31 不沈艦
車列は無事にアグロセン王国南東の街、ファイサンに到着した。降車したカイエターナは、ローディン王弟が乗ってきた自動車に興味津々だった。あまり熱心に観察する様子にジョンが不思議そうに尋ねた。
「王女殿下は自動車に興味がおありですか?」
「ええ。ジョン様のお車は小さいのにずっと先行していましたよね」
それでかと王弟は笑った。
「これは車体を軽量化し、よりスピードが出るように改造しています。それに未舗装道路でも速度を出せるように、路面の凹凸を車内に響かせないようにしました」
「それで速かったのですね」
王家の車両が見てくれだけのように思えて、カイエターナは溜め息をついた。慰めるようにジョンが言った。
「王女殿下のお車は王族の安全を第一に設計されていますよ。車体は頑丈でガラスも特別製。武装集団の襲撃にも持ちこたえるでしょうね」
「見ただけで分かるのですか?」
驚く王女に王弟はいつもの掴み所のない笑顔を浮かべた。
「次期主力産業候補ですから、あちこちの工場を視察していますので」
実は、情報部の支援基地で整備士と一緒になって車体の下に潜り込んで改造を手伝ったためだった。勿論対外的には平凡な理由を用意しているが。
「勉強熱心ですのね。見習いたいですわ」
「いや、ご婦人には退屈でしょう」
「そんなことありません」
むきになる王女に苦笑気味の王弟だったが、イービス造船所の社長以下勢揃いで度迎えられると表情を改めた。
王女をエスコートし、最上級の応接室に通される。この造船所はアグロセン海軍の軍艦建造の受注競争に勝ったことで一気に名が上がった所だ。
さすがに軍事機密に関する場所の見学は出来ないが、自国の造船産業と比較するいい機会だった。
ひと通りの説明を受けたあと、王弟はドックの視察を願い出た。
「民間船部門なら見学できるでしょうか」
「それなら大丈夫です。ちょうど今、最大規模の客船を建造中です」
「我が国の会社と競っておられるようで」
「ローディンの造船技術の高さは存じておりますが、いつまでも後塵を拝してはおられませんので」
自信に溢れた社長の様子から、余程の大作のようだとジョンは推察した。
カイエターナは当然新造船のドックに同行するつもりだったが、ジョンからも社長からも却下されてしまった。
「安全には万全を期していますが、何しろ製造現場は危険物が多いですからな」
「王女殿下は安全な場所から見物してください」
そう言われては頷くほかはなく、第四王女は去って行く王弟を渋々見送った。若い女性社員が彼女を案内してくれた。
「殿下、こちらの廊下からドックが眺められます」
大きなガラス窓が並ぶ廊下に出ると、随行していた侍女のパロマが歓声を上げた。
「まあ、何て大きな船でしょう!」
豪華客船『ヒガンテスカ』号の巨大さは遠くからでも分かった。カイエターナは思わず呟いた。
「イルカの群れにクジラが混じっているみたい」
通常のドックの倍はある専用ドックで客船は作られていた。まだ水に浮かんでおらず、真新しいスクリューの周囲で作業する人が豆粒のようだった。
「ここの人はお豆に見えるわ」
感心する王女の背後で、イモとどちらがましなのだろうかとパロマは考え込んだ。
近くで見上げるヒガンテスカ号の巨大さは王弟一行を絶句させた。
「これは迫力だな」
首が痛くなるほど上を見ているのに視界に収まりきらない船体。二基のスクリューはプロペラの一枚すらタグボートより大きく、光り輝いている。
「これほどの船だとボイラー室もかなりの大きさだろうな」
ジョンの言葉に案内役の設計技師が笑った。
「一日に使う石炭は、26両編成の貨物列車に満載しても足りませんよ」
驚きの声が王弟の随員から上がった。ジョンは興味深そうに新たな海の女王を見上げた。
「石炭庫に相当な区画が必要だな」
「石炭は船首から積み込まれてボイラーの貯蔵庫まで、船底のレールに乗った運搬車で運ばれます」
「では、その区間の隔壁は低くなるのか」
「他の場所で充分な高さの隔壁を作っています。『ヒガンテスカ』は不沈艦ですよ」
設計技師はきっぱりと言い放った。かつて作られた船のどれだけが同じような言葉で海に送り出され、様々な原因で海の藻屑となっただろうか。やや皮肉げにジョンは考えた。
ローディンの王弟が視察と聞かされたドックの作業員たちは、最初は緊張気味だった。それも本人を見るうちに次第に緩んでいった。
「あれがローディンの王様の弟?」
「何か、意外と普通だよな」
「あそこの王様は結構男前だって聞いたのに」
ヒガンテスカの大きさに驚きあれこれと質問する様子もこれまでの見学者と変わらない。作業員たちは急速に彼への興味を失っていった。
――そろそろだな。
頃合いを見計らっていたジョンは副官のジェフリーに確認した。
「来ているか?」
彼は慣れた様子で答えた。
「はい、4番ドック横の休憩所に一式用意しています」
「ご苦労」
ジョンはすっと随員たちから距離をとった。副官が案内役に聞こえるように警告した。
「殿下、危ないですからあまり近寄らないでください」
後を追うように副官たちがあちこちに向かう。
五分後、イービス造船所の役員社員はローディン王弟を完全に見失っていた。
造船所の社屋廊下から、カイエターナは飽きずに新造客船『ヒガンテスカ』号を眺めていた。正確には豪華客船を見物するローディン王弟一行を、だが。
「ジョン様だわ」
嬉しそうに窓に張り付く彼女の広報で、侍女のパロマが首をかしげた。
「私には見えませんが」
「あちらの方に行ってしまわれたもの」
第四王女は楽しげに呟いた。
「ああ、どんな時でもあの方の輝きを消すことなど出来はしないわ。たとえ作業員の服を着ていてさえも」
変装完了したジョンは、指示書を片手に現場に向かう途中という想定でドック内をうろついた。やがて建物の隙間から不似合いな高級自動車が見えた。鼻先に銀色の女神像が光っている。マルケス社の社長の物だ。
――社長直々に来訪とは、よほど重大な案件らしいな。
指示書を広げて悩む振りをしながら、ジョンは自らの天賦『認識阻害』を発動させた。応接室の場所は頭に入っている。
そこの下に来ると、彼は袖口からコードを引き出した。先端の吸盤を窓ガラスの隅に吸着させ、コードの端を指に挟み耳に当てる。応接室内部の音声が伝わってきた。
『……では、あなたには石炭に変わる燃料を供給できると?』
『石炭で最も厄介なのが運搬でしょう』
『それは他の物でも変わらないはずでは』
『燃料が液体なら? ホースで自動注入され、石炭夫の手も必要とせずエンジンを動かすなら?』
『自動車用のエンジンなどで船は動きませんよ』
『石油から揮発性燃料を精製した後に残った物を更に精製したら、何が出来たと思いますか?』
『まさか、それが…。しかし、船に使用するのであれば相当量の石油が必要。ザハリアスの油田でまかなえるのですかな』
『ご心配なく。我々には次の手があります』
話は核心に近づいていた。
――奴の切り札は何なのだ?
ジョンは決定的な回答を待った。だが、彼が耳にしたのは何かが空を切る音だった。コードを回収すると同時に彼は横に転がった。
王弟がいた場所に落下したのは鉄板だった。周囲の耳目を集める前にジョンは建物の影に隠れた。
――偶然か? いや……。
騒然とするドック内に視線を走らせると、一台だけ不自然な動きをするクレーンがあった。
――そこか!
建物を回り込むようにして、彼はクレーンに接近した。




