32 怒れる巨人
イービス造船社屋にいた第四王女カイエターナたちにも、ドックでの鉄板落下の衝撃は伝わった。
「何なのでしょう、あの音は」
不安そうなパロマをよそに、第四王女はドックで右往左往する人々の中に恋する相手の姿を必死に探した。
「ジョン様はご無事かしら」
いても立ってもいられない思いで窓に張り付いていると、ある違和感が彼女を捉えた。王女はひときわ目立つ機械を指さした。
「あの大きな機械は何をしているの?」
侍女のパロマが窓を覗き込み、彼女に答えた。
「クレーンですね。船の部品を釣り上げて運ぶ機械ですよ」
蒸気を噴き出し、長いアームの先端から吊り下げられたフックで鉄板などを釣り上げるようだ。
「でもあのクレーンは他のものと違って、空のまま振り回しているわ」
言われてパロマは件の大型機械を凝視した。
「確かに、姫様のおっしゃるとおりです。鉄板を落としたのもあれかも知れませんね、自分の失態に混乱しているのでしょうか」
誰もが異常事態のクレーンから遠ざかる中、一人だけが接近を試みようとするのにカイエターナは気付いた。
「ジョン様!」
叫ぶなり彼女は駆け出した。
「姫様! どちらへ!?」
焦るパロマの声にも振り向くことなく、第四王女は階段を身軽に駆け下りた。
明確な悪意を持って操縦されるクレーンは、もはや凶器だった。落下させる物がなくなれば遠心力でフックを振り回し暴れだす。
周囲は既に阿鼻叫喚状態だった。ひと動作ごとに蒸気が噴き出し笛のような音を立てるのも恐怖を煽るのに一役買っているようだ。
「とにかく、あれを止めないと……」
大きいが構造は単純な機械だ。塔の基部にあるボイラーを破壊するか、そこから伸びる蒸気管を切断すれば、ただの大きな案山子同然になる。
とはいえ、急所とでも呼ぶべきそこに行き着くまでが問題だった。なまじアームの可動域が広い機種なだけに迂闊に近づけば即フックが襲ってくる。
「まるで怒れる巨人だな」
棍棒を振り回して全てを破壊したという神話を思い出し、ジョンは顔をしかめた。そして彼は周囲を見回し、暴走クレーンに最も近いクレーンに目を留めた。
「巨人には巨人か」
暴れる五番クレーンから目を離さず、彼は四番クレーンへと近寄った。
ドックの作業員に恐慌状態が広がっていた。
「五番クレーンが暴走?」
「故障か?」
「誰が動かしてるんだ?」
情報が錯綜する中、逃げ惑う人々の中をカイエターナはひたすら逆走した。
「ジョン様は……」
作業着姿の彼を人込みの中に見つけ、第四王女は駆け寄ろうとした。だが、第五クレーンがその中間地点に立ちはだかっている。彼女は激昂した。
「私とジョン様を隔てるなど、言語道断!」
王女は五番クレーンと隣接したレール上の四番クレーンを見上げた。操縦士がほとんど腰が抜けた状態で塔の梯子を滑り降りてくる。彼女は操縦士を呼び止めた。
「そこのあなた、この機械を動かしてあの無礼な邪魔者を撃ち払ってちょうだい」
突然難題を突きつけられ、操縦士は顔を引きつらせた。
「無理! あんたも逃げろ!」
よろけながら去って行く彼を見て、カイエターナは溜め息をついた。
「頼りがいのないこと。こうなったら…」
彼女は果敢に櫓の梯子に足を掛けた。
動きを止めていた四番クレーンが蒸気を吹き上げたのはその直後だった。
「操縦士がいるのか?」
驚くジョンは五番クレーンが戸惑う隙に四番クレーンの車輪台によじ登った。塔の上の操縦席は見えないが、人がいるのは確かだ。協力してもらおうとした矢先に、いきなり四番クレーンのアームが旋回した。
「うわっ」
危うく車輪台から振り落とされかけ、ジョンは必死で塔にしがみついた。今度は逆回転を始めた四番クレーンは、吊り下げたパイプを振り落としそうだ。
