21 おチビちゃん
ロッサフエンテ宮殿の誇る薔薇庭園。中でも最も奥まった場所に選りすぐりの花々を咲かせているハルディン・レアール。
王族しか立ち入りを許されないため普段は閑静な庭園が、今日は朝から使用人が忙しく行き交っていた。
アグロセン王家の身内のみのガーデンパーティーが催されるためである。王家の内輪のものとはいえゲストも訪れるため、その歓迎準備は手を抜けかなかった。
国内の有力貴族に嫁いだ上の王女、ビアンカ、レオノール、コンスタンサの三人はそれぞれの夫君同伴で訪れていた。
「よく来てくれた、ウィルタード公、ジョレンテ侯、エスピノサ伯」
王太子フェルナンド直々の出迎えに、公爵たちは恐縮した様子だった。こっそりと義弟たちに王太子が説明した。
「無理を言ってすまなかったな。何しろカイエターナのこととなると妹たちは制御不能で…」
対面早々に愚痴っぽくなる王太子に、ジョレンテ侯爵が言った。
「実は、我々も噂のローディン王弟殿下に興味がありまして」
「あの末姫様が殿方に夢中になるなど、かつて無かったことですからな」
エスピノサ伯爵もこっそりと同意した。高位貴族たちも結構物見高かったようだ。
彼らの令夫人の方といえば、そわそわしながら本日の主役の一人、愛しい末の妹を待っていた。
やがて、愛犬を連れて第四王女カイエターナが庭園に姿を現した。本日の彼女は昼間のパーティーのため首元まで覆う薄紅色のドレスだった。姉たちは感嘆の声を上げた。
「まあ、何て可憐なの!」
「薔薇の精そのものだわ!」
「庭園の薔薇も見劣りしてしまいそうよ!」
彼女らに末姫は微笑みかけた。
「ありがとうございます。お姉様方もとてもお美しいですわ」
微笑ましい光景の中で、ビアンカがこっそりと次妹に尋ねた。
「例の王弟はまだなの?」
「少し遅れるそうよ」
「私たちのカイエターナを待たせるなんて」
そこに来客が告げられた。一斉に庭園入り口を見た王女たちは、それが王弟ではなくローディンの大使と分かっても礼儀正しく失望を隠した。
「ご機嫌よう、タウンゼント大使」
「今日はお天気もよろしいこと」
「庭園の薔薇はご覧になって?」
突然美女たちに囲まれて、大使は早くも汗を拭った。
「これは、王女様方お揃いで。我が王弟殿下は視察から直接こちらに赴かれると…」
「そうですの、お忙しいのですね」
「さぞ大事なお仕事なのでしょうね」
ますます発汗量を増大させる大使に追い打ちを掛けようとしていたビアンカたちは、末の妹が息を呑むのに気付いた。
「……ジョン様……」
いつの間にかローディン王弟が到着していたのだ。カイエターナはうっとりと濃紺の軍服姿の来客に見とれ、姉たちは不意を突かれて戸惑った。
「あら、いつお見えになったのかしら」
「全く気がつかなかったわ」
侮れないという思いが彼女らの脳裏をよぎった。だがすぐに落ち着きを取り戻した『三輪の薔薇』は、ゆったりとした足取りで国王夫妻や王太子が居並ぶ場所へと向かった。
ローディンの王弟は、庭園に案内されるとすぐに国王夫妻と王太子に遅れたことを詫びた。
「午前中のプエンテック社の視察が押してしまいまして」
「あれはローディンにとっても重要な会社ですから、仕方の無いことでしょう」
黒髪も麗しい国王が余裕の態度で謝罪を受け入れ、淡い金髪の王妃が華やかな笑顔を見せる。両親によく似た王太子と王女たちも歓迎するように彼の前に並んだ。
――……眩しい。
西方大陸に鳴り響く美形王家に勢揃いされ、ジョンは細い目を更に眇めなければならなかった。一瞬、投光器でも使用されたのかと思ったほどの濃厚で迫力のある美貌が並ぶ様はいっそ壮観だ。
