14 カラスと呼ばれた男
足音は明確にこちらに向けて近寄ってくる。どうするべきかをジョンは頭の中で幾通りも計算した。
――忍び寄って不意打ちを狙う歩き方ではない。もしかして、車外の人間を不審がっているだけなのか?
決断は早かった。ビル・サイアーズはあえて足音の主を振り向き、警戒する相手に駆け寄った。
「良かった、誰かいないかと探してたんです」
突然話しかけられて社員らしき男性は戸惑っていた。それに畳みかけるように三等理事官は質問攻めにした。
「このくらいの証明書を見ませんでしたか? 確か、社屋を出るまではあったはずなんですが…」
困り果てたように塀に沿った植木を覗き込んでいると、社員が何かを拾い上げた。
「ローディン大使館、三等理事官ビル・サイアーズ……」
「それです! ありがとうございます! これがないと大使館に入れない所でした」
「…そうですか」
出鼻をくじかれたように身分証を返すと、礼を言いながら帰って行くビル・サイアーズを社員は見送った。
――少なくとも、この会社に認識阻害を突破できる者が一人はいるということか。
受け取った資料が入った鞄を手に、大使館員は徒歩で帰途についた。
首をかしげながら建物に入った社員は、同僚に声をかけられた。
「どうした、ミゲル」
「ああ、ラモン。そこで変な奴がウロウロしてたから注意しようとしたら、落とし物を捜してた大使館の下っ端だったよ」
「そうか、捜し物は見つかったのか?」
「木に引っかかってた」
それだけ言って持ち場に戻る同僚に、ラモンと呼ばれた男は笑いながら素早く窓の外へと視線を送った。
「ふーん、プエンテックにそんな奴が」
ローディン海軍情報部アロセン支援基地。ジョンから定時報告を受けたメイドのアリサこと情報部員アシュリー・カニンガムは信じられない様子だった。
「うちの情報部員全員、ジョンが目の前を通っても何一つ反応しなかったのに」
「僕の天賦をかいくぐる個有者なのか、あるいは天賦を無効化する人か物があるのか。どっちかだな」
「アグロセンの人間なら前者はありえない」
アシュリーはあっさりと片方を否定した。ローディンの王侯貴族階級以外に天賦が発現することはまずないからだ。
「我が国の貴族ですら、最近は天賦を持たない者が増えてるんだから」
「なら後者か。秘密兵器だったら厄介だな」
ローディンの諜報活動が個有者を活用していることは各国に知られている。何らかの対策を講じるのは当然だろう。
「こっちもあぐらをかいてられないってことね」
深刻に話し合う二人に、基地主任のメリル老人が呼びかけた。
「ミスター・サイアーズ、ちょうど良かった。新型拳銃の調整ができとるよ」
渡された新品の銃を手に、ジョンは基地の一角で試射した。そして、的の中心を貫通するのに小さく頷いた。
「上出来だ」
「そうかそうか、今日からそれを使いたまえ。使い慣れた銃でも不具合を起こすようでは任務に支障が出るからな」
苦笑いすると、今は平大使館員になっている王弟は馴染んだ武器を取り出しテーブルに置いた。それをざっと点検し、主任は付属物も渡した。
「こっちは特製のホルスターだ、装着を気付かれにくい。これは消音装置」
上着を脱いでホルスターを調整し、銃の出し入れの感覚を確かめる。重すぎず軽すぎず、身を守る最後の手段として役立ってくれそうだ。長年の愛慕に別れを告げ、ビル・サイアーズは最新式の拳銃を装着した。
その後も王弟ジョンはビル・サイアーズとして消えた情報部員の足取りを追った。だが、多方面からの追跡は全て行き詰まってしまった。
「こんなに完璧に痕跡を消すなんて、あのアンドルーの仕事とは思えない」
下働きスタイルのジョンに今日も荷物を持たせて、アシュリーが不満げにぼやいた。定時報告を兼ねた市場の散策のさなかだった。
「あまり綿密に動けない者なのか?」
「勘は悪くなかった。ただ、詰めが甘いって言うか、どっかでヘマしてこんな事になってるんだと思う」
部下に対するアシュリーの評価は辛辣だが、その言葉には彼の無事を願う響きがあった。
「例の傍聴券が何の裁判かは判明したのか?」
問われたメイドは頷いた。
「それが妙でね。てっきり海軍の機密事項に関することかと思えば、何てことない遺産相続争いだった」
その答えはジョンにも予想外だった。
「次世代駆動系に関する特許関連かと思ったが」
「普通そうでしょ。なのにサモラ家なんて貴族でもないとこのお家騒動で」
「傍聴券を間違えた可能性は?」
「そこまで迂闊じゃなかったはず」
一応家系図を取り寄せて、情報網にかかっている多くの人物や会社と関係があるか調べておこう。ジョンは大使館でのスケジュールを調整した。茫洋とした表情で計算する彼にアシュリーが尋ねた。
「『グローリー』号はいつこっちに?」
ローディン本国にいるはずの王弟がアグロセンを訪問するために乗船する帆船のことだった。状況はやたらとややこしいが、船自体は今では見ることの出来ない帆船の軍艦だ
「近海での試走は順調だったから、乗員が揃い次第出港予定だ」
「あー、何か想像付くわ。あの船に乗りたいって自薦他薦の争奪戦が」
「そうだな」
どの国でも海軍士官学校の教科書に載っている帆船に乗れる機会が降って湧いたのだ。将官から水兵まで海軍の熱狂ぶりは自ずと想像できた。
「フレッチャー艦長なら、帆船の訓練経験がある者を公平に選抜するだろう」
百年も前の遺跡に近い船を駆り出したのは、単に意外性を狙っただけではない。兄アルフレッドの婚約者であり王妃となる令嬢が、海の勇者の子孫だと印象づける狙いもあった。
海洋国家のローディンにとって、ウェリントン大将は今も熱烈に称えられる英雄だ。その血を引く姫君が王家に入るとあって、国民の期待と祝福ムードは膨れ上がるばかりらしい。これに横槍を入れるなど、さすがの王太后でもためらうだろう。
――母上の息の掛かった深窓のご令嬢など、兄上には耐えられないだろうからな。
様々なことを地味に企む顔をする王弟を、アシュリーがつついた。
「陛下も無事ご成婚なんだし、今なら意中のご令嬢を連れてきてもどさくさに紛れて結婚に持ち込めるんじゃない」
「何でそんな火事場泥棒のような結婚をしなきゃならないんだ」
「身分問わないんなら、いい子を紹介するよ?」
やり手婆のようにニタニタと笑いながら言われ、ジョンは無言を貫いた。
細長いテーブルは、席順で露骨に序列が表れていた。最も地位が高いのは当然、カーテンに覆われた総帥の席だ。それ以下は、彼に近い席の順に階級が上がっていく。
テーブルの端、最も低い地位の席で、その男は傲然とした態度で意見を述べていた。
「ローディンは第一海軍卿ではなく王弟を観艦式に送り込んでくる」
「そのようなこと、我々全員が既に知っている」
総帥の席から三番目に座る男が馬鹿にしたように言った。末席の男は表情も変えなかった。
「では、国王の婚姻を阻止したい者がローディンにいることは?」
テーブルに困惑のざわめきが起きた。それを制するようにカーテンの向こうから低い声がした。
「説明してみたまえ、『クエルヴォ』」
クエルヴォ(カラス)と呼ばれた男は薄く笑った。その顔はプエンテック社でラモンと呼ばれる者だった。