「素人が乗ってるのか?」
クレーンのメーカープレートと型番を見た彼は以前の任務で操縦したのと同じタイプだと認識した。できれば操縦を変わりたいがそんな暇はなさそうだ。ローディンの王弟は塔の上に向けて怒鳴った。
「右のレバーがアームの操作だ! 左のレバーで回転、ペダルは前後の移動。分かるか!?」
乗り込んだはいいものの、見たことの無いレバーやペダルを前にしてカイエターナは考え込んだ。
「とにかく動かしてみましょう」
適当にレバーを引くと、いきなりクレーンが回転を始めた。
「あら、踊ってるみたい」
呑気な感想は怒鳴り声にかき消された。
「右のレバーがアームの操作だ!」
「ジョン様?」
思いがけない事態に第四王女の胸は高鳴った。下方を映すミラーに、紛れもないローディン王弟の姿が映っている。
「あの方が導いてくださるのだわ」
歓喜の思いに水を差すように、五番クレーンのフックが空気を切りながら襲ってきた。咄嗟にペダルを踏み、回転することでカイエターナは攻撃をかわした。
「素人にしては筋がいいな」
感心しながら、ジョンは正体不明の操縦士を賞賛した。だが、その間にも五番クレーンは攻撃の手を緩めない。荷物を提げているこちらよりも相手は身軽だ。何度目かのフックを辛うじて回避した四番クレーンだが、このままでは不利になるばかりだった。
ジョンは操縦士に指示した。
「正面のスイッチを下に押すんだ!」
四番クレーンのケーブルが伸び、パイプの位置が下がった。
「よし、左に半回転、それから思いきり右回転しろ!」
でたらめに思える急回転に、パイプがずれ始める。やがてバランスを崩したパイプは五番クレーンめがけて放り出された。しかし、数本が車輪台付近の塔基部に届くのみだった。
ローディンの王弟が口角を引き上げる。
「いいぞ、今度は連続回転だ!」
四番クレーンは旋回した。フックをぶら下げたワイヤーが遠心力で浮き上がり、五番クレーンの塔に挟まったパイプに絡みついた。がくりと四番クレーンの回転速度が落ちる。
「止めるな! このまま回すんだ!」
四番クレーンから蒸気が吹き上がる。ぎりぎりと五番クレーンの塔から不吉な音がし始めた。やがてパイプと櫓に挟まれた蒸気管が歪み、警笛のような音を立てて蒸気が噴出した。数拍遅れて五番クレーンが停止する。
ジョンは拳を握った。これで襲撃者は身動きが取れなくなった。
「よくやった!」
操縦士を激励した彼は、帰ってきた言葉に硬直することとなった。
「さすがですわ、ジョン様!」
思いもよらない可憐な声。それも聞き覚えのあるものだ。果たして操縦席からこちらを見下ろすのは第四王女だった。
「……王女殿下? 何故ここに…」
操縦席から身を乗り出すようにして、カイエターナはローディンの王弟に手を振った。その動きに彼女のスカートがレバーを引っかけた。
「わっ!」
四番クレーンがいきなり回転を始め、ジョンは塔の梯子にしがみついた。そのあおりを受けた五番クレーンの塔が傾ゆっくりとへし折れる。轟音と共に塔の上半分が落下した。
ジョンは片手で顔を覆った。
――警備員に操縦者の身柄を確保させてこちらで尋問する予定が……。
落ち込む彼に、心配そうな声がかけられた。
「お怪我はありませんか?」
五番クレーンの惨状には目もくれず、カイエターナはひたすらジョンを気がかりそうに見つめていた。
四番クレーンの周囲には、いつの間にか人だかりが出来ていた。その中に紛れ込み、『誰だったんだ? 知りません』状態に持ち込むつもりが、強力すぎる目撃者を作ってしまったことを彼は思い知らされた。




