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元婚約者(?)の溺愛と困惑

「新しい学校は楽しいかい?」


「楽しいよ」


 ブリ大根を齧りながら、香穂子はぶっきらぼうに答えた。

 セーターにジーンズというラフな格好だ。

 陶器がぶつかる軽い音が響く。


「あー、お友達はできたのかな」


「関係ないでしょ」


 背後のガスコンロで蜜柑の皮がふつふつと煮込まれている。

 やかんが、ぴーっ、と高い音を立てた。

 箸を持った男の手が小刻みに震える。

 香穂子はちらり、とその様子を見たが、気にせず蟹たまを一口分箸で切り取って口に運んだ。

 次の瞬間、男は ―― 器用に食器や食べ物を退けて ――その場につっぷした。


「ほーちゃんは、ほーちゃんは……叔父さんの事が嫌いなんだね~!!」


「そういうことじゃなくてっ!」


 お行儀悪く箸を握り締めると、香穂子は握りこぶしで食卓を叩いた。

 茶碗や皿がビニール製のクロスの上で小さく跳ねる。


「お行儀悪いぞ、香穂子」


「ほーこちゃん、食事中は静かにね」


「あ、ごめん……でもなくて! どうしても誰もこの異常者の装束にツッコミをいれないのよ!」


 蟹肉を口から飛ばしながら指を指す香穂子に、男 ―― 河添湊かわぞえ みなとがきょとんとした表情で顔を上げた。


「この平安風・水干に何か問題が?」


「普段着にする奴がどこにいる?!」


「烏帽子まで被っているのに……」


「食卓で被るな!」


 薄緑色の地の上品な色合いの裾だし水干。

 襟元をとんぼで止めている。

 漆で塗り固められた黒い烏帽子は、一見紙製に見えなくもないが実は本物。頭頂部を折らない立烏帽子は、天井の低い日本家屋の中では、長身痩躯の湊が立ち上がると、天井に届きそうな様子がある。


「しかも、今の日本でそんな格好してる奴がいるかいっ!」


「仕事柄、似合うと思ったんだけど」


 しっとりと目の端に涙を浮かべると、湊は烏帽子を外した。

 病的な白い顔に、気持ち面長の顔。

 すっと筆で引いたような眉と瞳は、水鳥の尾のように美しい。

 筋の通った鼻は、すんなりとした印象を与える。

 ほどよい厚みの唇は、哀しげにゆがめられていた。


「な~にが"仕事柄"よ! この似非霊能者!」


「香穂子、叔父さんは霊能者じゃなくて、御払い屋さんよ」


「どう違うのよ!」


 母の言葉に香穂子は怒鳴り返した。

 香穂子の叔父、湊は母方の叔父である。

 四人兄弟の末っ子。

 晩年の子だったため、長女の母とは十五も年が離れた二十八歳だ。

 なんだかぼや~っとした印象のある叔父で、香穂子にはまるで年の離れた兄のような感じだった。


「時期的にも、この格好が受けるんだよ。

 ほら、今『陰陽師』がブームだろう? おかげでこっちも潤っちゃって~」


 ガラッと表情を変えてニコニコと笑う湊に眉をしかめると、香穂子は蜆の味噌汁をずずっとすすった。


「それにしても、湊叔父さん今日はどういう風の吹き回し?

 お正月でもないのにうちにくるなんてさ」


 食事を済ませ、玄米茶をすすりながら香穂子の兄、重義が言う。

 丸いふちなしの眼鏡をかけ、香穂子に良く似た凛々しい眉毛を持つ重義は二十歳。 

 近郊の大学に通う文学部の学生だ。

 冷静な口調と、辛辣な言葉使いは父親譲り。整った顔立ちは「美形」と言えないこともないが、冷淡な態度が他人を寄せ付けない。

 ハリネズミのような男である。

 ただし、反面むしょうの「親父ギャグ」好きで、そのあまりのキギャップに香穂子はきっとこの兄は何か大きな被り物をしているに違いない、と日々考えている。いつのひか、背中のチャックかなにかをあげて、剥げ頭にちょび髭の親父が出てくることを、信じて疑わない。


