17 運命の人
飲み物が用意されたコーナーに移動し、ジョンは適当に選んだグラスを手にした。ここから本格的に来賓の観察と動向を探る活動が始まる。
副官のジェフリー・クーパーが小声で伝えた。
「プエンテック社の社長が来ました。ローディンの出資者も一緒です」
護衛のロイド・スコットも要注意人物の監察に抜かりなかった。
「植民地に支社を置く企業も招かれているようです」
招待客は外国からの貴族、高官が中心だったが国内の平民階級の実業家も目に付いた。中でも悪目立ちするほど着飾った夫婦連れにジョンは目を留めた。
「あれは…マルケス社の社長夫妻か」
「そうです。ウーゴ・マルケスとその妻ロシータ」
アシュリーの『ザ・成金』という辛辣な評価をジョンは思い出した。確かに夫婦揃って悪趣味なまでに光り物だらけの装いで、貴族階級からは軽く引かれていた。
「石油産業に自動車開発企業、造船業に鉄鋼業……」
観艦式の招待者は外国の要人のみならず軍需産業に関わる者も多そうだとジョンは見当を付けた。強い視線を感じたのはそのときだった。
何気ない動作でローディンの王弟は振り向いた。彼の目の前にやってきたのは恐ろしく魅力的な若い貴婦人だった。燃えるような黒い瞳がジョンを食い入るように見つめ、赤い唇が何事かを呟いている。
――シラフに見えるが酔いでも回っているのか?
異常な状態に思え、ジョンは大丈夫かと問いかけようとした。ほぼ同時に、彼女は華奢な手で彼の手を掴んだ。
「あなたですわ!」
「…………?」
突然断言され、自分は何か失態でもしでかしたのだろうかと王弟は困惑した。ジェフリーとロイドも想定外の事態に固まっている。
相手の戸惑いをよそに、黒髪の美女は感激に打ち震える声で語り始めた。
「聖レティシア様、感謝します。運命の方に出会えました」
「……どうかしましたか、気分でも悪いなら…」
「ええ、こんな幸運があるかしら。聖レティシア祭で出会えた方ともう一度お会いしたいと聖女様にお祈りしていましたの。きっと聖女様が私の思いを叶えてくださったのだわ!」
聖レティシア祭と聞き、ジョンは関連記憶を急浮上させた。
――あの祭りで部外者との接触はゴードン邸と、骨董店付近の監視者……、あの時奴らの目を誤魔化したのは……。
彼の脳内検索で赤いドレスの若い娘がヒットした。確か黒髪に黒い瞳だった。トラブルに巻き込まれたせいか服は汚れ髪も乱れていたが、頭の中でそれらを消去したモンタージュは目の前の貴婦人と完全一致した。
しかも、彼女はもう一度会いたかったと力説しているのだ。
――まさか、顔を覚えられた!?
あり得ないという思いが手元の注意をおろそかにし、ジョンの指からグラスが滑り落ちた。大理石の床でグラスは音を立てて砕けた。
周囲の視線が一気に集中するのを感じ、ジョンは内心舌打ちした。若い貴族子弟中心にざわめきが走っており、国王夫妻まではこちらにやってきた。彼はファドリケ国王に謝罪した。
「お騒がせして申し訳ありません。こちらの…」
「カイエターナ、ローディンの王弟殿下に失礼な真似などしてないだろうね」
国王の言葉にジョンは彼の手を離さない娘を二度見した。
――第四王女カイエターナ殿下か?
