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22 一分で忘れる顔

 ハプニングにも穏やかに対応するローディン王弟にアグロセン王家の人々は感激状態だった。

「我々の落ち度にも紳士的な態度を崩さないとは」

「何てお心の広い方なのでしょう」

 国王夫妻が囁き、公爵たちが頷き合う。王妃に促され、第四王女カイエターナがそっとハンカチを差し出した。


「どうかこれをお使いください」

「ありがとうございます」

 白い薄布で汚れを落とすと彼はハンカチを上着の胸元に収めた。汚れたままで返すのはマナー違反で、後日に新品で答礼するためだ。


 その様子を王家が誇る『三輪の薔薇』が子細に観察した。

「礼儀は心得ていらっしゃるのね」

「あのチキティートがおとなしく従うなんて」

「でも、まだ為人は完全に見えていませんわよ」


 油断してなるものかと圧を込めた視線を注がれ、ローディンの王弟の脳裏に「包囲網」という言葉がちらついた。

 ――どうやら『三輪の薔薇』には胡散臭い相手だと思われているようだな。

 実際そうなのだが外交の一環の場で不躾な真似は出来ない。「運命の人」という王女の誤解をどうやって解くか、王弟は考えあぐねた。


 そこに副官が囁いた。

「これはもう、本国でのお立場を正直に話された方が良いのでは」

 意外な路線を提示され、ジョンは活路を見いだした気がした。

 ――そうだな、縁を持ってもロクなことにならないと判断されれば家族が諦めさせてくれるか。


 短い時間でも、末の王女が家族中から愛され大切にされているのはよく分かる。王位継承権第一位とは名ばかりで冷遇されている平凡無能な王族など、さっさと切り捨ててくれることに賭けよう。


 すっかり忘れられた状態のタウンゼント大使も交えて、ガーデンパーティーが始まった。

 夏の日差しを浴びて咲き乱れる薔薇を眺めながらのティータイムは確かに眼福だった。


「この宮殿の薔薇庭園のことはよく聞きますが、これほどに素晴らしい物だったとは」

 大使が大輪の薔薇を惚れ惚れと眺めながら絶賛した。それにはジョンも同意した。このハルディン・レアールには他の薔薇庭園にはない種類の花も育てられているという。花そのものより品種と原産地の方に知識が偏っている彼だが、珍しい色形の花々は見るだけでも楽しかった。


 お茶や軽食も庭園に溢れる花の香りと相性の良い物が選ばれ、王家の人々と客人は快適な一時を過ごせた。そのはずだった。

 何気なく話題を振ったのは王太子フェルナンドだった。

「ローディンの国王陛下のご婚約は何よりの慶事ですな」

「はい、レディ・マーガレットは素晴らしいご令嬢です。ご実家のウェリントン伯爵家は海軍との縁が深いこともあって、皆祝賀気分に溢れています」

「では、慶事が続かれることはありませんか? 王弟殿下御自身は?」


 その質問に、ジョンは内心よし来た! と拳を握る思いだった。

「私ですか? ありえませんね」

 簡潔だが誤解のしようのない回答にタウンゼント大使が顔色を変えた。ウィルタード公爵が怪訝そうに尋ねた。

「最も王位に近いご身分なのにですか?」


 よくぞ訊いてくれましたとばかりにジョンは笑顔を浮かべた。

「王太后陛下は捨て扶持の伯爵位を与えた段階で私への義理は果たしたとお考えのようです。他に何も望まないという証書にサインもさせられましたし」

「……そんな、母が子を嫌うなど…」


 ショックを受けた様子のイサベラ王妃に、ジョンは軽く頭を下げた。

「ああ、嫌われているというのは語弊がありますかね。王太后陛下に必要なのは兄上だけで、私には全く興味が無いだけです」

 夏だというのに庭園に薄ら寒い風が通り過ぎた。もう一押しとばかりにローディン王弟は付け加えた。

「私は国王陛下と違って先王陛下にも似ておらずこれといった才能も無い凡庸な人間ですから。本国ではおおっぴらに『真昼のランプ』と呼ばれるていたらくで」


 お得意の何も考えていない笑顔で自らの境遇をぺらぺら語ると、会話が不自然に途切れた。卒倒しかけている大使には目もくれず、ジョンは素早くアグロセン王家の反応を観察した。

