚を引き抜いた。
「まずはこれだな」
メイドのスカートに手を入れ脚を撫でているのは前植民地相だった。完全失脚の片道切符同然の写真は、早速短いメッセージと共に封筒に入れられた。
「誰に届けさせるの?」
当然アシュリーは使えない。ジョンは仕方なさそうに答えた。
「ビル・サイアーズだ。大使館からと言えば圧力も増すだろう」
「いいね、それ。狙われる立場なのに脇がガラ空きな連中にはいい教訓だよ。生かす機会があるかどうかは別にして」
血も涙もない言葉を、情報部の後輩たちは聞かなかったことにした。次いでプエンテック社の役員の写真を選び、苦笑交じりにジョンは手帳に挟んだ。
彼らの逆襲作戦が始まろうとしていた。




