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34 2度目の質問

 酒場『ガヴィオータ』の窓から、中をうかがう二組の視線があった。忙しく働くローディン王弟の姿を見つめ、片方がため息を漏らした。

「ねえ、あの方は給仕の服を着ても素敵だと思わない?」


 幸福そうに囁くのは第四王女カイエターナだった。同意を求められた愛犬は、興味なさそうに欠伸をした。

 散歩にかこつけて彼女はファイサンの中心部にあるホテル――ローディンの王弟一行の宿泊先へとやってきた。


 ホテルを眺めて気が済んだら戻るつもりが、ジョンが粗末な服に着替えて裏口から外出するのを見つけてしまった。幸運に打ち震えながら、恋する乙女は彼が働く姿をうっとりと眺めていたという訳だ。

 決して治安が良くない地域なのだが、時折声をかけてくる酔漢は大型犬に唸られては撃退されていた。



 ビルと名乗り酒場で諜報活動をするジョンに、店主が声をかけた。

「おい、ビル。外で騒いでる酔っ払いを追っ払っとけ」

 窓から様子を覗ったローディン王弟は目を疑った。大型の猟犬が酔っ払いにのしかかり、それを若いメイドが宥めている。メイドの顔には覚えがあった。あるところではなかった。彼は外に飛び出した。


「何でここにいるんですか、王女殿下」

 本日二度目の質問だった。

 どうにかして男と犬を引き剥がそうとしていたカイエターナは、思いがけず出てきたジョンに満面の笑みを浮かべた。

「ご機嫌よう、ジョン様」


 そして、ビル・サイアーズとしての彼の姿に目を細めた。

「変わったご様子ですけど、素敵ですわ」

「…それはどうも」

 一応笑顔で答えたものの、彼の内面は大嵐だった。


 ――やはりこの王女殿下には認識阻害が通用しないのか。いや、そもそもどうしてこんな時間にこんな場所に? しかもどう見てもメイドの制服で。

 言葉が続かない彼に、王女は申し訳なさそうに言った。

「お邪魔してごめんなさい。この服だと気付かれないのが楽しくて、ここまで来てしまいましたの」


 姫君らしからぬ無駄な実行力を呪うのは後にして、ジョンは彼女を安全に帰還させる方法を考えた。

 ――ジェフリーたちはバックアップに回っているし、エスピノサ伯爵に連絡を取るにしても……。

 取りあえず、犬に襲われて情けない声を上げている酔っ払いを救出して追い払い、彼は王女の身の安全を最優先事項に切り替えた。ウェイターのエプロンを外し、店の者に急用が出来たことを伝える。


 その間、カイエターナはジョンと一緒にいられることに有頂天になっていた。

「やっぱり来て良かったわ、チキティート」

 忠実な猟犬は取るに足らない敵に飽き飽きした様子で散歩の続きをせがんだ。


「お待たせしました。ひとまず私の宿泊先に行って姉君にお知らせしましょう。きっと心配しておられますよ」

「そうね……」

 優しい姉を心配させていることに気がつき、さすがに王女は反省した。大型の猟犬を連れ、おとなしく王弟と並んで歩き出す。


 一区画を過ぎたあたりでジョンは異変を悟った。

 ――尾行か。狙いは僕か、それとも王女殿下か?

「失礼、殿下」

 そう言うと彼は王女の手を引き、近くの酒場の裏口へと走った。開いていた扉の陰に身を隠し気配を伺う。


 尾行者は足を止めたが立ち去る様子はなかった。

 ――本気で逃走する必要があるな。

 自分一人ならどうにでもなるのだが、今は同行者を危険にさらすことは出来ない。どうしたものかと思い悩んでいると、不意に店舗から出てきた者と鉢合わせした。言い訳をする前に、男は二人の肩を掴んだ。


