27 容赦ない未来図
半分魂の抜けた顔で、オテル・エクセルサスに王弟ジョンは帰還した。頭痛を堪える彼を迎えたのは、アシュリー・カニンガムの馬鹿笑いだった。
「あーあ、ここにいる間はずっと美人の王女様に張り付かれるんだ。大変だねえ」
今日もメイド姿の情報部員は労る気持ち皆無の言葉を送って寄越した。ジョンは唸った。
「人ごとだと思って」
「人ごとついでに教えとくと、例のラモン・セスコはアグロセンの海軍憲兵預りになったよ」
情報部の先輩が何気なく言った。副官ジェフリーと護衛のロイドは揃ってホテルのメイドにしか見えない情報部員を注視した。
「なら海軍刑務所に収監か?」
「順当に行けばね。こっちも大騒ぎだよ。産業スパイを追ってたのに、いきなり王族暗殺未遂なんて物騒なことになるんだから」
「来訪者の武器検査をしておくべきだったな」
苦い後悔と共にジョンは反省点を脳内でまとめた。
「で、どんな拳銃だった?」
アシュリーが質問を向けたのは護衛のロイド・スコットだった。ロイドは自分の手に視線を落とし、淡々と話し始めた。
「銃身は5糎。成人男性なら手のひらに隠せる。弾倉はシリンダー式で装填は六発」
「そんな小型なんだ。ま、キミが触れたなら間違いないけどね」
アシュリーが悪戯っぽく笑った。ロイドの天賦は触感像。直接触れた無機物の性能用途を読み取る個有者だ。普段は特注の白手袋で発動を遮断しているが、天賦を使えば初めて見る武器、機械でも自在に扱うことが出来る。
「爆弾は円筒形で時計を起爆装置に使っていた」
ジョンの追加情報にアシュリーはしばらく考え込んでから立ち上がった。
「メリル主任に伝えとく。対抗意識燃やして面白い物を作ってくれそうだし」
ワゴンを押してメイドが退出すると、ジョンはぼそりと呟いた。
「あの主任をたき付けて妙な新兵器を生み出さなければいいが」
苦笑した副官が表情を改め、重大問題を切り出した。
「明日からのスケジュールですけど」
「仮病」
王弟の回答は簡潔だった。
「王女殿下自らかいがいしく看護してくれる姿が目に浮かびますが」
ジェフリーが容赦ない未来図を告げ、ジョンはやけ気味に言った。
「あれだけ目立つ王女を連れて、どうやって諜報活動が出来るんだ。公務のスケジュールは最低限に変更。暗殺が怖くてホテルにこもるとでも言っておく」
上手くいけば幻滅してくれる可能性に賭けてジョンは決定した。副官と護衛は王弟の意図を素早く理解した。
「では、活動するのは『ビル・サイアーズ』ですか」
「そういうことだ。アシュリーがプエンテックを監視するから子会社やマルケス社の動向を探る」
「我々は同行できませんが」
「消えた情報部員が傍聴券を持っていた裁判を探って欲しい。どんな判決になったのか、それで利益を得るのは誰なのか」
「了解」
部下も下がっていき、一人になった私室で王弟はソファに座ったまま両手足を伸ばした。予定になかったあれこれのおかげで疲労が溜まっていることを自覚する。
「ただの遊覧航行のはずだったのに…」
恨みがましく呟けば、閉じた目に浮かぶのはプエンテックの疑惑の役員でもなくアグロセン国王でもなく、自分を見上げる黒い瞳だった。
「…彼女はどこまで本気なのだろう」
いきなり自分を『運命の人』に認定してきた第四王女の考えは、どんな天賦でも解明できない気がする。
ぼんやりと今日一日の出来事を頭の中で再生していると、娘の無事を喜ぶ一人の父親としての国王の姿が甦った。帰港し船を下りた時、話を聞かされた王妃が娘を抱きしめて何度も無事を確認する姿も。
「あの方と最後にまともな会話をしたのはいつだったか……」
つい比べてしまうのは自分たち兄弟の実母、王太后エレノアのことだった。
