11 卑しい天賦
乙女らしい純情と打算が入り交じる祈りを捧げるカイエターナを、王家の人々は複雑な思いで見守っていた。その間にもご機嫌伺いをする内外の貴顕たちは引きも切らず、国王らは挨拶などの社交儀礼に追われた。
アグロセン貴族の中でも筆頭格の公爵、ダリオ・カルバーソが恭しく挨拶をした。
「王女殿下はお元気そうで何よりですな。我が家の息子は未だに枕が上がらない状態ですが」
恩着せがましい言葉に、ウィルタード公爵夫人ビアンカが片眉を跳ね上げた。
「あら、カルバーソ公。公子のお怪我はカイエターナのせいだとおっしゃりたいのかしら?」
小首をかしげた公爵夫人の目が全く笑っていないのに、カルバーソ公爵は慌てて弁解した。
「滅相もない。我が息子が身を挺して王女殿下をお守りしたのは一族の栄誉と思っております」
当の息子が『あの王女が私をわざと下敷きにしたんだ、恥をかかされた!』と病床で吼えているという事実は口が裂けても言えない公爵だった。
それ以上は追求せず、公爵夫人は妹たちの元に行くとこっそり尋ねた。
「例の、カイエターナの運命の人について何か分かったの?」
侯爵夫人と伯爵夫人は揃って首を振った。
「特徴が何一つ聞き出せないのよ」
「あの子はもう一度会えば分かると言うばかりで」
溜め息を堪えてビアンカは祭壇に目を向けた。
「これは聖女様に祈るしかなさそうね」
年長の王女たちはそれぞれの表情で頷いた。
祭りの後のわびしさが漂う首都エスペランサ。朝早くから大使館の雑用に精励してきた三等理事官ビル・サイアーズは、書庫の整理に取りかかった。
棚の簿冊を確認し、保存年限が過ぎている物を廃棄用の棚に移す作業だった。単調な上に立ちっぱなしで体力を使うとあって、先輩たちは率先して新入りに押しつけてきた。
それも王弟ジョンにとっては折り込み済みの状況だった。静かな書庫に、大使館の清掃員が外の廊下を拭く音がかすかにした。壁に向け、彼は静かな声で言った。
「グラストンベリー宮に異変は?」
「平穏です。王太后陛下以外は」
室外からとは思えないくっきりした声が聞こえても、三等理事官は驚かなかった。彼は手を休めず棚の書類簿を手にした。
「伯爵令嬢はあの手の人間の扱いを心得ているようだな」
「宮廷の女官たちも着々と手中に収めてますよ」
王太后エレノアは溺愛する長男に自分の実家の血縁者を娶らせようと画策していた。それが母親に相談もせず伯爵令嬢との婚約を発表したのだ。彼女の内心の嵐は容易に察することが出来た。
「国王陛下は充分に統治能力をお持ちだ。ご自分に相応しい令嬢を見つけ出されたことでも分かるだろう」
ジョンは兄の天賦のことを知っていた。選別。人の潜在能力を正確に判断できる力だ。為政者にとって理想的な天賦だと称賛されるべきものなのに、エレノア王太后がどんな評価を下したかを王弟は知っていた。
『人に依存することしか出来ないなど情けない。先王陛下は全ての臣民の心を掌握できたのに』
怒りと共に、ジョンは自身の認識阻害に向けられた侮蔑まで思い出してしまった。『こそこそと人目を盗む卑しい天賦』というのがそれだ。
胸のどこかに小さな痛みを覚え、彼は苦笑した。あの母親に期待することなど幼少期に丸ごと捨ててしまったはずなのに。
彼は廊下にいる情報員により重要なことを尋ねた。
「ウェリントン伯への要請は?」
「快諾してもらえました。常々手入れを怠っていなかったようで」
ローディンにいるはずの王弟が観艦式のためにアヴァロン海を渡る手段は確保できたようだ。ジョンは満足げに頷いた。
「助かるよ。ここの王家相手なら登場時くらいは派手に行かないと」
「殿下の滞在先のオテル・エクセルサス最上階はこちらの手の者で固めています」
ローディン金融界の雄、フィリップス財団が出資した新しいホテルが「王弟」のアグロセンにおける本拠地となる。既に副官のクーパー中尉が先頭に立って準備をしているはずだ。ジョンは棚に書類を揃えながら頷いた。
「頼む。僕もヒラでいられる間に出来るだけ動いておくよ」
掃除夫は書庫前を離れていった。
ローディン王国南東部、ビッグ・ドーフィー海岸。
遠い昔に大陸からの侵略者を海で迎え撃ちことごとく屠ってきた一族、ウェリントン伯爵領はこの沿岸部にあった。
最大の港湾都市であるバルフォア港は、朝から異様な熱気に包まれていた。
これまで乾ドック同様だった最も奥まった一角で、数十年ぶりに水門が開かれようとしているのだ。見物に駆けつけた街の人々は興奮気味にその瞬間を待ちわびた。
「港長、準備終了しました」
「よし、いよいよだな。第三水門開け! 注水開始!」
ドックを見渡せる丘から歓声が上がった。勢いよく海水が満たされる中で浮かぶのは4本マストの古い木造船だった。やがて満水になったドックが開き、船は小型のタグボートにゆっくりと曳かれていった。
退役軍人らしき老人が目に涙を浮かべながら船に向けて敬礼する。船首には海竜の像があり、舷側には船名板が取り付けられていた。『グローリー』という名の。
港長と並んで進水の様子を眺めていたウェリントン伯爵ハロルドは嬉しそうに呟いた。
「まさか、私の代でこの船を使うことになるとはな。マーガレットから手紙を受けとった時は冗談かと思ったが」
「何十年陸上にあっても、すぐさま航海できるようメンテナンスしてきましたからね
港長の言葉に船大工たちが胸を張った。
「堂々とアヴァロン海を渡りきってみせるさ」
伯爵は断言し、惚れ惚れと帆船を眺めた。ウェリントン海軍大将の旗艦だった伝説の百門艦は、華麗な姿を誇らしげに見せつけながら海を進んだ。
聖レティシア祭前夜祭で密かな攻防戦の場となった骨董店「カスカ」前。一人の少女が勢いよく駆けて来たかと思うと、ショーウィンドーにへばりついた。
「父さん、この人形!」
遅れてやってきた男が少女と陳列された品物を見て腕組みした。
「高いんじゃないか?」
「いいから!」
腕を引っ張られて寂れた骨董店のドアをくぐった男は薄暗く胡散臭い商品が並ぶ店内を見回した。そして、外から見えない位置に来るとカウンターに置かれた小さな置物を手に取り、新聞を読む店主に言った。
「この一角竜の方がいいんじゃないか?」
老齢の店主は新聞から顔を上げ、男の方を見た。そしてニヤリと笑うと新聞を畳んだ。
「いいタイミングだったな。ちょうど店じまいする所だったよ」
その言葉と同時に、奥から若い男性が出てきた。店主の合図を受けて彼は無言で客と服を交換し、少女にウィンドーの人形を持たせると一緒に店を出た。
「毎度ありー」
はしゃぐ少女の声が遠のくと、店主は来客を装って店に入った男――ビル・サイアーズ三等理事官に言った。
「こっちだ、アシュリーから連絡はもらってる」
「店はいいのか?」
平大使館員として入国している王弟ジョンが、暇な店の主として潜入していた情報部員に尋ねた。彼は平然と答えた。
「妙なヒモがついちまったから、ここらで閉店する予定だったんだ。なに、店にはガラクタしか残ってねえよ」
二人は店の倉庫の床を開け、地下の隠し通路に入っていった。




