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33 お散歩

 こうなったら仕方ないと王弟ジョンは腹をくくった。王女に手を貸しながら櫓を下り、二人で車輪台からどうにか地面に戻った。彼らの前に顔色を失った社長が出てきた。

「お二人ともご無事で何より……」


 悲惨な五番クレーンを極力見ないようにしながら、ジョンは彼に説明した。

「王女殿下の無事を確認しようとしたら、巻き込まれてしまいまして…」

 大型クレーン同士の一騎打ちという想像を絶する状況に、社長の顔は引きつりっぱなしだ。対照的に明るい声を出したのはカイエターナだった。


「心配してくださったのですね」

 黒い瞳が純粋な歓喜にきらめいている。良心の呵責を刺激されながらも、ジョンはいつもの茫洋とした笑顔を作り出した。社長は彼の服装について質問した。

「その服はどうされたのですか」


 想定内の追求にジョンは照れくさそうに答えた。

「船に気を取られて足元の油を踏んで滑ってしまったもので」

 彼の背後で、副官のジェフリーが神妙な顔で汚れた海軍の制服を抱えていた。社長は取りあえず納得したようだった。


 ローディンの王弟は第四王女の向けて申し訳なさそうに言った。

「このような格好で申し訳ありません。あまり側に寄ると汚れますよ」

「構いません」

 カイエターナにとっては、正装した百人の貴公子よりも作業服姿の彼の方が美々しく見える。ジョンの腕に手をかけ、第四王女は堂々と造船所を後にした。




 名残惜しそうにカイエターナは王弟と別れ、王家の自動車で姉コンスタンサの館に出発した。それを見送り自分の車に乗り込むと、ジョンは大きく息を吐き出した。

「何も言うな。今、始末書の様式と記載例を思い出しているんだ」

「以前提出したものの写しがありますよ」


 副官が慰めにならない言葉を掛けた。諦めたようにジョンは質問した。

「あのクレーンの操縦士は?」

「病院に緊急搬送されました。全身打撲のようですし、回復には時間がかかるでしょうね」

「意識さえ戻ればどうにでもなるのに」


 悔しさを滲ませ、王弟はマルケス社社長の情報を伝えた。

「どうやら石炭に変わる燃料を開発したようだ。ザハリアスの油田は枯渇しかけているのに強気だったな」

「あの会社が別の油田を掘り当てた話は聞きませんが」

「当てはあるといったところか…」


 あの邪魔さえなければと忌々しげにジョンは舌打ちした。そこに、ホテルでアシュリーが渡してくれた書類ケースを差し出された。

「先輩からの特別メッセージです」

 ケースの蓋にメモが留めてある。そこには、ファイサンの住所と酒場らしき店の名前があった。

「まだ仕事が残っていると言うことか」

 苦笑しながらも、ジョンはこの手がかりを無駄にするつもりはなかった。




「よく来てくれたわね、造船所で騒ぎがあったようだけど」

 ストロベリー・ブロンドを波打たせ、エスピノサ伯爵夫人コンスタンサが妹を出迎えた。

「ええ、お姉様。とても大変でしたの」

 カイエターナは楽しげに一連の出来事を語った。エスピノサ伯爵夫妻は返答に困ることとなった。

「……大変だったのね。今夜はゆっくりお休みなさい」

「ありがとうございます、コンスタンサ姉様」


 姉の気遣いに感謝し、カイエターナは客用の続き間に案内された。

 部屋に入るなり、彼女は侍女パロマに尋ねた。

「ねえ、あれは用意してくれた?」

「…はい、古い物ですがお借りしてきました」

 侍女が渋々差し出したのは伯爵家のメイドの制服だった。王女は早速それに着替えた。


「どう? メイドに見えるかしら?」

 はしゃぐ彼女に侍女は首を振った。

「姫様は何をお召しになっても王女殿下ですよ」

 鏡の中の自分を見て、カイエターナはむっと顔をしかめた。

「髪型のせいかしら」