それが何であんな所にと思案する間もなく、美貌の王女は爆弾発言をやらかしてくれた。
「お父様、この方です! 聖レティシア祭でお会いした運命の人です!」
まずい。ローディン王弟たちに一気に緊張が走った。聖女の祭りの時には本国にいるはずのジョンが密入国していたと判明した日には国際問題待ったなしだ。
呼吸を整え、ジョンはいつもの茫洋とした表情で困り果てた声を出した。
「失礼ですが、王女殿下はどなたかとお間違えではないでしょうか。私がこちらに入国したのは祭りの後ですので」
表向きは当然の事実を指摘され、国王も怪訝そうな顔になった。
「カイエターナ、王弟殿下のおっしゃるとおりだよ。別の人ではないのかね?」
「そうですよ、私などよくある顔ですし」
どうにか勘違い路線に持っていこうとするジョンの努力も虚しく、カイエターナはきっぱりと首を振った。
「間違えるはずなどありませんわ。だって、この方は人のお顔に見えますもの」
疑問符を顔に貼り付けるローディン一行と対照的に、国王は愛娘の言葉に食いついた。
「本当なのか、この方は特別なのだな?」
「勿論です。ああ、夢にまで見たあのお方そのものです!」
周囲のざわめきは明らかに不満の呟きに変わっていた。
「まさか、王女殿下の想い人があれか?」
「何であんなぱっとしない奴に」
「姉君たちは皆、美男子で名高い令息に嫁がれたのに」
回復したばかりのカルバーソ公子などは、完全に敵意むき出しでローディンの王弟を睨んでいる。
一躍レセプションの主役になってしまったことに、ジョンは頭を抱えたい気分だった。これまで周囲から存在を忘れられた理想的な環境だったのに、今や嫉妬交じりの悪意の視線が集中砲火となっている。
――地味に深く静かに潜航するはずの諜報活動が……。
重要人物の人間関係を把握し警戒すべき者を洗い出す第一歩なのに、自分自身が警戒されまくるなど悪夢でしかない。
誰か冷静な者はいないのかと藁に縋る思いでいると、イサベラ王妃が末娘に確認した。
「聖レティシア祭にはいなかったはずなのに、この方が運命の人だと言うの?」
「そうです、お母様。ごらんになって、この凜々しく神々しいまでのお姿を」
生まれてこのかた言われたことのない形容詞に、ジョンは表情筋の制御だけで力を使い果たしそうだった。副官と護衛も大差ない様子だ。
少し考え込んだ後に、王妃は両手を打ち合わせた。
「それは聖レティシアがあなたに見せた奇跡なのね。運命の人が訪れる未来を垣間見せてくださったのよ」
――いや、何で時系列を無視する。
ジョンの焦りに気付かないカイエターナのテンションは、留まる所を知らなかった。
「では、聖女様の祝福を受けた恋なのですね!」
――勝手に聖女公認にする気か?
罰が当たるぞと内心憤慨するものの、表に出す訳にはいかなかった。彼の葛藤そっちのけで国王一家は盛り上がる一方だ。
「どんな貴公子の求愛にも心を動かさなかった我が娘が、これほどに愛する相手に出会えたとは…」
「しかも身分は何の問題もない方ですのよ」
「カイエターナは幸せです。お父様、お母様」
――いい話に持ち込まないでくれ、ロイヤルファミリー!
知らない間に運命を決められそうな状況に、ジョンの危機感は臨界点に達していた。彼の背後から、ようやく冷静さを取り戻したジェフリーが囁いた。
「取りあえず、静かな所で姫君とお話しして勘違いだと説得されては?」
ジョンは頷くしかなかった。ただの貴族の小娘なら礼儀正しく追い払えるが王女となるとそうはいかない。ここは知らぬ存ぜぬを貫いて別の運命の人を探してもらうしかなさそうだ。
ファドリケ国王にジョンは尋ねた。
「失礼、陛下。王女殿下が何か誤解されているようですので、少しお話がしたいのですが」
国王は鷹揚な態度で許可してくれた。
「これは、当事者の片方をすっかりないがしろにしてしまったな。カイエターナ、王弟殿下とゆっくり語り合いなさい」
誰が当事者だと思いつつ、王弟は王女に礼儀正しくエスコートを申し込んだ。
「あちらでお話しできますか、王女殿下」
「はい、喜んで」
うきうきとした声でカイエターナはジョンの腕にもたれ、広間に続くバルコニーに出た。
台風通過の気圧変動くらってひっくり返ってました。早く更新ペースを戻したいです。




