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36 審美眼

 社交上の手続きが一段落すると、ローディン王弟一行は細々とした情報やその断片を付き合わせた。

「マルケス社がザハリアスとは別の油田に目を付けたと見ていいだろう」

「それを受注に焦っているイービス造船に売り込みに来た」

「表だっての交渉ではなさそうですね」

「いかがわしい酒場で談合するほどだからな」


 あのまま『ガヴィオータ』で内容を盗聴する予定だったのに、予想外の展開で吹き飛んでしまった。更に謎の尾行もある。

「自動車を持ち出してくるほどだ。資金はそれなりにある組織らしいな」

 ジョンの見解にジェフリーとロイドも頷いた。

「パンクさせられたのなら、移動は困難なのでは?」


 副官の言葉に、ジョンは今夜の計画を立てた。

「この街はエスピノサ伯の領内だ。王女殿下を狙ったかも知れないとほのめかせば協力を取り付けられるだろう」

 そして彼は昨夜の酒場で耳にした途切れ途切れの言葉を脳内に呼び起こした。


「……ヴァルヴェルデ」

「それは自動車レースの会場がある地方ですか」

「聞き取れたのはそこまでだ。何かの関連場所なのか、その近郊なのかは不明。だがちょうどプエンテック社から招待されていることもあるし、観艦式に間に合う距離だ」

 副官たちは直ちにスケジュールの調整に取りかかった。




 エスピノサ伯爵邸の夜会には、ファイサンの主立った紳士淑女が参加していた。彼らが最も注目するのは勿論、王家の秘蔵っ子である第四王女カイエターナだった。

 青い絹地に純白のレースを使った夜会服は居並ぶ貴婦人たちに賛嘆の吐息を漏らさせ、紳士たちはこぞって挨拶の列をなした。


 にこやかに彼らと言葉を交わす美貌の王女は、早くもイモまみれになった視界にげっそりしていた。ついついホールの入り口に目をやってしまう彼女の耳に、待ちかねた名が呼び上げられた。

「ローディン王弟、プランタジネット伯爵様ご到着です」

 ホールがざわついた。それはやがて困惑の囁きに取って代わった。

「王弟殿下はどちらに?」

「先ほどお見えになったのは……」

「もしかして、あの海軍の制服の方?」


 心許なさそうな周囲をよそに、黒髪の王女はいそいそと彼の元に足を運んだ。

「ご機嫌よう、ジョン様」

「王女殿下もご機嫌麗しく」

 親しげに第四王女が挨拶する相手がそれと知った周囲は、これまでとは違った雰囲気へと変わった。


「……地味な方ですのね」

「王女殿下は大層親しげなご様子だが」

「カルバーソ公子を始め、数多の見目麗しい貴公子に求婚されているというのに」

「いくらローディンの王族でも、あまりに不釣り合いでは?」

 ジョンに会えて舞い上がっているカイエターナの耳に届かなかったのは幸いだった。


 王女に挨拶した後、ジョンは屋敷の主であるエスピノサ伯爵に招待の礼を言った。

「お招きありがとうございます」

「ロッサフエンテ宮以来ですかな、殿下」

 王国きっての美男子と呼ばれる伯爵は、王宮の紅薔薇と称えられた妻コンスタンサと並ぶと迫力の美形夫婦だった。眩しい思いを堪えながら、ジョンは彼らと会話をした。


「カイエターナが悪戯で困らせて申し訳ありません」

「いえ、こちらこそ大事な姫君に怖い思いを…」

「楽しかったとはしゃいでいましたわ。まだまだ子供ね」

 優雅に微笑む伯爵夫人に、王弟も同調した。彼をテラスに誘ったのはエスピノサ伯爵だった。

「王宮の薔薇庭園には及びませんが、今は夏の花が見事ですよ」

 紳士二人はグラスを手に庭を眺めた。


 他の者の耳がないことを確認し、ジョンは伯爵に事実を告げた。

「昨夜、視察中に下町で出会った王女殿下を宿泊先にお連れしようと思ったのですが、尾行に気付きました」

 伯爵の描いたような眉が微かに動いた。


「それはカイエターナ殿下が目的で? 

