20 パワーバランス
首都エスペランサ官庁街に建つローディン大使館。駐アグロセン大使オリバー・タウンゼントは王宮からの招待状に困惑していた。
「ガーデンパーティー? いきなりだな」
「王弟殿下も出席されるようですが」
その名を聞き、大使は顔を引きつらせた。
「なら、私はお目付役だろう。まだお若い方であるし」
「例の、王女殿下との噂は本当なのでしょうか」
秘書官の言葉に大使は目を剥いた。
「そうなったら一大事だぞ。考えてもみろ、国王陛下の配偶者が国内の伯爵令嬢で、王弟殿下の妃がアグロセン王女など」
「アグロセンの王室中が溺愛しているという王女ですしね」
ローディン王家のパワーバランスがとんでもないことになってしまうことは容易に想像がついた。
「ただの噂であることを祈るしかないな」
お茶で気を静めようとした大使は、秘書官の次の質問にあやうく吹き出しかけた。
「ところで、最近入ってきた三等理事官をしばらく見ていませんが」
「い、いや、あれは王弟殿下の滞在先に連絡係として……」
「そうですか」
あっさりと秘書官は納得した。いてもいなくてもいつの間にか意識から消えてしまう者に違和感すら抱いていない顔だった。
胃のあたりを押さえながら、ガーデンパーティーがつつがなく開催されることを大使は心から願った。
王宮でのガーデンパーティー当日、ローデイン王弟はアグロセンとの合弁会社であるプエンテック社を午前中に訪問した。元々この日は関連会社を含めた視察の予定だったのだ。
「予定を急に変更して申し訳ない」
王弟に詫びられ、マルティネス社長以下の会社役員たちは、とんでもないと首を振った。
「色々とご予定があるのでしょう。……えっと、殿下?」
海軍の制服姿の一行を迎えながらも、役員らは王弟ジョンを識別しあぐねていた。副官のジェフリーもだが、似たような背格好の同年齢の者が多いためだった。平凡で掴みどころのない王弟はすぐに背景に溶け込んでしまう。
「それで、工場では新しいシステムを導入し……、殿下はどちらに?」
「向こうで説明を受けています」
副官が示す先にローディン海軍の制服が見えた。役員は納得した様子だった。
「熱心なお方ですな」
これを繰り返すと、次第にプエンテック社の者たちは王弟はどこか別の場所にいるのだろうと疑いもしなくなる。
そしてジョンは副官が確認済みの空き部屋で目立たない服に早替えし、用意した社員証を胸に留めた。そこには『B.サイアーズ』と書かれていた。
書類ケースを片手に社内を歩く彼を誰も気に留めなかった。ビル・サイアーズはある役員室の前まで来ると礼儀正しくノックした。部屋の主が王弟の歓待で不在なのを見越してのことだった。
部屋のプレートにある名はプエンテック社役員アロンゾ・トレホン。アシュリーの資料にあった要注意人物だ。最近、蒸気機関派のアコスタ社役員と頻繁に交流を持っているのが主な理由だ。
彼のデスク上のスケジュールを確認し、来客の名を記憶する。引き出しは施錠してあった。
「用心深いな」
ピンを取り出し、数秒で開錠する。引き出し内には極秘事項と記された書類があった。次期石油燃料車の主要部品である電動式スターターのものだった。従来のクランク式から格段に進歩した箇所だ。
懐から取り出したシガレットケース型のカメラで書類を撮影し、丁寧に引き出しに戻す。そこまでの淀みない作業が不意に中断された。ドアの外で人の気配がしたのだ。
ビル・サイアーズは続き部屋へと素早く移動した。窓を開け周囲を確認する。
突然ドアが開けられた。踏み込んできたのは一人ではなさそうだった。彼らは低い声で言葉を交わした。
「いたか?」
「いや、異常はなさそうだ」
「隣は?」
捜索者は控え室に移動した。
「窓の鍵が開いてるぞ」
一人が窓際に行くと、外で重たげな音がした。彼らは急いで窓の外を確認し、何かが窓下に落ちているのを見つけた。
「外だ!」
慌ただしげな足音が消え、無人になった役員室。控え室のクローゼットの扉が開き、潜伏していたビル・サイアーズが足音も立てずに出てきた。
「メリル主任の小道具を借りて正解だったな」
一分程度なら重い物でも接着できる粘土状の物で窓の外にペーパーウェイトを取り付けたのだ。捜索者が来た頃に落下し不自然な物音を立ててくれるのを計算してのことだ。
部屋から出たビル・サイアーズは何やら慌ただしい廊下を歩き、合流ポイントに来た。手招きするジェフリーを見つけて小部屋に入り、軍服に戻る。
「大丈夫でしたか?」
「トレホンが新型車のスターターの資料を隠し持っていた」
「やはりクロですか。このことは」
「大使館を通じて本国から通告が行く」
彼らは他の者と落ち合うため役員たちのいる場所へと移動した。途中、窓から見える景色の中にやたらと派手な自動車が停まっていた。輝く女神像には見覚えがある。
「マルケス社の社長の車だ。今日も来ているのか」
「調査対象に加えますか?」
「アシュリーに繋ぎをつけてもらう」
小声で語るうち、ローディン海軍制服の一段が見えてきた。役員たちがほっとしたように王弟を迎えた。
「どうでしたか、殿下」
「立派な会社ですね。新型車のお披露目は?」
「観艦式と同時期に、ヴァルヴェルデサーキットでレースがあります。西方大陸全土のメーカーが集結した大規模なもので、蒸気車も新型を繰り出してくるでしょう」
「そこで実力を見せつけるのですね」
社長は自信ありげに頷いた。彼の背後にいる役員たちも同様だ。その中にアロンゾ・トレホンもいる。
――蒸気車のネックはスタートの遅さ。今までは石油燃料車もエンジンを回すのに苦労してきたが、それがボタン一つで可能になれば情勢は変わってくる。スターターを欠陥部品にしたい者がいるわけか。
内心の推理をおくびにも出さず、王弟は無害そうな笑顔を浮かべた。
「そうですか、それは観戦したいですね」
「ぜひおいでください。貴賓席を用意します」
歓迎ムードに満ちた社屋で、ジョンは覚えのある違和感を抱いた。絡め取ろうとするような監視の視線。聖レティシア祭の夜、骨董店付近で足止めされた時と同じものだ。
その発生源はこの建物の中にいる。スケジュールを確認する振りで、ジョンは副官を振り向いた。
「この場の全員を記憶しろ」
「了解」
ジェフリー・クーパーの天賦、直感像保有は見たもの全てを一瞬で記憶できる能力だ。集中できる時間は長くないが、ここぞという時の証拠固めには欠かせない。
のほほんとした表情で、ローディン王弟はプエンテック社社長と握手した。
「忙しい中ありがとうございます。成功を期待していますよ」
「光栄です、殿下」
隙あらば捕捉しようとする視線は尚も向けられている。それを気にする風もなく、王弟ジョンは副官たちと共に正面ロビーから自動車に乗り込んだ。
ジェフリーはすぐにプエンテック社の社員資料に目を通した。次々と顔写真が並ぶ紙をめくり、記憶にある顔を洗い出していく。
「あの時にいたのはこれで全部です」
副官が差し出した顔写真の中、役員の付き人に記憶にある者がいた。
「これは、前回訪問した時に僕の認識阻害をすり抜けてきた社員だ。本人は意識していないようだったが」
「ミゲル・ベセラ…側にいたのはこのラモン・セスコです」
「すぐに素性を洗います」
慌ただしく今後の段取りが決められる中、車はロッサフエンテ宮に向かった。




