16 海の色
翌日の新聞各紙を広げ、アグロセン国王ファドリケは首をかしげた。
「ローディンの王弟殿下と『グローリー』号到着の記事が多いのは分かるが…」
父親と並んで新聞を広げる王太子フェルナンドも不思議そうだった。
「船はどの紙もよく撮れているのに、王弟殿下はまともな写真がほとんど無いのは何故でしょうか」
4本マストの帆船はどれも美しい写真が紙面を飾っているのに王弟の写真は小さく、どこかぼやけていた。
「そんなに船が揺れていたのかしら」
王妃イサベラまでもが怪訝そうに新聞を覗き込んだ。そして、家族の会話に加わろうともせず庭園と空を見ている末娘に気掛かりそうな視線を送った。
思い出したように国王がローディン王弟について語り始めた。
「王弟殿下は我が国に滞在中の国賓待遇を辞退されたそうだ」
「何故ですか?」
王位継承第一位となる王族なら、この宮殿に滞在することも出来るのに。王太子は言外の疑問を込めて父王を見た。
「あくまでも第一海軍卿の代理だからというのが理由だ。兄である国王陛下に並ぶような扱いは避けたいのだろう」
「奥ゆかしい方なのですね」
王妃は感銘を受けた様子だった。第四王女を見ながら夫に提案する。
「それなら、せめて歓迎レセプションは王宮で開いてもよろしいのでは? 観艦式のために他の国の方々も来訪されていますし」
「そうだな。公式行事ではなく本番前の顔合わせ的なものであれば気軽に参加できるだろう。これまで王宮に参内する機会のなかった者を呼ぶのもいい」
国王も彼女の提案を気に入り、早速侍従を呼んでスケジュールを調整させた。王妃は窓際の椅子に座るカイエターナに告げた。
「レセプションには様々な方が来られるわ。あなたの運命の人に繋がる方がいるかも知れないのよ」
ぱっと顔を輝かせて王女は立ち上がった。
「ありがとうございます、お母様。私、いつあの方を見つけてもいいようにお客様をもてなしますわ」
「あなたが元気を取り戻してくれて嬉しいわ。パロマ、最新流行の夜会服を用意して」
「はい、王妃様」
王女に付き従っていた侍女も、久々の華やかな催しに気分を高揚させていた。カイエターナは今日も隣にいる愛犬に語りかけた。
「あの方を見つけたら力を貸してね、チキティート。二度と見失わないように絶対に捕まえてみせるから」
もう一度会えたら決して離さないと決意表明する乙女心は結構物騒だった。
招待状はその日のうちにオテル・エクセルサスに届き、銀のトレーからそれを取り上げた王弟ジョンは考え込んだ。
「レセプションか…、しかも王宮で開催と来た」
「国賓待遇を蹴ってしまったこともあるし、埋め合わせではないでしょうか」
ジェフリーが推測し、ロイドも同意見だった。
「観艦式のプレイベントのようなものでは」
「となると、他の国からの出席者と顔を合わせる訳か」
各国の使者の意図を探る機会が与えられたと考え、ジョンは出席の返事を出した。王族ならではの情報収集が出来ると、この時の彼は疑ってもいなかった。
薔薇の泉と呼ばれるロッサフエンテ宮殿。有名な薔薇園で豪華に咲き誇る花の香りが宮殿にまで届きそうだった。
宮殿内は大輪の花々に劣らずきらびやかだった。観艦式に出席する賓客や関連事業の者を招いてのレセプションは盛大であっても堅苦しくなく、人々は旧交を温めたり新たな人脈を築くのに忙しかった。
「ローディン王国、プランタジネット伯爵様」
先触れの言葉に数人が広間の入り口を振り向いた。だが、それらしき人を探せず視線をうろつかせる羽目になる者が続出した。
「ローディンの王弟殿下?」
「どの方かしら」
「海軍の礼服の方がそうかも」