「やっと来てくれたか! 予備の衣装はそっちにあるから速く着替えて!」

 二人は小部屋に押し込められた。犬が唸るのにカイエターナは慌てて命令した。

「そこで待ってて、チキティート。…ジョン様、どうしましょう」

「ダンサーと間違えられたようだが」

 派手な衣装が並ぶのに苦笑し、王弟は尾行を巻くチャンスだと思考を切り替えた。

「私は向こうを向いていますので、適当なものに着替えてくれませんか?」

 けばけばしい安物の衣装を申し訳なく思ったが、王女の声は弾んでいた。

「はい。一人で大丈夫です」


 メイド服を着替えた要領で行けばいいと、カイエターナは露出の多い衣装を手にした。小部屋の外では店主らしき男が愚痴を続けている。

「ったく、『ガヴィオータ』の奴、うちのダンサーを引き抜きやがって。おかげでホセとダナは踊りどおしさ。ちっとは休憩させねえと倒れちまうよ、年だってのに」


 どうにか着替え終えた二人は互いを目にして驚きの表情になった。王弟はズボンと同じ黒いシャツ、やはり黒の中折れ帽を深く被り煙草をくわえている。王女はスリットが深く入った細いシルエットのドレスで外側は光沢のある黒、内側は深紅の裏地が使われていた。


 さすがに少しは顔を隠しておくべきだろうと、ジョンはレースのヴェールが付いた髪飾りを黒髪にピンで留めてやった。興奮気味にカイエターナが囁いた。

「素敵です、ジョン様。私はダンサーに見えまして?」

「……はい」

 ――こんないかがわしい衣装を着せたと知られたら、『三輪の薔薇』に粛正されそうだな。


 せめてダンスが簡単なものであることを祈りながら、彼は店舗の様子をうかがった。フロアでは少し年配のカップルが踊っている。その特徴のあるステップを見てローディンの王弟は頭を抱えたくなってきた。

 ――よりによってミロンガか……。


 ミロンガとは南方大陸の港町で酔った水夫が娼婦と戯れるように踊ったのが起源とされるダンスの一種で、官能的かつ挑発的なことで知られている。男女が密着し互いの足を絡めるようなステップが露骨に性行為を連想させるため、かつて植民地相が「上流階級には相応しくない」と忠告したほどだ。

 こんなダンスなど出来ないと言われた時の対応をジョンは必死で考えた。しかし、隣のカイエターナは真剣そのものの顔でダンサーの踊りを観察していた。彼女はジョンを振り向き小声で尋ねた。


「あれを踊るのですね」

「しかし、あれは……」

「では、お相手お願いします」

 音楽が終わり、まばらな拍手の中をダンサーが息を切らしながら引き上げてきた。店主が二人の背を押した。

「適当にやってくれ。さあ、皆様、続いてはカティア&マルシオ!」


 二人は店の中へと進み出た。酔っぱらいたちは好き勝手に冷やかした。

「今度は少しは若いんだろうな」

「姉ちゃん、もったいぶらねえで脚見せろや」

 ジョンが王女をホールドすると、古いバイオリンとピアノが哀愁の漂う旋律を奏で始めた。二人はゆっくりと動き出した。


 南方大陸での任務でプロのダンサーから直伝されたジョンはカイエターナがどこまで付いてこれるかと不安だったが、彼女は見事なステップを見せた。

 音楽はゆったりとした滑り出しから次第に激しく速い曲調へと変わっていく。一歩間違えば脚が絡まり転倒しかねないステップを軽々と決めながら、二人は踊り続けた。


 ヤジを飛ばしていた客たちが目を丸くして見入っている。

 やがて曲はクライマックスに達し、叩きつけるような音の中でカイエターナはジョンの腕に飛び込んだ。彼がパートナーの腰をしっかり抱いてフィニッシュポーズを作ると同時に音楽がやんだ。数秒遅れで酒場に拍手と歓声が沸き起こった。


「ブラーボ!」

「カティア!」

「マルシオ!」

 ダンサーの名を呼ぶ声と床を踏みならす音で、酒場が揺れるほどだった。

 ――よし、これで後は休憩とでも言って外に出れば誤魔化せるか。

 撤退計画を立てていたジョンの耳に、乱入者の声がした。

「ごめんなさい、遅れて。カティアとマルシオよ!」

 最悪のタイミングで本物が登場したのだ。

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