「分かりません。自動車を使ってまで追跡してきたので、やむなく海に避難しました」

「……そうでしたか」

「港に続く崖沿いの坂道でタイヤをパンクさせた自動車の報告はありませんか?」

「市警に問い合わせよう」


 すぐさま伯爵は使用人を呼び、市警本部に連絡を取らせた。その迅速ぶりにジョンは驚きを隠せなかった。

 彼の心中を察したように伯爵は笑った。

「王女殿下は私にとっての恩人なのですよ」

 月明かりの横顔も絵になる彼は、懐かしむような目をした。


「昔、私がコンスタンサに恋する多くの青年の一人だった頃、我が家は投資の失敗で傾きかけていました。それでも妻が私を選んでくれたのは、幼いカイエターナ殿下が私は他の者と違うと推してくださったからです」

 それだけ際だった貴公子ぶりだったのだろうとジョンは解釈した。彼は苦笑気味に言った。

「王女殿下はそれほど審美眼の優れた方ですのに、私などに興味を持たれたのがどうしても不思議で…」


 目を瞠った伯爵は笑い出した。

「私の顔など、彼女にとって大した価値はありませんよ」

 その意味が理解できずにいる王弟に、副官が敬礼し声をかけた。

「失礼します、殿下。首都より急報です」

 その内容を聞き、ジョンは顔色を変えた。

「伯爵、申し訳ありませんがお暇させていただきます。あす、早朝にここを発ちますので」


 驚きつつも、伯爵は彼を引き留めなかった。

「そうですか、カイエターナ殿下が残念がるでしょう」

「どうか、よしなに」

 伯爵に丁寧に詫びた後、ローディンの王弟一行はひっそりとホールを後にした。



 カイエターナはジョンが義兄と話し込んでいるのを眺め、溜め息を堪えた。仕方ないわねとエスピノサ伯爵夫人コンスタンサが笑い、妹をたしなめた。

「お客様をもてなすのも女主人の仕事よ。王族なら尚更、様々な国の方を迎えるのだから」

 社交で夫を支え、新産業時代を生き残らせた彼女の言葉を第四王女は傾聴した。そこに一人の年輩の貴婦人が息子らしき青年を伴ってやってきた。


「いい夜ですわね、メレンデス侯爵夫人」

 コンスタンサが魅惑的な微笑みを浮かべて挨拶した。気圧されそうになりながらも侯爵夫人は子息をアピールした。

「ご機嫌よう、エスピノサ伯爵夫人、王女殿下。こちらは我が家の次男エクトルですの」


 カイエターナは軽くお辞儀をした。侯爵家の息子の方は王女の美貌に見とれるばかりだった。侯爵夫人は息子に何の反応も見せない王女に怪訝そうな顔をし、彼女が気にするテラスへ視線を向けた。伯爵と話し込んでいるローディン王弟がそこにいた。

 侯爵夫人は周囲の友人たちに内緒を装って語った。

「ご存じかしら、あの国では王太后が長男だけを溺愛して、次男はいない者同然の扱いらしいですわ。まあ、王位に最も近いのに僻地の伯爵家しか継げなかったくらいですもの。よく我慢できますわよねえ」


 貴婦人たちから驚きの声と嘲るような笑い声が起こった。カイエターナは冷たい視線を彼女たちに浴びせた。

「ジョン様…、王弟殿下はご家族の不満など何一つ口になさりません。とても控えめな方なのです」

 予想外の反応に戸惑った侯爵夫人は、すぐに体勢を立て直した。

「ええ、控えめすぎて見過ごしてしまいそうでしたもの」

 無遠慮な笑い声が彼女の言葉に追従した。第四王女はこの無礼な者どもに愛犬をけしかけてやれないのを真剣に残念がった。

 ――いいえ、我慢よ。どうせイモがゴロゴロ騒いでいるだけだもの。


 視界を浄めようとローディン王弟の方を向くと、何やら緊迫した様子だった。随行員たちが即集合し、ジョンは伯爵に断りを入れてホールから出て行く。

「……ジョン様」

 自分の方を振り向きもせず去って行こうとする彼に、カイエターナは愕然とした。何かがあったに違いない。そう確信し、彼女は姉に告げた。

「風に当たってきます、お姉様」

 唖然とする貴婦人たちを残して第四王女はテラスに向かった。


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