26 地味な転倒
足取りも軽く、恋しい「運命の人」の元へとカイエターナは歩いた。白と水
色の涼しげなドレスは帆船にふさわしく、美しい王女は甲板の人々の視線を集めた。
しかし、彼女はいつのまにかジョンが操舵手の側を離れていたのに気付いた。
「せっかくお話しできると思いましたのに」
残念そうに呟いた後で、第四王女はかなり前向きに思考を切り替えた。
「なら、あの方を探してみましょう」
どれほど水兵が多くても彼なら一目で分かる。実績を自信に変えた王女は周囲をじっくりと見渡した。そして、マストの影に彼を見つけた。
はやる鼓動を押さえながらカイエターナはジョンがいる場所へと歩み出した。
ローディンの王弟は一人ではなかった。
「あれは護衛の方ね。それからもう一人……、見たことのない人だわ」
彼らは何やら話し合っているようだが、急に雰囲気が険悪になった。胸騒ぎを覚えながら彼女はジョンの元へ急いだ。
「何か危ないことにならならなければいいけど」
そう願いながら進んでいくと、知らない男性が護衛の制止を振り切って走り出した。周囲の水兵が取り押さえようとするが素早く交わして逃げ続ける。
事の経緯が分からず、カイエターナは立ち止まった。
「あの人、急いでいるようだし道を空けた方がいいのかしら」
脇にどこうとした時、こちらにやってくる男性と目が合った。男は悪意を込めて笑い、懐から何かを取り出した。第四王女に飛びつくようにして拘束すると、彼女の頭に小型拳銃を突き付ける。
「動くな! 近寄るんじゃない!」
観覧席で異変を察した国王が顔色を変えて立ち上がった。海軍の猛者たちは暴漢を包囲するものの、人質を取られているため迂闊に接近できない。
その場に駆けてきたジョンが悪化する事態に顔をしかめた。そして、蒼白になっている侍女と彼女が引いている猟犬を視界に捉えると、鋭く指笛を吹いた。
聞き慣れない音に注意を引かれた犬はそちらに顔を向け、主の危機を察知した。歯を剥き出し唸り声を上げ、大きなチキティートは全速で走り出した。パロマが慌てて引き綱を持ち直そうとするが精悍な猟犬は構わず振り切り、綱を引きずりながら疾走した。
「ボートを下ろせ、岸に着いたら王女様を解放してやる」
ラモンが嘲笑いながら逃走手段を要求した。見せつけるように銃口を第四王女に強く押しつけた時、横から大きな影が飛び出した。
「わっ!」
「チキティート!」
アグロシアン・ウルフハウンドの乱入に一気に情勢が変わった。大型犬が男に飛びかかった次の瞬間に甲板上の人々が目にしたのは、床に転がる男と投げ出された拳銃、そして何故か犬と王女の下敷きになったローディン王弟だった。
数度瞬いた後で自分と愛犬が愛しい人を尻に敷いている現状に気付き、カイエターナは飛び上がるようにして起き上がった。
「申し訳ありません、ジョン様! お怪我はありませんか?」
「…いや、急に犬が来たので、びっくりして転んだだけです」
いつものへらへらした笑顔でジョンはゆっくりと起き上がった。飼い主の手を舐める猟犬をねぎらい言葉を掛ける。
「いい子だ、チキティート。よくやったな」
銀灰色の猟犬は停座の姿勢で長い尾を振った。ラモンの方を見れば頭でも打ったのかぐったりとしている。
「さて、どうするかな…」
社員を装った破壊工作員をあぶり出したのはいいが、問題は逮捕権だ。航海中の船には自治権が認められるが相手は一応アグロセン国民。しかも王族に危害を与えかけたのだ。寄港した時に官憲に引き渡せと言われる可能性もある。
どうするべきかと悩む間に、ファドリケ国王とフェルナンド王太子がやってきた。
「カイエターナ!」
「無事なのか?」
「ええ、お父様、お兄様。ジョン様が助けてくださいましたの」