時間と共に目が慣れてくると、それぞれの個性が分かってきた。髪や目の色は王太子と末の王女が父親を受け継ぎ、上三人の王女は母親譲りだ。ただし、既婚の王女たちの視線は妖精めいた王妃とは違っていた。
彼女たちは夫君と共にローディン王弟の前に進み出た。
「お初にお目にかかります、王弟殿下。ビアンカ・デ・ウィルタードと申します」
『白薔薇』と謳われるシルバー・ブロンドの気品に満ちた公爵夫人が挨拶した。
「レオノール・デ・ジョレンテです。お目にかかれて光栄ですわ、殿下」
『黄薔薇』と讃えられるハニー・ブロンドの華麗な侯爵夫人が微笑んだ。
「この日を待ちかねておりました。コンスタンサ・デ・エスピノサでございます」
『紅薔薇』と歎じられるストロベリー・ブロンドの艶麗な伯爵夫人が小首をかしげた。
降嫁した王女たちは一斉に淑女の礼をとった。王弟ジョンは順に彼女たちの手を取り礼儀正しくキスをした。
自分に挨拶の順番が回ってくるのをうずうずしながら待っていたカイエターナは、満面の笑顔でローディンの王弟に歩み寄った。その時、彼女の側を走り抜けてジョンに飛びかかるものがいた。
護衛のロイドが一瞬身構えたが、副官のジェフリーが制した。大使は口の開閉を繰り返すばかりで一歩も動けない。
王弟に飛びついたのは大型の猟犬だった。
「まあ、チキティート! 申し訳ありません、ジョン様」
慌てるカイエターナに心配いらないと片手を上げ、ジョンは自分の両肩に前足を乗せて唸るアグロシアン・ウルフハウンドの横に手を伸ばし、指を鳴らした。犬の気が逸れたのを見計らい、するりと肩から足を外させる。猟犬の様子が落ち着いたタイミングで、彼は片手を犬の眼前にかざした。銀灰色の猟犬は停座の姿勢をとった。
国王が感嘆の声を上げた。
「お見事。猟犬を扱い慣れておられるようですな」
「…はあ、我が王宮にも犬はおりますし」
自分の反応が、いかに早く軍用犬を手なづけるかを競った訓練時代の成果だとは言えない。
――あの時は餌付け一択だったが。
今もポケットには対番犬用の鎮静剤入り餌を忍ばせている。今回は完全に敵対行為に移る前に主導権を取れたため使用せずにすんだだけだ。
申し訳なさそうにカイエターナが愛犬を叱った。
「お客様に粗相をしてはダメよ、チキティート」
大きな犬を怖がる様子もないのにジョンは少し感心した。
――ロイヤルドッグが愛玩犬でないのはさすがに尚武の国だな。しかし、こんな大型犬に「おチビちゃん」とは……。
不思議そうな彼に、第四王女は幾分言い訳がましく説明した。
「この子は子犬の時は灰色の毛玉みたいで本当に可愛かったので、ついおチビちゃんと呼び続けてしまいましたの」
成長したアグロシアン・ウルフハウンドは、光沢のある灰色の毛並みとしなやかな四肢、首回りの飾り毛が特徴の優美な大型犬だ。
可愛らしすぎる命名なのだが、昔王宮にいた巨大な軍用馬が「リトル・ビリー」だったことを思い出したジョンは頷いた。咎めることもない彼に、カイエターナがおずおずと近寄った。
「あの、お召し物が汚れてしまいましたわ…」
見れば濃紺の制服の肩にくっきりと犬の足跡が残っている。のほほんとした笑顔を浮かべ、ジョンは適当に汚れを払った。
「お気になさらず」
汚れ落としに上着を預かると言い出される可能性を彼は危惧した。これにはさまざまな物を仕込んであるし、何より内側に隠したホルスターと銃を見られるのはまずい。
――面倒でも一旦ホテルに戻って着替えてくるべきだったか。
諜報活動装備で王宮に来たのを後悔する海軍情報部員兼務の王弟だった。




