第118話『冷眼』
大西洋に出現した、エスティカ大陸。面積にしてナランタリア大陸の一・五倍程。公用語はエスティカ言語……雅達の世界で言うところの英語だが、普通に日本語も通じる。
その最南端に、ミカエルの故郷『オートザギア』はある。
国土はナリアの二倍程度。気候は暖かく、一年を通して春から初夏くらいの気温が続く。
ミカエル曰く、『コートマル鉱石』はオートザギアで採掘出来るらしい。昔はたくさんあったそうだが、大量に採掘された結果、今では大変希少なものになってしまったそうだ。
魔力を大量に含んでいるとは言え、魔王種レイパーが欲しがるのであれば少量では済まないはず。
だが、前述の通り、コートマル鉱石は希少。
しかしミカエルは小さい頃、故郷で大きなコートマル鉱石の塊を見たことがあると言う。
何分昔のことであり、記憶があやふやだが、あったのは間違いないそうだ。
自分の身長の三倍近くもある大きな物であり、そんなコートマル鉱石が採掘されたのならば大騒ぎどころの話ではない。そのような話が現在も無いのであれば、ミカエルが昔見たというコートマル鉱石の塊はまだ残っているはずである。
レイパーが狙うとしたら、それだろう。ならば、レイパーよりも先にコートマル鉱石を手に入れることにした。
オートザギアのバスターにはこの件を伝えてあり、今、国中のコートマル鉱石を集めているところだ。件の大きなコートマル鉱石についても、捜査中である。
記憶は曖昧でも、現地に行けば何か思い出せるかもしれないと考えたミカエル。現地のバスターに任せっきりにしては発見に時間がかかるかもしれないため、自身も向かうことにした。
魔王種レイパーよりも先に、そのコートマル鉱石の塊を手に入れるのが今回のミッションだ。
万が一魔王種レイパーと鉢合わせてしまった時のことを考えれば、ミカエル一人では危険なため、雅、優、希羅々、ファム、ノルン、ライナの六人も付いて行くことになった。
そして、七月二十一日土曜日。午前八時四十一分。
オートザギアへと向かう船の中。
船内の座席に座り、外の景色を眺めながら談笑するミカエルとノルン。
そこに、希羅々がやって来る。
「お隣、座ってもよろしくて?」
「あ、キララさん。いいですよ」
ノルンが名前を呼んだことに、希羅々は一瞬ピクリと頬を引き攣らせる。つい反射的に「希羅々さん言うな!」と言ってしまいそうになってしまったのだが、相手は年下。ムキになるのもみっともない。
「……ところで、お友達のパトリオーラさんは? 一緒では無いのでして?」
希羅々の手にはお菓子と飲み物が乗ったお盆。
折角異世界の人と交流出来る機会を得たのだから、お茶でもしながら色々話を聞こうと思ったのだが、目当ての一人がいない。
希羅々の言葉に、ミカエルもノルンも揃って首を傾げる。
「ファムは今飲み物貰ってきています。でも、遅いですね……」
「そう言えば、かれこれ十分近く経っているわね。どうしたのかしら……?」
「あら? ……まぁ、もしかすると束音さんや相模原さんに捕まっているのかもしれませんわね。その内戻ってくるでしょう。では、代わりといっては難ですが……」
そう言って、希羅々は二人にお茶の入ったペットボトルを差し出す。中は烏龍茶だ。
お礼を言って受け取る二人だが、蓋も開けずにしげしげと眺め始めた。
「……何だか、不思議な手触りね。開け方は、こうかしら?」
「あ、師匠それじゃ――」
「あぁっ?」
直感的に蓋を捻ったものの、勢い余って蓋が明後日の方に飛んで行ってしまう。さらにペットボトルを傾けていたせいで、中身が零れてしまい、ミカエルの白い白衣に茶色い染みを作ってしまった。
「ご、ごめんなさいっ!」
