10 聖女に丸投げ
聖レティシア祭本祭は、前夜祭の熱狂とはうって変わって敬虔な空気が支配する。聖女が奇跡を起こした場所とされるアルパ広場に鎮座した聖女像には、市民がひっきりなしに花を捧げた。そのため、広場は極彩色の海のようだった。
お揃いの花の首飾りを掛けた恋人たちが聖女にお祈りし、自分たちの永遠の愛を願う光景がそこかしこにある。
広場の端に立ち、ジョンは華やかな広場を眺めた。今の彼はいつもの平大使館員ビル・サイアーズの姿だ。求愛に忙しい恋人たちは傍観者に見向きもせず腕を組み肩を抱き、甘い言葉を囁いている。
そんな中、彼の耳にはっきりと面白そうな声がした。
「その左の路地に入って」
近くに見知った者はいない。それでもビル・サイアーズ三等理事官は疑うことなく路地に入った。彼にとって耳慣れた声だったからだ。
路地の奥にはゴードン邸でお茶を出してくれたメイドのアリサが待っていた。にっこりと笑って二つ結びの髪を揺らし、嬉しそうに飛びついてくる。
「いつ見ても見事な認識阻害だね。キミのこと、あの広場にいた全員に聞いても覚えてないよ。久しぶり、ジョン」
「相変わらずだな、アシュリー」
メイドのアリサと名乗っていたのは王弟の乳兄弟、カニンガム子爵家の末っ子であるアシュリー・カニンガムだった。
ジョンにとっては忠実な乳母の身内であり、海軍情報部の先輩でもある。十代の少女にしか見えない外見の他に、ローディン貴族らしくアシュリーは固有者だ。位置が確認できる者には遠距離から言葉を届ける天賦・遠話が備わっている。
「急にこっちに来るってママから聞いて驚いちゃった。ちょうどゴードン邸を張ってたとこだから会えそうだとは思ってたけど」
先輩情報部員の言葉にジョンは頷いた。そして素早く情報交換をした。
「昨夜、接触ポイントで奇妙な監視の視線を感じた。天賦なのかも知れない」
「えー、何それ、聞いてない」
不機嫌そうにアシュリーは頬を膨らませた。
「ポイントって、骨董店? 娼館?」
「骨董店の方だ」
「あー、あっちはね、最近妙なことが続いて開店休業状態。しばらくはお店の経営を頑張るみたいよ」
「マークされた理由は分かるか?」
「うーん、ここんとこは大きな動きはなかったんだけど……」
スカートのフリルを揃えながら、アシュリーは首をかしげた。
「あ、消息不明のアンドルーが最後に目撃された日、裁判所の前にあそこに立ち寄ったって」
それは、あの骨董店を中心にローディンの情報網をあぶり出す罠を張っていたということだろうか。ジヨンはそう考えた。
「道理で突破するのに苦労したはずだ」
「えっ、ジョンの天賦でも追尾されたの?」
「民間人を巻き込んでやっと振り切ったさ」
「それはアラート出しといた方がいいかも」
真剣に考え込む乳兄弟に、ジョンはゴードン邸のことを尋ねた。
「あの社長はよく来るのか? ずいぶんと羽振りが良さそうだが」
「石油の需要は右肩上がりだもの。これで石油燃料自動車が市場で勝ったらローディンのフィリップス財団やリーリオニアのパンソン財閥に並ぶんじゃないかって、もっぱらの噂」
「社長はどんな人物なんだ?」
「ザ・成金」
アシュリーの回答は容赦がなかった。
「もうね、夫婦揃ってギラギラしてんの。もし成金図鑑ができたら表紙を飾れるわ、あれ」
ローディンの元植民地相を頻繁に訪れるなら、南方大陸での権益を求めてのことだろうか。
「西方大陸の石油だけでは飽き足らないようだな」
「ボクがあの家に入ってひと月足らずだけど、二度も自動車を買い換えてるよ」
「当然、石油燃料車だな」
ジョンの言葉にアシュリーの茶色い二つ結びが揺れた。
「それが蒸気車と交互に。変だよね」
商売敵の宣伝をしてやるようなものだという意見にはジョンも賛同した。
「彼らの出身地は分かるか?」
「屋敷の使用人はアグロセンの人間だけとしか聞いてないなあ」
その辺は本部に調査を頼むべきかと考え込むジョンに、アシュリーがいきなり花の首飾りを掛けた。怪訝そうな彼に偽装メイドの情報部員は笑った。
「いくら認識阻害が協力でも、この祭りで花輪くらい掛けとかないと逆に目立つって。これがあれば二人きりでも何とも思われないし」
「そうか」
「こっちはそろそろ戻らないと。あ、定時報告はサボらないでよ。単独行動で何かあったら時間勝負になるんだから」
「別に、最悪でも大して人気も無い王族が一人減るだけだろ」
ジョンの言葉にアシュリーは口元を歪めた。そして、自分より高い位置にある顔に両手を伸ばし、頬を掴んで思いきり真横に引っ張った。
世にも情けない顔になった王弟を睨み、乳兄弟は恫喝した。
「今度そんなこと言ったら、ママに言いつけるからね!」
両手を挙げて降参し、ようやくジョンは解放してもらった。反省しろと言いたげな視線を向け、ゴードン邸のメイドは帰って行った。ヒリヒリする頬に手を当て、ジョンは呟いた。
「エレインに知られたら怒られるか泣かれるか…両方か」
聖女に祈りを捧げるのは宮殿の王族も同じだった。ロッサフエンテ宮の広大な庭園の一角、聖レティシア祭のためだけに作られた薔薇の祭壇に、招待客は感嘆の声を上げた。
「何と素晴らしい」
「この日以外は封印されるのが惜しいほどですわ」
祭壇には聖レティシアの持物である竪琴のモニュメントが設置され、それに蔓薔薇が絡みつき可憐な花を咲かせている。祭壇はいくつもの薔薇のアーチで囲まれ、まるで薔薇の森の中に佇んでいるようだった。ここを訪れた誰もが聖女の伝説に思いをはせるだろう。
アグロセンの片田舎に生まれた聖レティシアは王位を巡って対立する大貴族の争いで国が荒廃するのを憂え、竪琴の調べと歌で月の竜を呼び出して正統な王を即位させ内乱を終結に導いたという。
その中で家が対立勢力だったため引き裂かれようとした恋人たちを救い、後に恋する者の守護者と祭られるに至った。
客人の多くは、祭壇で熱心に祈っている第四王女カイエターナの美しさも褒め称えた。
「まるで一幅の名画のようだ」
「何をお祈りされているのかしら」
「お若い王女殿下のこと、やはり恋のことでは?」
本人には外野の言葉など全く耳に入っていなかった。
――特徴を話さないとあの方を探すことも出来ないと兄様や姉様はおっしゃったけど、言葉なんかであの魅力は表せないわ。でも、このままでは誰なのかも分からない。……お願いします、聖女様。あの方にもう一度会わせてください。
もう一度会えさえすれば。そうカイエターナは切望した。あの時助けてくれたことのお礼を言って、一日も忘れたことはなかったことを打ち明け、そして……。
――ちゃんと言わなければ。あなたはイモの世界から私を連れ出してくれた人だと。そのお顔だけは識別できるようになりましたと。地位も財産も身分も無くても、いえ、たとえ敵の者だったとしても、この想いは変わりませんと。……我が王家の敵って何かしら? まあいいわ、その時はお父様たちの説得をお願いします、聖女様。
面倒ごとは聖女に丸投げする気満々だとしても、極めて真剣な祈りを第四王女は捧げるのだった。




