第140話『鉱石』
その日の夜。
光の無いハプトギア大森林は、昼間の壮観が一転、恐ろしい程に不気味だ。森の奥で眠っていた肉食の魔法生物が活動を始めるためである。
そんなハプトギア大森林の中を、小さな灯りと共に走る人影が一つ。
カリッサ・クルルハプトだ。
凶暴な生き物達が光に釣られてカリッサに襲いかかるが、彼女はエルフ特有の優れた身体能力をフルに活用し、魔法生物に一切の傷を付けることなくスルスルと躱し、奥へと進んでいく。
昼間、ミカエル達と一緒に進んだルートとは全く別のルートで、森のさらに奥へと進むと――
辿り着いた先には、なんと今日ミカエル達が目撃したものより、さらに倍以上もある巨大なコートマル鉱石があった。
カリッサはそのコートマル鉱石を見ると、フッと笑みを零し、
「良かった……こっちは無事だった」
そう漏らすのだった。
実はカリッサは、この森にコートマル鉱石があることを知っていたのだ。
より正確に言おう。
カリッサは表向きはハプトギア大森林を管理する仕事をしていると言いながら、本当はこのコートマル鉱石が誰かの手に渡らぬよう、監視していた。
この巨大なコートマル鉱石は、クルルハプト一族が代々守ってきたもの。
今日ミカエル達が見たコートマル鉱石は、言わば囮。何者かがコートマル鉱石を狙っていると分かり、それを撃退出来ない場合、代わりに差し出すためのものだった。それにより、一番大きくて上質なコートマル鉱石を、敵の手から守るのである。
ミカエル達とレイパーがコートマル鉱石を探していると聞いた時、カリッサは万が一にもこれが奪われないよう、一緒に探索するふりをしながら、さりげなく囮の方へと誘導していたのだ。
彼女の狙い通り、ミカエルもレイパーも、この本命のコートマル鉱石の存在には気が付かず、この森から立ち去ってくれた。
最も望ましかったのは、ミカエル達が、森にやって来た二体のレイパーを両方とも倒してくれることだったが、一体には逃げられてしまったのは残念である。
「それにしてもあの魔女……まさか、またここに来るなんて」
カリッサは困った顔で、溜息を吐くようにそう呟く。
ミカエルが昔見たというコートマル鉱石。
それは、実はこの本命のコートマル鉱石であった。
もう十年も前の話。当時学生だったミカエルがハプトギア大森林に訪れた時のこと。
母親と喧嘩し、家出していたミカエルが立ち寄ったのがこの森だ。ムカムカする心を落ち着かせるために内部へと足を踏み入れ、気の向くままに散策していたら道に迷い、偶然にも辿り着いたのがここだった。
人間がコートマル鉱石に近づいたと知り、慌てて駆けつけたカリッサはミカエルを森の外までワープさせ、この場所を誰にも知られないよう、魔法で記憶を消したのだ。
「でも、何かの拍子に思い出すなんて思ってもみなかった……。危ない危ない」
きっと、もうしばらくもすれば、ミカエルの記憶も完全に蘇ってしまうだろう。
面倒なことになる前に、この巨大なコートマル鉱石を別の場所に移動させる必要があるとカリッサは思った。
通話の魔法で仲間に連絡をとり、コートマル鉱石を動かす段取りをしていくカリッサ。
一通り終わると、空を仰ぐ。
このコートマル鉱石は一族にとって大事なもののため、誰かに奪われるわけにはいかない。それにしても、結果的にミカエル達を騙し、利用し、それが原因で危険な目に合わせてしまったのは事実だ。
流石に申し訳無かったためコートマル鉱石の欠片を渡したが、やらかしたことに対する埋め合わせにはまだ足りないだろう。
もしどこかでまた会うことがあり、その時彼女達が困っているようなら、適当に理由をつけて手助けくらいしてあげようと、カリッサは思うのだった。
***
ハプトギア大森林での一件が終わってから、二日が過ぎた七月二十九日日曜日、午前十一時時二十二分。
オートザギアの港街、アルタギアにて。
「長かったオートザギアでの日々も、もう終わりですのね。何だか感慨深いですわ」
「日本を出たのが二十一日で、そっから時差を考えると……えっと、何日? まぁいいや。でも一週間以上ここにいたのよね」
希羅々と優の会話。時差の計算を面倒臭がった優に呆れたような顔に一瞬なったものの、「八日ですわよ」と突っ込むこともなく希羅々は海の向こう――日本がある方向へと目を向ける。
実は大きなコートマル鉱石はまだ残っているとは露程も知らない一行。敵の欲しがりそうな物が無くなったと判断した彼女達は、一度日本へと戻ることにしたのだ。
「あれから天空島とやらはどこへ行ったのか……。ここを去った後、雲に隠れ、ぱったりと姿を表さなくなったそうですわ」
これまでは世界各国にあるパワースポットや遺跡を巡ったり、パワーストーン等を集めたりしていた魔王種レイパー達だが、ハプトギア大森林を去ってからは、希羅々の言葉通り消えてしまった。
嵐の前の静けさ、といったところか。不気味で仕方が無い。
「せめてどこにいるか分かればいいんですけど……帰ったら、皆に相談してみましょうか」
横で聞いていたライナが、会話に混ざってくる。
それからとりとめも無い会話をしていると、船がやって来た。雅達が、オートザギアへ来る時に乗ってきた船だ。
船に乗り込んでいく一行。そんな中、
「師匠。どうしたんですか?」
一番最後に乗り込んだミカエルが、船の乗車口で、物鬱気に外を眺め出す。
ノルンの質問に、ミカエルは「んー……」と悩むように唸るが、やがて溜息を吐くと、諦めように外の景色から目を逸らす。
「いえ、里帰りした娘が帰る時って、親は大体見送りに来るじゃない? うちはそういうの、無いなって思って……」
ミカエルがヴェーリエに日本へ戻ることを伝えた時も、随分あっさりとした対応だった。
無論、ヴェーリエが娘との別れに泣いて寂しがるなんて欠片も思っていないし、そういう関係で無いことも理解している。
現に、今まで里帰りした時も、見送りなんて全く無かった。
だが、それにしたって何とも思われないのは、それはそれでミカエルにも思うところが無い訳では無い。
すると、
「うーん……そうでも無いんじゃないの?」
ファムが気だるげに、外を指差す。
そちらを見たミカエルが、目を丸くした。
建物の陰、一見しただけでは、見逃してしまうようなところに。
そこに、確かにヴェーリエがいたのだ。
ポカンと口を開くミカエルの肩に、側で話を聞いていた雅が優しく手を乗せる。
「ヴェーリエさんだって母親ですよ。ただ、素直になるのが苦手なだけで……。でも、本当の気持ちって案外隠しきれないですよね」
今まで気が付かなかっただけで、もしかするとずっと、見送りに来てくれていたのかもしれない。
そう思うと、ミカエルは自然と、遠くにいる自分の母へ、小さく手を振っていたのだった。
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