1 拷問と自白剤は最後の手段
「婚約破棄だと!? だがCSIは決して諦めない!」の地味な大公とラテンな大公妃の若き日の冒険譚……のはずです。
ローディン王国、首都キャメロット。日没後の通りには街灯がともり、密集した建物の窓からもランプやガス灯の明かりが漏れている。西方大陸の大国と並び列強と称される国の大都市に相応しいきらびやかな夜景の中、多くの人々が夜の娯楽を求めて行き交った。
グレーター・キャメロットの中を蛇行するのがヨーク川だった。港に近い川沿いには、赤煉瓦の大きな建物が巨人の街のように立ち並ぶ。
この一帯は工場街に続く倉庫街となっていた。アーク灯に照らされた工場では三交代で働く工員が昼夜の別なく稼働していた。対照的にまばらな街灯があるのみの倉庫街は黒ずんだ固まりのようだった。
そんな中、一隻の船が川岸に横付けし、数人の男たちが上陸した。ある倉庫の前に来ると、彼らは裏口から内部に侵入した。
「ここで間違いないんだな」
一人が小声で言うと、仲間が答えた。
「ああ、例の設計図を荷物に紛れ込ませたと連絡が入った」
返答に頷いた男たちは小さなランプの明かりを頼りに建物内を移動した。不意に一人が立ち止まった。
「どうした?」
「しっ、誰かいる」
ぎくりと固まった彼らの耳に、確かに他の者の足音が聞こえた。無意識に懐に隠した拳銃に手をかける彼らに、のんびりした声がかけられた。
「あれ? シーレン海運の人ですか? こんな遅くにご苦労様です」
だぶだぶのツナギを着た倉庫番らしき男だった。侵入者はそっと銃から手を離し、申し訳なさそうな表情を作った。
「ああ、そうだ。申し訳ないが、船の出航が予定より早くなって、荷物を運びたいんだ」
「それなら、こっちにまとめてますよ」
倉庫番は彼らを一角に案内した。そこにはシーレン海運のマークがある箱が数個積み重ねられていた。男たちは頷いた。
「じゃ、これにサインお願いします」
倉庫番が差し出す受領書に、一人が適当なサインをした。
「どうも。あ、手伝いましょうか?」
「人数は足りている、大丈夫だ」
男たちが断ると、倉庫番はあっさりと引き下がった。
「そうですか、じゃ、気をつけて」
立ち去る足音が聞こえなくなると、彼らは息を吐き出した。
「脅かしやがって」
「まあ、これで手間が省けた」
彼らは急いで箱を乗ってきた船に積み込み、ヨーク川を下った。
船が出発した直後、倉庫の陰から発光信号が送られた。すぐさま小型艇が現れ接岸する。それに身軽に飛び乗ったのは、だぶたぶのツナギを着た男だった。
河口のバージェス港では、出港準備の整った大型船「アウローラ」号が倉庫からの帰還者を待ち構えていた。船が接舷し、乗組員と積荷が急いで引き上げられる。
数個の木箱は隠すように船長室に運び込まれた。船長は積まれた荷物に興奮を隠せない様子だった。
「速かったな、例の物はこれか?」
「そうだ、確認を」
男が合図すると、すぐさまシーレン海運のマーク入りの木箱を船員がこじ開けた。
「この任務を成功させれば、帰国したら英雄扱いだぞ」
満足げな船長の呟きと、箱の中から煙が吹き出したのはほぼ同時だった。
「うわっ!」
「何だ、これは?」
慌てて箱を密閉しようとしたが煙の噴出は収まらず、船長室から狭い通路を抜け、甲板までも到達した。周囲の船からも視認され、港は騒然となった。
「船舶火災か?」
「港湾警備に連絡しろ!」
咳き込みながら甲板に出た船長たちは、汽笛を鳴らしながら消防船が接近し船に放水するのを止めさせようとした。
