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夢見る少女と聖戦の開幕

「小松さん、勇気あるのね」


「え、何?」


 更衣室でブレザーの三つボタンを留めながら言う夢子に、慌てて香穂子は答える

 見るとはなしに見てしまった夢この胸の大きさにショックを受け、呆然と自分の胸を見下ろしていたのだ。 

 あわてて黒のタートルネックのシャツをすぽん、と頭から被ると、ロッカーの中のブレザーを引っ掛ける。


「ほら、さっきのことよ。 銀杏の木の下の……」


「ああ、あれ?」


 香穂子はしゃがみこんで黒いハイソックスを直すと、ロッカーの扉をパタンと閉める。


「いや、なんか気になると放っておけないんだよね。怖いなーとは思ったんだけど」


「もう学校中大騒ぎだよ」


 あの後、ものすごい勢いで飛んできたパトカーから、数人の警察官が中庭に飛び込んできた。

 彼らは教師たちに生徒を落ち着かせるように指示すると、あっという間に中庭全体に黄色いテープを張り巡らせた。そこに書かれた文字は ―― 「立入禁止」。

 ぼうっと死体を見つづける香穂子と月見里にも警察は声をかけた。すぐにここから出て行くように、と。

 月見里は少しぐずったようだが、最後には警察に肩を小突かれるようにして追い出されてしまった。


「月見里君も勇気あるよね。田中君なんて、飛びのいたっていうのに」


 田中というのが死体を見つけた男子生徒の名前らしい。


「あいつもびっくりしてただけじゃないの?」


「でも、月見里君だよ? 月見里君が何かにおびえてたりするの、見たことない」


「誰だって同じよ! 死体見てびびらない奴のほうがおかしいって!

 それに、まだ本当に死体なのかどうかはまだわかんないけし。案外骨格標本かなんかを捨てたあとかもよ」


 そういえばあいつ、なんか驚いた顔してたけど……。香穂子は先ほどの月見里の表情を思い出した。


(あれは死体が出たってことじゃなくて、そこにあったってことに驚いたみたいだったけど……) 


「不良でも偏見持たないんだ」


 不意に夢子に言われ、香穂子ははっ、と顔を上げた。


「そういう問題じゃないでしょ!

 第一あいつ、そんなに不良なの?不良ぶってるように見えてるだけかも……」


「そうだよね!私もそんな気がしてたんだ!」


「うん……。中野さん?」


 自分の言葉にエキサイトしていて気が付かなかったが、よく見ると夢子は目をキラキラと光らせ、胸に両手でしっかり体操服を握り締めている。

 美少女がそれをやるもんだから、なんというか……「夢見る乙女」ちっくな感じである。

 これが漫画だったら、きっと背景はピンク色で、エアブラシでレース型に吹き付けた模様なんかが入っているのだろう。


「中野さん……? 中野夢子さん……?」


「小松さん! 貴方なら分かってくれると思うの!」


 体操服を放り出すと、いきなり夢子はガシ、と香穂子の両腕を掴んだ。

 この細い腕のどこにこんな力が入っているのか、というくらい強い力だ。


「え―と……。」


 困って周りを見回すと、先ほどまで「死体騒ぎ」をネタにしてだべっていたクラスの女子達が曖昧な笑いを浮かべながら支度を終えて出て行く。

 そそくさと。逃げるように。

 最後に部屋を出る少女がぼそり、と香穂子の耳元でささやいた。


「夢見る夢子さんの病気なのよね……。

 ごめん、悪い子じゃないんだけど、皆コレ苦手なのよ。

 それにしても……こんな時に発病するとは思わなかったけど……」


 言うなり、彼女もさっさと逃げて行く。

 更衣室には夢子と香穂子だけが残された。


「私、偏見はいけないと思うの!」


「うん……そうだねぇ……」


 へらへらとつくり笑いを浮かべながら言う香穂子に、夢子は真剣そのもの、と言った調子で続けた。


「みんな月見里君のことを『不良だ』とか『目つきが悪い』とか『愛想がない』とかいう理由で避けるの。それっていけないことだと思う」


「正論だねぇ……」


「月見里君には月見里君なりの事情があって、きっとああいう態度をとっているんだと思うの。

 それを一般的常識でくくって、悪いものとして目を伏せるのはどうかと思うのよ」


「うん……そうそう」


 もしかして彼女はとっても博愛主義者で、クラスの鼻つまみ者の皆への態度に正義の怒りを燃やしているんだろうか?