「あー……これ洗濯しても落ちないかも……」
「大丈夫でしてよ。ちょっと失礼して――」
希羅々が持参していたシミ抜きを取り出し、中の液体を白衣に染み込ませ、ハンカチでさっと拭く。
すると、先程まであったシミが嘘のように消え去り、ミカエルとノルンが感嘆の声を上げた。
「そちらの世界には、こういった物はありませんでしたの?」
「ええ。前にミヤビちゃんのアーツを見た時にも思ったけど、あなたの世界の技術は凄いわね。――あぁ、そうだ。キララちゃんは、元々は日本に滞在する予定だったのよね? 突然来ることになったって聞いたけど」
当初は希羅々以外の六人で向かうはずだったのだが、いざ船に乗ったところ、先に希羅々がいたのだ。驚いたのは言うまでもない。
「コートマル鉱石に、お父様が興味を持ちまして……。アーツ製造開発メーカーの社長ともなれば、未知のものには興味があるのでしょう。だから、私に実物を見てきて欲しいと頼まれましたの」
娘に頼むような話では無いと光輝も分かっていたのだが、先日の久世の一件で『StylishArts』の社員は大忙しだ。
そこで、希羅々が是非自分にと、光輝に現地調査の役を申し出たのである。桔梗院家で最も戦闘能力があるのは希羅々。ある程度の修羅場も潜っており、本人の熱意もあるため彼女に依頼した。
「それに、私も異世界の地には興味がありますのよ。オートザギア……。こんな時に不謹慎ですが、どんな場所なのか今から楽しみですわ」
「魔法王国って言うくらいだから、魔法で栄えている国なんですよね?」
実はオートザギアに行ったことが無いノルン。尊敬する師匠の故郷なので、希羅々に負けないくらい楽しみにしていた。
「ええ、そうよ。折角だし、向こうに着くまでオートザギアのことを教えてあげるわ」
どんな形であれ、自分の故郷に興味を持ってくれるのはミカエルも素直に嬉しく、説明を始めるのだった。
***
一方。
「あれー……みーちゃん、どこに行っちゃったんだろう? ULフォンにも出ないし……」
優は、船内で雅を探していた。突然ふらっといなくなり、何時になっても戻って来ないので、少し心配になったのだ。
「あれ、ユウじゃん。何してんの?」
すると、後ろからファムに声を掛けられる。
「あー、ファムちゃん。みーちゃんを探しているの。ファムちゃんは?」
「ミヤビなら見ていない。私は、ミカエル先生とノルンの飲み物を貰ってくることになって……じゃんけんに負けちゃってさ」
「そっかー……って、ん?」
一体親友はどこに行ったのやらと思っていた優だが、そこで甲板の方に、雅がライナと一緒にいるのが見えた。
「あそこにいた。大方、ほっつき歩いていたらライナさんを見かけて話し掛けたってところね」
何を話しているのかは分からないが、自分も混ざろうと向かい始める優。後ろから、ファムもついてくる。
「飲み物はいいの?」
「平気平気。ちょっと遅くなるくらいなら、二人は目くじら立てやしないって」
「……まぁ、いいけど」
ミカエルはともかく、ノルンは何か言いそうだと不安になる優だが、本人が大丈夫だと言うなら良いのだろう。
雅とライナは甲板の先で、海の向こうを見ている。優は、こっそり近づいて脅かしてやろうなどと企んだ。
それにしても、雅もライナも随分楽しそうで、優は自分抜きで何を和気藹々としているのか非常に気になってしまう。
後一歩で船内から甲板に出るといった、その時。
「あ、そう言えばライナさん。デートの約束ですけど、何時にしますか?」
そんな言葉が聞こえてきて、優とファムは思わず物影に身を隠す。
変な声が上がりそうになるのを気合でねじ伏せる優。
「ね、ねぇ……何で隠れるの?」
「い、いや、ファムだって……」