「よせ! 何でもないんだ!」
「この煙でそれは苦しいですな」
いつの間にか背後に立っていた男が彼に言った。男は一人ではなく、全員が海軍の制服姿だった。船員は我先に船から逃走しようとした。
パニックは船全体に伝染し、大型船「アウローラ」号の周囲は海に飛び降りた船員たちで阿鼻叫喚状態となった。
「やれやれ、とんだ騒ぎだな」
臨検のため乗船した海軍将校は溜め息をついた。ほぼ同時に、船内捜索に当たっていた部下から報告が届いた。
「船長室の荷物からこれが発見されました。」
数枚の紙を手にして海軍将校は頷いた。
「やはり、これが目的か」
軍艦とその駆動系の設計図だった。ローディン海軍次期主力艦の型式が書かれている。彼は部下に命令した。
「乗船員を全員確保しろ。船は拿捕して海軍のドックに曳航する」
「アイ、サー!」
海兵たちは一斉に散開し、逃げようとする船員を次々と拘束していった。将校は港を見回し、ある船を目に留め苦笑した。
「仕上げまで手伝ってもらえるとはな」
真っ先に海に飛び込んだ倉庫帰りの船員は必死で泳いだ。とにかく今は官憲の手から逃れることが最優先だ。行きて帰国さえすればいくらでも挽回の機会はある。
彼の前に一隻の小型船が遮るように現れた。そこからのんびりした声が呼びかける。
「難儀されてるようですね」
場違いなほど呑気な台詞に怒るより呆気にとられた彼に、手が差し伸べられた。すぐに引き上げられた男は、救出者を観察した。平凡な容姿は見覚えがなかったが、だぶだぶのツナギは記憶にあった。
「……ボガード社の倉庫番か? 何故ここに?」
男は今更のように気づいた。倉庫番がただ一人待機していた不自然さを。まるで差し出されるように渡された荷物そのものが罠だった可能性を。
彼が攻撃に移ろうとするより先に、倉庫番がその足を払った。よろけた男は肩を押されてバランスを崩し、必死に近くにあった物を掴んだ。
それは小型艇の背後にいた船の縄ばしごだった。急速に甲板に引き上げられ、男は慌てて周囲を見回した。海軍の濃紺の制服を着た者が彼を取り囲んでいた。愕然とする男をよそに、倉庫番は海兵たちに言った。
「じゃ、尋問は任せるよ。あ、拷問と自白剤は最後の手段だからね」
笑いながら片手を振る倉庫番のツナギの胸には『B・サイアーズ』の縫い取りがあった。小型船が見かけによらない高速でヨーク川を遡上するのを呆然と見送った男は、即刻拘束され移送された。
やがて小型船は倉庫街とは別の川岸に接舷した。軽快に岸に飛び移った倉庫番は水路を通り、梯子を登った。中から合図すると鉄格子が開き、彼は外に出た。
そこは、入念に手入れされた豪華な庭園だった。待機していた者たちが敬礼するのに答礼し、倉庫番はツナギを脱いだ。その下から、純白の海軍将校礼装が現れた。帽子を手渡された彼は待機員に尋ねた。
「どのくらいかかったかな?」
「約三十分です、殿下」
答えに頷き、倉庫番に扮していた男性――ローディン王国王弟、プランタジネット伯爵ジョン・ウィンストンは一時的に離脱していたパーティー会場であるグラストンベリー宮の一角竜の間へと歩いて行った。
宮殿の建物近くに来ると庭園の人影は多くなった。ガス灯に照らされた初夏の花を楽しむ者たちは、王弟の姿を見て首をかしげた。
「あれは、どなただったかしら」
「海軍将校服なら王弟殿下では?」
「いらしてたのね、気付かなかったわ」
あちこちから漏れ聞こえる怪訝そうな囁きに、王弟の副官と護衛は同じ感慨を抱いた。
これほど目立つ礼装なのにここまで人目を引かないのはさすがだと。