 それとも……宗教の勧誘だったらどーしよー。

 などと香穂子が冷や汗を浮かべている間も、夢子の熱弁は続く。


「思うに彼のはあれだと思うのよ。そうあれ。……キャラクター?

 個人の特殊性っていうか、味? そういったものだと思うのよね!」


「キャ……キャラクター?」


 思いもかけなかった言葉が飛び出し、香穂子はキョトンとする。

 何時の間にか夢子の手は香穂子を離れ、己の胸の前でしっかりと組まれている。

 ぼうっと霞がかったような瞳であらぬ方向を身ながら、夢子は話を続けた。


「そう、あれ。悪ぶってるっていうか、そういうキャラ?

 漫画とか小説とかでいるじゃない、アレよ。アレ。

 実は内気で恥ずかしがりやさんで、人ととの接触が怖くて仕方ない?

 そんな感じの繊細な奴!」


「中野さん……?」


「人との付き合いがうまくいかなくて、人知れず悩んでいるのよ!

 そこに彼の理解者である篠沢君の登場!」


「誰? 篠沢って……」


「そう、月見里君には篠沢君しか心を打ち解けさせることができる相手がいないのよ! そして二人は……きゃ~!!」


 香穂子の声を全く無視して己の妄想に走る夢子。

 呆然としながら、夢子から視線をそらすと、一冊のノートが目に付いた。

 その表紙に香穂子の目は釘付けになった。

 ノート自体は普通のノートである。

 十冊なんぼで買えるような、お買い得商品だろう。

 なんの変哲もない、白い表紙の大学ノート。

 しかし……。

 思わず手にとる香穂子。

 ギギギ、と軋むような音を立てて夢子を振り向くと、香穂子は夢子に決死の質問を投げかけた。


「あのさ……この『月見里君・篠沢君 愛の軌跡』っていうのは……何かな?」


「決まってるじゃない~!

 私がせっせと調査した二人の動向が記されているレポートよ!」


「……『ホモ』ってやつ?」


「やあねぇ、『ボーイズラブ』って言うのよ!」


 ぱたぱたと手を振りながら言う夢子。


(何がどう違うのか……わかんないけど)


 一筋の汗を額に浮かべながら、香穂子はノートを眺める。

 使い込まれた感じのあるノートは、手にしっかりとした重さを感じさせた。


「小松さんも、月見里くんに興味あるんでしょ?」


「え?!」


 覗きこむように言う夢子の言葉に、脳裏に先ほどの月見里の顔が浮かぶ。

 不意に頬が赤くなるのを感じて、香穂子は慌てて頬を両手で包んだ。


「べ……別に……、どうでもいいんだけどさ。

 それよりさ、死体の方が興味深いと思うんだけど……気にならない?」


「そんなの、どうせ私たちには関係ないよ。だって白骨化してたんでしょ?

 だったらすうっと昔の話じゃない。

 私が気になるのは今よ、い・ま!」


 目を輝かせて擦り寄る夢子。


「私のこのノートを見れば、月見里君の全てが分かるわよ。

 なんったって、私は1年の頃から彼を観察してきたんだから!」


「一年の時からかい……」


 げそ、とした香穂子に夢子はノートを指差して見せる。


「ほらほら、ここに全て書いてあるの~」


 見てくれ、ということだろうか。

 

 見たい。


 香穂子は強く思った。

 しかし、である。

 今はそんなことが考えている場合だろうか。

 自問してみる。

 ……死体のことを考えたところで、単にゴシップに付き合うだけのような気もする。

 それに、あのときの月見里の態度も気にかかる。

 これを見れば、何かわかるのだろうか?

 見たが最後、彼女の趣味にこの後付き合わされるのは間違いない。

 流石に一緒に観察しろ、とは言わないだろうが、毎日この手の話をされることは確実だろう。

 人のプライバシーを除くような行為は、香穂子の中にある「正義心」には反するものである。 

 だが……。

 香穂子の心の中で、正義と悪の聖戦が始まった。

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