 ――これで、先の見込みのない男の印象付けは出来たはずだが。

 国王夫妻と王太子は顔を見合わせている。上の王女たちは視線を交わし合うが深刻そうだ。そして肝心の第四王女は……。


 カイエターナは黒い瞳に涙を浮かべていた。

「…そんな、ジョン様は凡庸などではありません!」

 その確信はどこから来るんだと思いながらもローディンの王弟は説得を試みた。

「事実ですよ。海軍に籍を置いているので生活に困らないだけで。ですから王女殿下の『運命の人』は別にいるはずで…」


 彼の言葉に、王女は激しく首を振った。

「いいえ! だってあなたは教えてくださったではありませんか! おイモにも違いはあるのだと!」

「……イモ?」

 この場に何の関係もない単語をジョンは反射的に復唱した。これに慌てたのはアグロセン王家の人々だった。


「失礼、娘は少々疲れているようです。パロマ、下がらせなさい」

「はい、陛下」

 国王が指示すると、侍女と愛犬に付き添われて第四王女はテーブルを離れた。それに呼応するように副官がジョンに告げた。

「殿下、緊急の予定が入りました」


 王弟は頷き、大使と共にファドリケ国王に辞去の挨拶をした。

「これにて失礼します。お騒がせしたお詫びは別の機会に」

「いや、こちらこそ」

 礼儀正しくなあなあで済ませる握手をすると、ジョンはハルディン・レアールを後にした。

「タウンゼント大使、オテル・エクセルサスに来てくれ」

 王弟に命ぜられ、色々と言いたいことをため込んだ様子の大使は無言で頭を下げた。ローディン王家の車列は一路進行ホテルへと進んだ。




「殿下、何故あのような真似を」

 ホテルの最上階の部屋に入るなり、大使は不満をぶちまけた。

「王女殿下の目を覚まさせるためだ」

「しかし、王室の内輪の恥をさらすような真似を…」

 尚も怒る大使に、ジョンは冷たい声を浴びせた。

「恥を掻くのは私だけだよ。それに、国王陛下のご成婚とそれに伴う改革以外の最優先事項が今のローディンにあるとでも?」


 タウンゼント大使は押し黙った。王弟の前に副官が資料の入った封筒を差し出した。内容を一瞥し、ジョンは大使の前に置いた。

「何でしょうか」

「プエンテック社の役員が新型車の重要部品の資料を隠し持っていた」

 さすがに大使の顔色が変わった。王弟は淡々と続けた。

「技術の横流しか妨害工作かは不明だが、あの社の信頼の置ける者に忠告すべきだろう」

「……承知いたしました」


 封筒を抱えて大使が出て行くとジョンはソファの背もたれに上体を預け、大きく息を吐き出した。

「お疲れのようですね」

 副官のジェフリーが彼の上着を受けとり、護衛のロイドがお茶を運んできた。彼特性のハーブの香りをジョンは大きく吸い込んだ。

「いつもながら完璧な調合だな」

「恐れ入ります」

 厳つい体型からは想像も出来ないが、ロイドは細かい作業が得意だ。情報部の貴賓室にある見事なレースのテーブルクロスが彼のお手製だと知った時はしばらく言葉が出てこなかったほどだ。


 芳香が薔薇の園での一幕を思い起こさせ、王弟は重い溜め息をついた。副官が慰めるように言った。

「これも貴重な経験じゃないですか?」

「貴重すぎて今後の人生の糧になる気がしない。人生ずっと、『目を離したら一分で忘れる顔』と言われ続けてきたんだぞ」

「殿下の日常も充分規格外ですけど」


 苦笑しながらもジョンは素朴な疑問を口にした。

「それにしても、『イモ』とは何の意味があるのだろう」

 有能な部下たちも答えを出せない謎だった。

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