不平等世界と最後のタコ
「へー、小松さんが前に住んでたところって、城下町なんだ」
「うん。と言っても田舎町なんだけどね」
昼休み、隣の席の女の子―中野夢子と弁当を広げた香穂子は頷いた。
校庭の方からは、早々と昼食をすませた男子たちのサッカーに興じる声が聞こえる。
「だからちょっと私も田舎っぽいかなって」
「そんなことないよー。
元気ではっきりしてていいなって思うけど」
にこにこと笑いながら、夢子はパック牛乳にストローを刺した。
目がぱっちりと大きく、鼻は小ぶりで小さな口。
色白の肌にほんのり紅い頬が映える。
綺麗な子である。
適度に日焼けした肌。やたらと大きい目。きりりとしまった眉。
自分とはまるで違う夢子の風貌に、香穂子はふう、と息をついた。
「小松さん、髪の毛綺麗だよねー。羨ましいな。
私天然パーマなんだもん。雨の日とか大変だよ」
自分の髪を一ふさつかみ、夢子はくるりと髪をひねった。
「髪の毛だけね。
これは命かけてるんだ」
「えー、なんか理由あるの?」
「内緒」
「うむ。やはり転校二日目で秘密を暴こうというのには無理があるか」
「やだなに、身辺調査?」
男っぽい口調で言う夢子に、香穂子はくすり、と笑いを漏らした。
「やっぱり興味あるよー。
転校生って謎に満ちてていいじゃん」
「謎なんて大げさだよ」
香穂子は佃煮を口に放り込むと、パックのお茶を飲み込んだ。
冷たい液体が喉元を通り抜けて行く。
一瞬、二人の間に沈黙がおりる。
「それにしても、珍しいこともあるものよねー」
会話が途切れるのを恐れるように、夢子は言葉を継いだ。
「何が?」
サンドイッチを飲み込むと、夢子は包装紙で作った奴さんで香穂子の後ろの席を指した。
「彼よ、彼。月見里君。
昨日の朝から今日の午前中まで、皆勤賞だわ」
「皆勤賞?」
鳥の唐揚を箸で摘まんだまま、なんとなく香穂子が後ろを見る。
主人不在の不良の特等席は、秋の日差しを浴びている。
「だって、月見里君。全部の授業にちゃんと顔出しているもの」
「数学は遅れたじゃない」
「でも終わる前に来てたし、他の授業なんて最初から最後までいたでしょ。
いつもは二、三個くらいしかいないよ。
大抵途中で出て行っちゃうし。
ひどいときは午前か午後しかいないよ」
「えー、単位とかどうなってんの?」
「知らない。でもほら、彼アレだから」
コンビニのビニール袋から卵サラダのパックを取り出しながら、夢子は当然のように言った。
「アレ?」
「彼、理事長の甥なの」
かぱん、とパックを開けると、幸せそうにプラスチックのフォークで黄身をつつく夢子。
香穂子は卵焼きを口に放り込み、こくんと飲み込むと眉をしかめた。
「それって、なんか汚くない?」
「さぁ。うち私立だしね。けっこうそういうとこは甘いんじゃないかなぁ。
それにほら、授業なんか出なくても月見里君、頭いいし」
「そういえば、さっきもあっさり解いたね」
朝の数学の一幕を思い出す香穂子。
あの後、たまたま夢子が持っていた「教師用テキスト」の模範解答を見たのだが、解を出すまでに最低四回の作業が必要な問題で、とても一瞥しただけで解けるとは思えなかった。
「あいつもこのテキスト、持ってるんじゃないの?」
「ないない」
サラダを食べながら、夢子は手を左右に振った。
「それにしたって頭がいいことは間違いないよ。
だって彼、学年トップ5に入ってるんだから」
「えー?!」
創英高校はこの辺りでは割と名の知れた進学校である。
毎年何人かは、日本中で誰でも知っているような有名大学に入学している。
香穂子はといえば、転入試験にやっと引っかかり転校が認められた程度。
トップ5など夢のまた夢、である。
「なんで授業にも出ない不良がそんなに頭がいいのよっ!」
香穂子はお行儀悪く箸を握り締め、海苔ご飯の上にぶすり、と突き刺した。
パック牛乳を飲んでいた夢子がぶっ、と噴出す。
「こっちは苦労してやっと転校してきたっていうのに、卑怯だわ。
陰謀よ!」
「こ……小松さん」
「だってそうでしょう?
私だってあんな睡眠電波満載の数学とか、異国の言葉なんて好きでやってるわけじゃない!
でも一生懸命やってるのに、結果はこれよ!
それなのに、授業にも出ないでちんたら過ごしている奴がトップ5なんて、世の中間違ってるわよ!」
「間違ってて悪かったな」
「そーよー」
「こ……小松さんってば?」
「なに中野さ……ん」
パックを持ったままの姿勢で左指を香穂子の背に向ける夢子。
すっと視線を後ろにずらし、そのままの姿勢で香穂子は固まった。
「で、何か?
俺になんか文句でもあるってぇのか? 転校生さんよ」
白いジャケットに臙脂のシャツ。
両手はポケットに投げ込まれている。
鷹を思わせる鋭い目に、眉間に刻まれた深い皺。
今まで不機嫌そうに「へ」の字を描いていた口元が緩くほころび、右方向が軽く上がっている。
顔半分が不機嫌、半分が笑顔。
なんとも不敵な表情を浮かべた月見里が、上から香穂子を見下ろしていた。
(謝っちゃいなよ)
向かいに座った夢子が手を口に添えて言う。
そうしようかと思った夢子だが、馬鹿にしたような笑顔を浮かべて自分を見下ろす月見里にカッとなって言葉が出た。
「べ……別に文句なんかないわよっ!」
仰ぎ見る形になった香穂子は、強い口調で答えた。
「あんたはあんたで好きにやればいいじゃない。
私は私で思ったことを言っただけなんだから!」
月見里は一瞬キョトン、とした顔を浮かべたがふん、と鼻をならして右手を香穂子の机についた。
ちょうど香穂子を上から抱えるような姿勢だ。
月見里のキツメではあるが端正な顔が目の前に近づき、香穂子は思わず身をそらした。
「な……何よ!」
睫毛の本数が数えられるくらいまで顔が近づく。
(あ……奥二重だ)
思わず観察した香穂子に、月見里はおもむろに口を開いた。
「お前らとはあ・た・ま・の……出来が違うんだよ」
「…………!」
固まる香穂子を他所に、香穂子の弁当箱からタコ型ウィンナーを無断でつまむと、月見里は自分の口に放り込んだ。
「あー!! 最後のタコさん!」
「んぁ? なんだか塩気が多いな。
お前が作ったのか? もうちっと精進したほうがいいんじゃねぇの?
勉強がダメだとなると、後は嫁さんになる修行するしか道ねぇだろ」
「余計なお世話だー!!」
椅子の背を両手で掴んで振り上げようとする香穂子を、夢子が慌てて押さえつける。
騒ぎを聞きつけたクラスメートがなんだ、なんだと集まってくる。
そんな騒ぎをよそに、月見里は自分の席につくと腕を組み、足を机の上に振り上げて午後の昼寝としゃれこんだ。