13 観艦式の楽しみ
ロッサフエンテ宮殿。ローディン大使オリバー・タウンゼントを迎えたアグロセン国王ファドリケ・アルバレスは驚きの声を上げた。
「あの『グローリー』号で王弟殿下が来られると?」
「左様でございます、陛下。殿下は海軍に籍を置かれる方で、アグロセンの観艦式に出席するための渡航であるなら最も相応しい船であると…」
笑顔を維持しながらも、大使は自分の頭越しに決定した事項を苦々しい思い出していた。当の王弟が大使館員に扮して極秘潜入しているというのに自分にはひと言も無かったのだ。国王は彼の内心の葛藤には気付かず、満足げに頷いた。
「あの船は、かのウェリントン大将がアヴァロン海海戦で完全勝利を収めた時の旗艦。今も尚航海に耐えられる状態で保存されていたとは素晴らしい」
アヴァロン海海戦は各国の海軍士官学校でパーフェクトゲームと呼ばれている。その主役となった名高い帆船が表敬訪問するとあって、国王は上機嫌だった。大使はここぞとばかりにローディンの慶事を印象づけようとした。
「ウェリントン伯爵家のご令嬢とアルフレッド陛下との婚約も整い、伯爵家にとっては二重の栄光と存じます」
さもあろうとファドリケ王は秀麗な美貌に笑みを湛えた。
「観艦式の楽しみが増えたことに喜んでいると、アルフレッド陛下にお伝え願いたい」
「恐れ入ります、王弟殿下も式を楽しみにしておられます」
内心大汗を掻きながら、大使は謁見室から退出した。国王は傍らに控えていた海軍大臣に言った。
「子供のように興奮してしまったよ。あの海戦史上に輝く船が我が国に寄港するとは」
「臣も同感であります、陛下。しかし、これは我が海軍も精励せねばなりませんな。来賓の乗船に主役を奪われないように」
苦笑気味な海軍大臣に、国王は笑顔を見せた。
「歴史は過去のもの。アグロセン海軍は現代を制覇するものだ。違うか?」
「御意」
「しかし、ローディン王弟がどんな新鋭艦でやってくるかと思えば、意外だったな」
「第一海軍卿あたりの発案でしょうか」
「それならば大した切れ者だ」
国王主従は納得し合った。
その日のうちに『グローリー』号寄港のニュースはアグロセン中を駆け巡った。
「それほど有名な船なのですか?」
軍事面に明るくない王妃イサベラは、宮廷の興奮気味な空気に驚いていた。
「百年も前の帆船だ。アヴァロン海で倍の敵を殲滅した勇将ウェリントン大将の旗艦だった」
「まさか、この目で見られるとは思いませんでした」
王太子フェルナンドも父同様に待ちきれない様子だった。第四王女カイエターナは少年のような父の様子に不思議そうな顔をした。
「そんな古い船で大丈夫なのかしら」
「ただの船では無いぞ、敵前逐次回頭という大胆な戦術は…」
海戦談義を始めようとした男性陣を制して、王妃がにこやかに末の娘に言った。
「素敵でしょう、ローディンの王弟殿下が帆船に乗ってやってくるのよ」
頷きはしたものの、彼女はすぐに想いを運命の人に傾けていた。
――あの方なら船などに乗らなくても充分素敵だわ。いえ、きっとその帆船に乗っていても素敵でしょうけど。
別世界にうっとりする王女をよそに国王親子は伝説の海戦を熱く語り合い、王妃を呆れさせていた。
自分の案が宮廷や国に歓喜をもたらしていることなど知らない王弟ジョンは、ローディンが出資する合弁会社、プエンテック社を訪れていた。今回は三等理事官ビル・サイアーズとしての訪問だ。
「ローディン大使館の方ですか」
対応してくれた広報は珍しそうな様子だった。大使館の下っ端は彼に説明した。
「観艦式の王族訪問にあたり、こちらの情勢を説明する資料になればと思いまして」
働いている所を見せるためかと広報は解釈したようだった。
「大変ですね。ローディンの協力のおかげで我が社は順調です。必ず蒸気車を圧倒して見せますよ」
渡してくれた資料には新開発の自動車や工場の写真が添えられていた。
「蒸気車、石油燃料車を問わず自動車は贅沢品ですよね。どのくらい普及するのでしょうか」
三等理事官の質問に、広報は待ち構えたような笑顔を見せた。
「今は趣味の代物でも、大量生産で単価を下げればいずれ労働者階級にも行き渡りますよ」
「このような複雑なものを大量生産ですか」
やや懐疑的な口調でサイアーズが言うと、広報は力説した。
「大衆用には最低限の性能にそぎ落として単純な仕様にするんです。勿論蒸気機関とは違う性能を維持しますがね」
外燃機関は安定性が売りだが、蒸気機関はボイラーで水を沸騰させる原理上スタートまで時間がかかるのがネックだ。しかし、内燃機関も万能ではない。
「石油燃料車はエンジンをかけるまでが苦労するようですが」
クランクを回してエンジンをスタートさせるのは力がいる上に怪我の危険性もある。大衆に訴求するならご婦人でも扱えるような使いやすさが必須だろう。
それにも広報の笑顔は消えることはなかった。
「技術は日々進歩していますよ。ご心配なく」
「裁判沙汰になってもですか?」
新規事業にありがちな訴訟合戦が自動車産業でも起こっている。その点を突いてもプエンテック社の広報は平然としたものだった。
「我が社は法務部に優秀な弁護士を揃えておりますから」
今回の所はここまでと察し、三等理事官ビル・サイアーズは礼を言ってプエンテック社を出た。
――さすがに各方面の対策はしっかりしているようだな。関連、下請けも同じならいいが。
プエンテック社の敷地から出ようとした大使館員は、建物近くにある物に目を留めた。それは銀色に光る自動車だった。ボンネットの先端にあるエンブレムには見覚えがある。
――あの女神像は…
周囲に視線を走らせ、素早くポケットの物を植木の茂みに落とすと彼は天賦・認識阻害を発動させた。
警備員がこちらに顔を向けても無反応なのを確認し、ゆっくりと自動車に近寄り観察する。白銀に輝く贅沢な仕様の高級車は、間違いなくゴードン邸で見たものだ。
――マルケス社の社長が来ているのか。
石油開発会社なら、自動車燃料のことで訪れていてもおかしくはない。だが、ジョンにはこの社長が蒸気車と石油燃料車を天秤にかけるような真似をしているという話が引っかかっていた。
――自動車燃料が石油から精製されるなら内燃機関の開発を支援しそうなものだが。どちらが勝っても損をしない保障でもあるのか?
開発業者と言えば聞こえはいいが、実態は山師同然だ。出るかどうかも分からない石油を求めての試掘だけでも大金が必要だ。
――当てたところで、原油を汲み上げるポンプの設置にも費用がかかる。せっかく設置してもすぐに枯渇すれば採算に合わない。
マルコス社は西方大陸北東部、ザハリアス帝国の西部国境付近の油井で主な利益を上げている。帝国に依存した現状を安定させるため南方大陸での開発に投資するのなら、ローディンの前植民地相を頻繁に訪れるのもあり得る話だ。
そう考えていたジョンの意識、周囲に糸を張り巡らしたような警戒網が反応した。何者かが明確な意図を持って接近している。
――認識阻害を無効化したのか?
聖レティシア祭での記憶が彼の脳内に甦った。