父と兄の抱擁を受けた王女に腕を掴まれ虚偽申告され、ジョンは慌てて訂正した。
「いえ、賊を倒したのはこの利口で忠実な犬で、私は単に巻き添えになっただけで…」
「いや、ご謙遜なさるな」
「悪党に怯まず立ち向かうとは、騎士道精神の極致」
暑苦しく感動する国王親子に、ジョンはどうにか路線変更させようと副官たちの証言を求めた。
「近くで見ていた者なら分かりますよ、この…」
ジェフリーたちが口を開くより先に、カイエターナが断言した。
「そうですとも、私が一番近くにおりました。誰に助けられたかくらい知っていますわ」
うっとりと見上げられ、王弟は内心焦りまくった。
――…まずい、このままではヒーローにされてしまう。
「目撃者は大勢いますから彼らの話を聞いてください。それより、この者は…」
強引に話題を変えると、プエンテック社の社長が額面蒼白になりながら進み出た。
「私どもの社員です。何とお詫びすれば良いのか…」
「直属の上司は誰ですか」
ジョンの質問に身なりのいい男性ががたがたと震えながら俯いた。極秘情報を隠匿していた役員アロンゾ・トレホンだった。
「……わ、私の部下、ラモン・セスコです、殿下」
疑惑の役員を素知らぬふりでジョンは追及した。
「銃を携帯させるような仕事を?」
「とんでもない! 入って間もない社員です。そこのミゲル・ベセラと二人で仕事をしていました」
彼はちらりと衛生兵に具合を診られている若い社員に目をやった。
――この様子だと、部下の正体については知らなかった可能性が高いか。金に目がくらんでの技術横流しと王族へのテロではレベルが違いすぎるし。
役員を締め上げても得られる物は少なそうだと判断し、ジョンは牽制にとどめた。
「しかし、会社は捜査の手を免れないでしょう」
「それは覚悟しています」
社長が殊勝に答えた。既に遊覧航行の気分は甲板から消え失せている。王弟の側に艦長が歩み寄った。短い検討の結果、帆船は早々に港に戻ることとなった。
寄港前にジョンには解決しなければならないことがあった。側を離れようとしないカイエターナの件だ。
「あー、甲板長。君が先ほど見たことをありのまま殿下に説明を」
指名された甲板長が咳払いして話し始めた。
「失礼します、王女殿下。姫君の犬が犯人に飛びかかったことで犯人が倒れ、近くにいた王弟殿下が巻き添えを食らう形で犬と姫君の下敷きになったように見えました」
――よし、言葉にすれば間抜け具合も増すぞ。
小首をかしげて聞いていた第四王女は王弟を見つめ、ふわりと微笑んだ。
「それでもジョン様に無礼を働いてしまいました」
「いや、お気になさらず…」
「ですから私、お詫びにジョン様の公務のお手伝いをします!」
ローディン王弟の笑顔が一瞬固まった。答えに窮する彼の肩を国王が軽く叩いた。
「名案だ。我が娘を同伴させますよ、殿下」
「…あ、いや、私の公務は地味で、王女殿下には退屈かと」
「それではアグロセンの名所の案内もさせましょう」
王太子が魅惑的な笑顔で追い打ちをかけ、王女は喜びに目を輝かせた。
「はい、私、頑張ります!」
ジョンの必死の言い訳も虚しく、状況はどんどん有り難くない方へと転がるばかりだ。
――……何でそうなる。
今後の任務遂行の困難度が一気に右肩上がりになるのを彼は感じた。青空の下、美形親子の笑顔が目に痛いほど眩しかった。
彼の側で何も言えずに成り行きを見守っていた副官がぼそりと呟いた。
「殿下の足技のキレはさすがだったな。犬に注目を集めて奴の死角から滑り込み、体重をかけた足を払って頭から倒れるようにした。しかも傍目には地味な転倒にしか見えない」
隣の護衛も頷いた。副官はより小さな声で続けた。
「……奴が倒れる時に王女殿下が鳩尾に肘打ちを入れたように見えたのだが、錯覚か?」