「確か僕が成人してプランタジネット伯爵位を賜った時…」
氷よりも冷たい声で彼女は告げた。『おまえに与えられるのはこの家のみ。他は一切望まないと誓約しなさい』と。
彼女の大切な息子、アルフレッドの権利を侵害させないための予防措置だった。ジョンはあっさりと誓約書にサインをした。ある程度予想が付いていた行動だったからだ。誓約書を確認すると、満足げに口角を引き上げた母后は立ち去った。次男には言葉を掛ける手間も惜しいとばかりに。
乳母のエレインが必死に悔し涙を堪えていたことを覚えている。ずっと付いてくれた侍従たちも同様だったことも。彼らを宥めていた自分自身が何を考えていたかの記憶はどこか曖昧だった。
別に他の爵位が欲しかった訳ではない。領地が欲しかった訳でもない。ただ……。
「無意味だな」
回想を打ち切り、ジョンは立ち上がった。今は親子関係のありかたを考察する暇などない。明日からは王女への礼儀を損なうことなく諜報活動をするという難題が待ち構えているのだ。
彼は寝室に移ろうとした。ぽつりと口をついて出た呟きは意識しない言葉だった。
「……彼女に怪我がなかっただけましだったな」
港町カサアスール。軍港に作られたアグロセン海軍基地。
夜中でも門には歩哨が立ち、軍事大国の基地らしく警戒は厳重だった。そこから一台の自動車が出発準備をしていた。
「昨日身柄確保されたラモン・セスコ容疑者を首都の拘留施設に移送する」
指令書を確認し、留置棟の責任者がサインをする。連れ出されたラモンを憲兵が護送車後部に押し込める。手錠を掛けられた男は動き出した車の中で不満げに監視役を見た。
「どこに連れてくんだよ」
「黙っていろ」
頭ごなしに命令され、彼は舌打ちをした。今頃は自分の階位が上がる儀式をしているはずが、とんだ邪魔が入ったせいで何もかもぶち壊しだ。
「どうして、あんな鈍そうな奴にカン付かれたんだ……」
口の中でブツブツ言っていると、突然車が急停止した。危うく前の座席に頭をぶつけかけ、ラモンは運転手を罵った。
「危ねえだろ」
だが、答えも命令もなかった。運転手はハンドルに突っ伏し動かず、車のフロントガラスには穴が開いていた。後部席の憲兵が慌てて銃を構え護送車から出た。同時に彼は地面に倒れ、車内に沈黙が訪れた。
そろそろとラモンはドアから顔を出した。ここは軍港があるカサアスール郊外のようだ。倒れた憲兵はピクリともしない。その時、道の向こうに何かが光った。
「救出部隊か?」
光へと歩き出したラモンの前に、白い影が現れた。ぎくりとして立ち止まりよく見ると、それは純白の猫だった。無数のダイヤが輝く豪華な首輪を嵌めている。
「これは、もしかして総裁の…」
彼が真に所属する組織の総裁が常に膝に乗せている猫に違いなかった。そして、彼は影で囁かれる不気味な噂を思い出した。失敗者に対する制裁に猫の毒爪を使うということを。ラモンの背に冷たい汗が流れ落ちた。
猫から少しでも離れようと、ラモンはじりじりと後ずさりした。その様子に気付いたのか、猫が不機嫌そうに毛を逆立て彼に飛びかかった。思わず両手で顔を守ると、手の甲に痛みが走った。
引っかかれたのだと気付いた途端、強烈な目眩が襲ってきた。ラモンは膝から崩れ落ちた。全身を痙攣させていた彼は、やがて動かなくなった。
白い猫はラモンを馬鹿にしたように眺めていたが、不意に好物の臭いを嗅ぎつけた。それの根源たどっていくと一台の自動車にたどり着いた。開いたドアから猫が乗り込むと、車はドアを閉めて走り出した。周囲に人が倒れる中、路上の護送車のエンジンは止まること無くアイドリング音をたて続けた。




