15 海鳥の群れ
アグロセン北西部、ガヴィオータ海岸。朝から夏の日差しが厳しいというのに、港町カサアスールは大勢の見物人でごったがえしていた。
特に軍港部分のドックが見える場所は岸壁であろうと崖であろうと建物の屋上であろうと、人がいない所はないほどだ。
それほどまでに彼らが待ちわびるのは、ただ一隻の船だった。高い木によじ登り海を見ていた者が不意に北側を指さして叫んだ。
「来た! あれだ!」
その声を聞いた人々は一斉に同じ方向を向いた。海の向こうから見えてきたのは、最初は白っぽい点だった。それが次第に大きさを増し、形が鮮明になってくるとあちこちから歓声が起こった。
「帆船だ、あれが『グローリー』号だ!」
「すごい、4本マストだ」
「何て綺麗なの」
「見ろよ、砲門が三層もある」
純白の帆を風に膨らませ、4本マストのバーク、『グローリー』号が華麗な姿を現したのだ。蒸気船が航路を支配する現代では滅多にお目に掛かれない大型帆船。しかも過酷な海戦で勝利を収めた歴史的に有名な船だ。人々は熱狂的に『グローリー』号に向けて手を振った。勢い余って港に落ちてしまう者も一人や二人では無かったほどだ。
「港は凄い人出です、甲板長」
双眼鏡で群衆を監察した船員の報告を聞き、白と濃紺の制服を着た水兵や将校たちも満足げだった。甲板長はにやりと笑った。
「よし、手の空いた者はフォアマスト大横帆の帆桁に集合! 派手に目を引けと艦長のご命令だぞ」
命令一下、水兵たちはするするとマストやシュラウドをよじ登った。まるで海鳥の群れのように帆桁に腰掛け、海岸の人々に帽子を振る。
白い帆と濃紺の制服の対比が鮮やかで、夏空と海に映えていた。思わぬ光景を見られた群衆は更に歓声を上げた。
その間に、大型帆船を港に導く数隻のタグボートが『グローリー』号に接近した。帆船の甲板から繋留ロープが投げられ、しっかりとボートに結びつけられる。前方に二隻、後方に二隻、併走に一隻と、曳航チームは体制を整えた。
一隻のタグボートがさりげなく帆船の陰に回った。海岸からは死角になる位置に来るとボートから一人が手を上げた。すぐさま帆船の甲板から細いロープが伸びてくる。それを身体に巻き付け船員が合図すると、高速でロープは引き上げられた。タグボートの船員は甲板から艦長室へと素早く最短距離で移動した。
帆船『グローリー』号の艦長は突然入ってきた船員を見て安堵の表情を浮かべた。
「無事合流できて何よりです、殿下」
「ああ、渡航ご苦労」
彼に答える間にも、船員――変装した王弟ジョンは急いで海軍の制服に着替えた。使い古した船員服から真新しい濃紺の上着と白いズボンという将校服になり軍帽を被ると、地味な港湾船員は地味な海軍将校に変身した。
船内の早変わりという一幕の間にも『グローリー』号はタグボートに曳かれ、堤防によって遮られた軍港エリアへと進んだ。アグロセン海軍の軍艦が並ぶ端まで来ると繋留ロープは突堤に結ばれ、帆船は錨を降ろした。
水兵は続いて縮帆の作業に取りかかった。フォア、メイン、ミズンの前側3本のマストの横帆が巻き取られ、最後尾のジガーマストの縦帆ガフとスパンカーも縮められた。
素早い行動で短時間に縮帆作業が終わると、周囲から拍手が起きた。群衆の中にはカメラを手にして大海戦の主役だった軍艦を撮影する富裕層もいた。
のんびりと記念撮影をする彼らとは対照的に、数台のカメラを駆使してさかんにシャッターをきる人々がいた。港の撮影許可を得た新聞・雑誌のカメラマンだ。彼らにはもう一つ撮影せねばならない対象があった。
「なあ、どこにいるんだ? ローディンの王弟殿下は」
「海軍なら将校服着てる奴だろ」
「何人もいるし見分け着かないんだよ」
「ぱっとしない王子だって噂だし」
ぶつくさ言いながら被写体を待つ彼らは、甲板で水兵たちが一直線に並び敬礼するのに気付いた。その前を答礼しながら歩く若い男性がローディン王弟だ。多分。
そう仮定して彼らは再度カメラを構えた。あっというまに、中肉中背のこれと言った特徴の無い将校が通り過ぎてしまう。彼が下船し迎えの車に消えてしまうと、カメラマンから戸惑いの声が上がった。
「……今ので良かったのかな?」
「何かあっさり行っちまったんで、ピント合わせる暇がなかったぞ」
「俺も撮りにくかった」
首をかしげながらカメラマンたちは語り合うのだった。
最新型の自動車が隊列を組んでオテル・エクセルサスに到着した。落成して間もない大型ホテルの支配人以下がエントランス前に並び、最敬礼で王弟を出迎えた。
「しばらく世話になるよ」
ジョンがのんびりと挨拶すると、支配人は再度礼をして手を叩いた。ポーターたちが王弟と随伴員の荷物を運び始める。
「こちらです、殿下」
ローディンの王族一行は最上階のフロアに上がるためエレベーターに乗り込んだ。到着するとエレベーター前でジョンの副官ジェフリー・クーパーが敬礼で迎えてくれた。
「用意は出来ております、殿下」
「ご苦労」
答礼して王弟は笑った。
「さて、いつものメンバーが揃ったな」
王弟の護衛役のロイド・スコットが無言で頷いた。彼はジョンがいるはずの場所に留まらなければならないため、潜入作戦には同行できなかった。その分、もたらされる情報を整理し必要な調査を黙々とこなしてきたのだ。
「殿下、こちらがサモラ家に関する調査結果です」
着替えるなり分厚い書類の束がジョンの目の前に置かれた。
「相変わらず徹底しているな」
苦笑気味に言ったのは副官のジェフリーだった。ロイドの方はこの程度当たり前という顔をしている。
「不審な点はあったか?」
ジョンに問われ、無骨な護衛は答えた。
「平凡な一族と思われます。平均よりは裕福ではあっても富豪と言うほどではなく、犯罪者はいない代わりに特に成功した者もいない」
確かに、その結論だけ聞けば毒にも薬にもならないという印象だが、平凡というのが見た目通りとは限らないのは、ジョン自身が実践している。
「アコスタ社創業者一族との関わりはあるのか?」
「稼業は繊維業で、自動車とは繋がりません」
これも早々に行き詰まってしまいそうだ。落胆を堪えながら、王弟は質問した。
「その裁判は遺産相続と聞いたが、何を争っているんだ?」
「アグロセン南部の僻地にある荒れ野です。農地にも出来ない土地だそうで、それを押しつけられた者が不満を訴えてます」
もっとましな物を寄越せということかと、その場の全員が理解した。
「貧乏くじを引いてしまった相続人がいるようだな」
「わざわざ面倒な裁判を起こすにしては要求額が低いようだが」
「嫌がらせも入っているのでは?」
そんなどこにでもあるような諍いのどこが情報部員の関心を引いたのか。可能性を話し合っても答えを出せる者はいなかった。最新高級ホテル最上階の検討会は尚も続いた。