「ああ、ほーちゃんが新しい学校に入ったって聞いたから、何かに憑かれていたらいけないと思って……」


「憑かれるかいっ! 第一そんなものはこの世にいない!」


 食器を重ねると、香穂子は席を立った。

 そのまま食器を持って洗い場に進む。


「ほーちゃん、そういうことは本当に気をつけた方がいいんだってば」


 イカの塩辛を口にしながら、湊は泣きそうな声を出す。


「学校って言うのはね、不特定多数の人間が集まる場所なんだから。

 半強制的に集められた人間の中には、とんでもないものが一緒にいることも少なくないんだよ。

 大体、今度の高校裏庭から白骨死体が出てきたんでしょ? 叔父さんが見てあげるよ」


「あんたのその調子で! 前の学校でどんな噂をたてられたと思ってるの~!!」


 安穏とした前の学校での生活にも、一つだけケチがついていることがある。

 それがこの叔父、湊の存在だった。


「あんたが入学式に袈裟姿で来た時には、私は心臓が止まるかと思ったわよ!」


 晴れやかな高校の入学式の日、いきなり祈祷をはじめた叔父のせいで校内の有名人になってしまった思い出。

 香穂子の暗い過去である。


「大体何よ、最初は狩衣で次は袈裟、今度は水干?」


「その前に神父服とか、黒いスーツとかも着たよ」


「宗教的な統一感を持ちなさいよっ!」


 洗剤の泡のついたスポンジを握り締める香穂子。指の間から白い泡が溢れた。


「香穂子」


「何よ!」


 眼鏡のフレームを中指で押し上げる重義に香穂子は叫ぶ。


「食器洗いは全員食い終わってからにしろ。

 洗剤が勿体無い」


 そのまま当たり前のような顔で自分の食器をシンクに放り込むと、重義は台所を出て行く。

 ぷっと頬を膨らませた香穂子は、勢いよく水道をひねった。





「ほーちゃん、好きな子ができたでしょ」


「ぶっ!」


 居間で湊と二人、せんべいをかじりながら茶を飲んでいた香穂子は、思わず茶を噴出した。


「な……なにをいきなりっ!」


 ごほごほと咳をしながら言う香穂子を横目に、湊は茶をすすった。


「だって、昔はどんなに叔父さんのことを怒っても話してくれたじゃないか。

 今回に限って話してくれないんだもん。きっとその子のことが私に知れたら困るんだ」


「何よ、それ」


「そうだよねー。湊叔父さんは香穂子ちゃんが六歳の時にふられてるんだもん。

 昔の男が出てきたら困るんだ」


「あれは……! 子供の頃の話でしょーが!」


 ふるふると首を振ると、湊は哀しげに袂で目元をぬぐった。


「五歳の時までは『おぢちゃんのお嫁さんになる』って言ってたのに、六歳になったら『ほかの子と"こんやく"したからおぢちゃん、ばいばい』って。

 あれは子供心に傷ついたもん」


「子供って……叔父さんその時十八では?」


「あまりに傷ついた僕は、思わず丑の刻参りなんてしちゃったよ。

 あ、知ってる? 丑の刻参りって、顔を紅く塗って櫛を加えて、逆蜀に蝋燭をともしてやるんだよ」


「祓い屋が人に呪いをかけるな!

 っていうか、丑の刻参りって大体女がやるんでしょーが!」


「はっはっは、先入観を持って物事見てはいけないよ」


 昔の公家がやるように口元を隠して笑う湊に、香穂子は大きなため息をついた。


「冗談はともかく」


 ぱっと裾を整えて据わりなおすと、柔らかな笑みを浮かべて湊は香穂子を見た。


「どんな子なの。気になる面白い子達いるんでしょ」


「どんなって……」


 傍らの電気ポットから急須に湯を足すと、香穂子は答えた。

 別に叔父が嫌いなわけではないのだ。

 昔からよく遊んでもらったし、賭け値なしに優しいということも確か。


「一番の仲良しはね、夢子ちゃんって言ってとっても綺麗な女の子。

 文章を書くのが巧くてね、それで正確にちょっとクセがあるから、多分将来面白く化けるんじゃないかなぁ」


「将来……。 高校生なのに見方が遠いね」


「それから、もう一人可愛い子がいるんだよ。篠沢君っていうんだけど男の子なのにこれがまた可愛いんだ。

 けっこう器も大きそうでね。只者じゃない感じ」


「有望そうだねぇ」


「それから……」


 こぽこぽと音をたてて湯のみに茶を足しながら、香穂子は眉をしかめた。


「それから?」


「……そんなとこかな」


「嘘ばっかり」 


 細い目を更に細めると、湊は口元だけで笑った。

 美しいつくりの顔立ちに不穏な笑みが浮かび、香穂子はぞっとした。

 なまじ整っているだけに、こういう表情は人形じみていて、怖い。


「ほーこちゃん。意図的に隠したでしょ。 誰なの、最後の一人は」


 狐鍛冶にも似た笑みを浮かべながらにじり寄る湊に、香穂子は頬をひきつらせた。


「い……いないってば。べつに」


「そう」


 すっと身をひく湊に、ほっと息をつく香穂子。

 茶を一気に飲み干し傍らに置いてあった盆を手にとり腰を上げる。

 そしてふと湊に目をやり……動きを止めた。


「……何してるの?」


 香穂子の問いに、湊は振り返りもせずに答えた。


「何って……。ほーこちゃんが教えてくれないなら、自分で調べようかと思って」


 湊の手には、妖しげな文字が書かれたのし紙ほどの大きさの護符。


「待っててね、今から式を使って調べるからね」


 次の瞬間、振り下ろされた盆の角が湊に激突。

 そのままの姿勢で湊は横にぱたり、と倒れた。


「だから……そういうことするなって言ってるでしょ!」


 仁王立ちの香穂子の怒声が今に響いた。

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