 黒髪を下ろし、彼女はホテルのメイドを思い出しながら二つのお下げにした。トランクから王女の衣装を選んでいたパロマが一応釘を刺した。

「お休みになる準備をしますから、それは着替えましょうね」

「はーい」

 上の空で返事をし、カイエターナは同じ自動車で連れてきた愛犬にそっと言った。

「おいで、チキティート」

 大型猟犬は主人が首輪に引き綱を着けると期待の目を向けた。こっそりとカイエターナは部屋を出た。


 メイド服で犬を連れていると、すれ違う伯爵邸の使用人からは何も言われなかった。だんだん愉快になってきた第四王女は、猟犬と一緒に庭に出た。

「こんなに気付かれないなんて思わなかったわ」

 アグロシアン・ウルフハウンドは門の方を向いて鼻を鳴らした。上機嫌の王女は悪戯っぽく笑った。

「そうね、お散歩に行きましょう、チキティート」

 犬を連れた黒髪のメイドはあっさりと門を通り、丘の麓に見える港町へと歩き出した。




 ファイサンは良港に恵まれ、必然的に寄港する船員が求める娯楽産業が発展した町だった。

 港付近の赤線地帯で飾り窓の女たちが媚びを含んだ視線を投げかける。裏町では安宿と契約した売春婦やポン引きが行き交う船乗りに声をかけ、彼らから金を巻き上げるための賭場も数え切れないほどだ。中でも最も多いのが酒場だった。


 その中の一つ、『ガヴィオータ』は今夜も賑わっていた。適度な広さのある店は音楽やダンスで客を盛り上げ、酒の消費量を上げるのに一役買っていた。

 厨房は戦場並みに殺気立っており、そこから食事や酒のつまみが次から次へと出来上がり、各テーブルに運ばれていく。

「ほら、三番だ」

 名物の魚料理の皿を盆に載せ、ウェイターが器用に仲間や客をよけながら運んだ。


「お待たせしました、赤魚と直角貝の煮込みです

「来た来た、これだよ、ファイサンに寄ったらこれを食べないと」

 既に酒で鼻の頭が赤くなっている船乗りが大声を出した。チップを投げられたウェイターは小銭を掴むと礼を言った。

「ありがとう、ごゆっくり」


 厨房に戻ったウェイターはすぐに呼び出された。

「おい、ビル。こっちを六番に」

「六番ね」

 奥まった席に座る者を見て、ビルと呼ばれたローディン王弟ジョンは微かに笑った。そこにはいつもの派手な服装ではないマルケス社社長が座っていたのだ。


 同席しているのは船乗り風の服が板に付いていない男だった。やたらと周囲を気にして小声で話そうとするが、騒がしい酒場では通じず結局大声になっている。

「君、本当にここで間違いないのかね?」

「周りは酔っ払いだらけです、そんなにビクビクする方が目立ちますよ」

 言われて男はちらちらと他の客に視線を走らせた。


「お待たせしました」

 ジョンが酒と魚の燻製とチーズを運んだのはそんな中だった。男は適当にウェイターにチップを渡し、礼を言って彼はテーブルを離れた。さりげなく眼鏡に装着した小型の集音器を使い、六番テーブルの会話に聴覚を集中する。

 造船会社の時ほど鮮明ではないが、会話の内容はどうにか理解できた。


 ――アグロセンの次期主力艦の受注を、イービス社はどうしても取りたい。が、最近めきめきと力を伸ばしているライバル会社が邪魔。そこにマルケス社が協力を申し出た、というところか。

 ライバル会社はカサアスールに海軍の修繕ドックを持つアンサル社だ。確実に一発逆転できる技術を切実に欲しているのだろう。


 ――それが新たな燃料という訳か。だが、海軍に供給できるほどの油田がどこにあるんだ?

 皿を運びながらジョンは考え込んだ。途中、ふと視線を感じたような気がして彼は周囲を警戒した。だが、不審な人物は見当たらない。錯覚かと思い、ローディン王弟は情報収集を続けた。


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