「国王陛下と比べると地味というか…」
相変わらず存在感の薄さを炸裂させながら、ジョンはレセプションに参加した面々をざっと脳内の記憶と照合させた。
――向こうで親しげに挨拶しているのが商売敵のアコスタ社とエルマン社の役員同士。ザハリアスは軍事産業の重鎮の娘と結婚した王族を送り込んできたか。それに必死に追従しているのが石油業界のお偉方。リーリオニアは何のひねりもない海軍相。あっちは様子見という所か。
数瞬で状況を掴んだ所で、美麗な国王夫妻が彼に近寄ってきた。礼儀正しくジョンは国王と握手をし、王妃の手に軽くキスをした。
壮年の国王は白髪一本もない黒髪とダンディーな口ひげで、水際だった紳士ぶりだ。隣の王妃も彼の伴侶に相応しい美貌で知られている。
「『グローリー』号での航海はどうでしたか?」
国王に尋ねられ、ジョンは差し障りのない感想を述べた。
「蒸気船に乗り慣れていると、風任せというのは新鮮でした」
「一度見学してみたいものだな」
「艦長に伝えておきます。光栄だと喜ぶでしょう」
短い儀礼的な会話を追え、国王夫妻が次の来客へと移動するとジョンは再度広間内の観察に移った。
国王はザハリアス帝国のデュカキス大公に挨拶をした。
「先ほどの方はローディンの王弟殿下ですか?」
「そうです。礼儀正しく穏やかな方ですよ」
大公は優越感を滲ませた目で地味な王弟を眺めた。
「植民地帝国を自負する国の王位継承権第一位なのに伯爵位で満足するとは、控えめな御仁だ」
そして、皇帝の従兄弟は期待するような顔で国王に尋ねた。
「麗しき第四王女殿下にまだご挨拶していませんが、どちらですかな」
「それなら……」
ファドリケ国王は広間を見渡した。貴公子たちに取り囲まれている末娘はすぐに見付かり、デュカキス大公はすぐさま華やかな人だかりに加わった。
侍女たちが盛大に着飾らせたおかげで、第四王女カイエターナは一段と光り輝くようだった。艶やかな黒髪を飾るのはあえて耳元の薔薇一輪に抑え、最新流行の砂時計型のドレスは青のグラデーション。ダイヤと青玉を組み合わせたネックレスが胸元を飾り、白い肌を引き立てている。
本人は広間に来る早々、彼女にすり寄るジャガイモの群れにうんざりしていた。
――どちらを向いてもおイモばかり。ああ、こんな時にあの方が現れてくださったらどんなにいいかしら。
見知らぬ者は少しの間は人の顔に見える。ザハリアスの大公とかいう男性も見そうだった。
富豪の令嬢と結婚したばかりのはずの彼は、カイエターナを見るなり賞賛の言葉を立て続けに浴びせてきた。
「お初にお目に掛かります、王女殿下。このように美しい方と出会えるとは、今宵は愛の女神に祝福されているようですな。のちほど、我が国の誇る貴重な宝石をご覧に入れましょう。きっと、貴女の黒髪にお似合いです。ぜひ受けとっていただければ至高の喜び」
段々と大公の顔がイモに変わっていくのに、王女は溜め息を堪えた。
――このおイモの大海をいつまで泳いでいればいいのかしら。噂の帆船にでも掠って欲しい気分だわ。
悩ましげに視線を巡らせた彼女は、広間のある一点に目を留めた。そこには白い礼服姿の若い男性がグラスを片手に佇んでいた。
――まだ「人」がいたのね。あの方と同じような薄い色の髪、それに目の色は……。
おぼろげな記憶は次第に実体化していった。細くて判別しづらいが、彼の瞳は青――あの夜の記憶と同じ海の色だ。カイエターナは自分の心臓が大きく鼓動を打つのを感じた。まさかと思いつつ、足が自然に白い服の男性へと動き出す。
一足ごとに運命を感じつつ、第四王女カイエターナはローディン王弟ジョンの元へと歩み寄るのだった。




