30 メイドがお好み
久しぶりの再会に子供のようにはしゃぐ第四王女と老将軍。それを微笑まし
く眺めた後で、ウィルタード公爵夫人ビアンカは薔薇庭園に向かった。自分の侍女と妹付きの侍女パロマを連れ、彼女は庭園奥の東屋で休憩した。
侍女に飲み物を用意させ、パロマと二人きりになると公爵夫人は報告を促した。
「王弟殿下について新しい情報は?」
「はい、弟が大使館との連絡をとる機会がありましたので探らせました」
パロマの声は淀みなかった。
「観艦式までの公務の予定は?」
「主なものはサイファンのイービス造船所の視察、ヴァルヴェルデでの自動車レース観戦です」
どちらもローディンの基幹産業に関わることだ。ビアンカは頷いた。
「サイファンはコンスタンサのエスピノサ伯爵家、ヴァルヴェルデはレオノールのジョレンテ侯爵家の配下にあるわ。あの子たちに任せておけばいいわね」
可愛い妹がやってくるのだ。二人とも領地で大歓迎の準備をするだろう。
パロマは更に報告を続けた。
「王弟殿下と大使との協力関係は薄そうです。滞在先には下級官吏一人が橋渡しをしているようで」
「秘書官級ではなく? 大使は殿下を軽んじているのかしら」
「どこか持て余しているようだったと弟は申しておりました」
「そのような大それた問題児には見えなかったけど」
地味さと存在感の薄さしか特徴のないローディン王弟を思い出し、二人は頭を悩ませた。ビアンカは溜め息をついた。
「人の本質が外見どおりとは限らないわ。調査を続けてちょうだい」
「畏まりました。大使館の連絡係は三等理事官でビル・サイアーズという者です」
その名を頭に刻み、ビアンカはぽつりと漏らした。
「その者が殿下と大使を切り離す工作をしている可能性はあるかしら」
公爵夫人に言われ、パロマは目を瞠った。
「それは考えつきませんでした。以後注意します」
二人は庭園から宮殿へと戻っていった。薔薇の茂みの影で震える人物に気付かないままで。
「……そんな、ジョン様は危険にさらされていらっしゃるの?」
姉を探しに庭園へとやってきたカイエターナは、偶然耳にした話に混乱状態だった。
「あの方に害をなすなら決して許さないわ…、ビル・サイアーズ!」
青空の下で事態が更にややこしくなっていることを、王弟本人は知るよしもなかった。
「今日のご予定は何でしたかしら、殿下」
丁寧さと粗雑さが入り交じる口調で王弟ジョンの身支度をするのは、ホテルのメイド姿が板に付きすぎているアシュリーだった。
「南西部のファイサンにある造船所の視察だ」
「ああ、イービス造船所。昔、うちの海軍も発注したことがあるとこだね」
「最近、マルケス社の役員が頻繁に訪れているらしい」
「石油会社が造船所に? 商売を広げる気なのかな」
汽船が燃料にするのは石炭だ。例え石油を原料とした駆動機関が開発されたとしても、船における燃料使用量は自動車の比ではない。大規模油田で石油が安定供給されることが条件となる。
「知ってる? ザハリアスの油田は年々産油量が落ちてるそうだよ」
「となると、マルケス社には死活問題だな」
「焦って強引な手段に出るかもね」
それが好機だと二人は言葉に出さずに合意した。
ジョンを送り出した後で、電信室から情報部員が出てきた。
「殿下は? 至急電です」
受けとったアシュリーが目を通し、急いで階段に向かった。
ホテルのロビーに下りた王弟一行を迎えたのは、宿泊客全ての注目を一気に引き寄せる第四王女だった。
「ご機嫌よう、ジョン様」
「王女殿下、今日はよろしくお願いします」
礼儀正しく挨拶する彼に、カイエターナはどうすれば親密な雰囲気になれるのかとじりじりした。車による長距離移動に造船所という目的地も考え、ドレスはシンプルな旅行着にしたのだが彼はあまり感銘を受けていないようだ。
しょんぼりとした気分のカイエターナは、ロビーに新たな者が加わったのに気付いた。茶色の髪を二つ結びにした少女のようなメイドだった。
「失礼、追加の資料をお持ちしました」
メイドは恭しく書類ケースを差し出し、副官が受けとった。王弟は驚いたような目をメイドに向けたが、すぐに副官に小声で指示した。
王弟の副官ジェフリー・クーパー中尉が王女の護衛に告げた。
「こちらの車はあまり余裕がないため王女殿下とは分乗となりますので」
王弟用の自動車を見て護衛は納得した。車体はスマートだが座席部分は広いとは言えず、更に資料ケースなどが圧迫している。
「分かりました。休憩地点は……」
彼らは目的地までの行程を付き合わせ、納得できる警備体制を作ることとなった。ジョンと一緒の車でドライブできないと分かった第四王女は目に見えて落胆した。
「大丈夫ですよ、姫様。あちらはお仕事ですし、ファイサンの街は姉君コンスタンサ様のエスピノサ伯爵領にあります。到着すれば夜会などでゆっくりとお会いできますよ」
侍女のパロマに慰められ、カイエターナは気持ちを切り替えた。
「そうよね、あの方は大事なご公務に行かれるのだわ。浮かれていてはいけないのね」
自分に言い聞かせながら彼女は王弟へ目をやった。彼は書類を持参したメイドを見ていた。ニヤリと笑いながらメイドが片手を振ると、ジョンは苦笑気味に頷いた。
どこか親しげな二人を目にしたカイエターナは平静でいられなかった。
「ジョン様はもしかしてメイドがお好みなのかしら」
ファイサンに着いたら、恋多き美女として有名だった姉に相談しようと彼女は心に決めた。
適宜休憩を挟みながら、ローディン王弟と第四王女の車列は順調に王国南西部の港町ファイサンへと進んだ。
カイエターナは、一件小さく貧相にも見えるローディンの自動車が思いがけないほどスピードと耐久性に優れているのに驚いた。
「どうしてあんなに速度が出るのかしら。小さい車は遅いと聞いていたけど」
「それは蒸気自動車の話でしょう」
彼女の疑問に侍女パロマが答えてくれた。
「蒸気と石油燃料とでは何が違うの?」
「蒸気車は水蒸気でエンジンを動かすためボイラーが必要です。車が小型になれば必然的にボイラーも小さくなります」
「それで水蒸気の量が少なくなるのね。でも、車も小さいのだから充分ではないの?」
「ボイラーそのものに重量がありますから」
詳しい理論は分からないが、どうやら小型化という点では石油燃料車が有利なようだ。しかし侍女の意見は違っていた。
「自動車は贅沢品なのに、小さく貧相な物など買う者がいるでしょうか」
「そうなの」
確かに彼女の乗る自動車は贅を尽くした内装といい豪華な装飾を施した外観といい、実用品と言うより奢侈品に近い。それが馬車の代わりになるのだろうか。カイエターナはぽつりと呟いた。
「爺は馬にはとても手がかかると言っていたわ」
「それを使えるのが王侯貴族たるゆえんです。馬車の代わりというのなら、権威を見せつける物でなくては」
「市民が使う乗合馬車みたいな自動車はできるのかしら」
王女の発想にパロマは思いつかないと言いたげに首を振った。
「高貴なお方は馬車であれ自動車であれ、身分に相応しく快適なものに乗るだけですよ」
乗馬が好きな第四王女はできれば自動車も運転してみたいと思っていたのだが、口に出せない空気になってしまった。
高価で手のかかる機械を実用本位で使う王弟には別の意見があるのだろうか。訊いてみたいという彼女の思いは募るばかりだった。