偶然居合わせただけなのだから堂々としていれば良いはずなのだが、咄嗟の行動だった故に仕方が無い。
「え? っていうか、デート? 何でそんな話をしているのあの二人は?」
「さぁ……」
二人は顔を見合わせ、コソコソ話をする。
実は前に天空島で雅達と一緒に戦おうとするライナに対し、条件としてデートすることを要求したのだ。
その後は雅が元の世界に転移してしまったこともあり、約束が果たされぬまま長い時間が過ぎてしまったのだが、こうしてまた出会えたために、このような発言が出たのである。
最も、その辺りの事情は雅とライナしか知らないため、優とファムが驚くのも無理は無い。
「……ていうか、あの二人はどういう関係? ライナさんって、みーちゃんのただの仲間なんだよね?」
よく見れば、雅とライナは手を繋いでいる。
これまで雅が女性を誑かすシーンは数え切れない程見たことがある優だが、今回のこれはちょっと雰囲気が異様なように優は思えた。
優とファムが近くにいるなんて夢にも思わない雅とライナの会話は続く。
「日本を紹介したり、シャロンさんの誕生会があって慌しかったですけど、そろそろ時間も作れそうですし……」
「そうですね。折角ですし、オートザギアをミヤビさんと一緒に観光したいなって思っていたんですけど……。時間、あるかなぁ?」
「ここのところ、強いレイパーとたくさん戦いましたし、ちょっとくらいゆっくりしても罰は当たらないと思いますよ? それにしても、オートザギアでデート……良いですねぇ。そうしましょう。そうと決まれば、ミカエルさんに観光名所とか教えてもらわなきゃ」
「……ぐ、ぐぬぬ。あいつら、この旅の目的を何だと思っているのよ。遊びに行くんじゃないっての」
自然と、優の握りこぶしに力が入る。
親友の女癖の悪さには毎度頭が痛くなるが、コロっと堕ちる方も悪い。優はそう思う。
「おーい、ユウ? 顔が怖いよー?」
「ねぇ、あんたもどう思う? あの二人の浮かれっぷり、誰かがビシって言ってやらなきゃならないと思わない?」
「いや、二人はそこまで頭お花畑じゃ……。え、なに? 嫉妬? ミヤビがライナと仲良くしているからやきもち焼いてる? あ、そう言えばユウって、ミヤビの幼馴染なんだっけ?」
「嫉妬って何よっ! まぁ幼馴染けど? それが何?」
「幼馴染って負けフラグ――」
「殺すわよ」
「あー、ごめんごめん! 冗談冗談!」
最早ファムなど当てにならないと言わんばかりに優は立ち上がり、肩を怒らせて雅達の方へ突撃していく。
雅とライナに無茶苦茶なことを喚き散らし、雅が「まぁまぁさがみん」と宥めようとすれば鉄拳制裁。
横のライナは苦笑いを浮かべる他無い。
その様子を見て、ファムは思う。
修羅場って面白い、と。
因みにこの後、ファムはノルンに「戻ってくるのが遅い!」と叱られた。
***
七月二十一日土曜日、午後十時五十三分……と言いたいところだが、時差により現在時刻は午前十一時四十一分。
十二時間近い船旅を終え、雅達はようやく、オートザギアの港街『アルタギア』へと到着した。
そこから、馬車で二時間ほど揺られ、辿り着くのがミカエルの故郷であり、オートザギアの首都である『フォルトギア』である。
そして、
「わぁ! すごーい!」
馬車の中からフォルトギアの景色が見え、ノルンが感動の声を上げた。
フォルトギアの中心には、全長六百メートル以上もある巨大な塔がある。
その周りを、色とりどりのカラフルなシャボン玉が浮かんでいた。
「あれは『スカイ・プロップ』よ。空を支える柱をイメージして造られた塔で、フォルトギアで最も有名な建造物ね」
「見て見てファム! 今、光みたいなのが飛んで行ったよ! 師匠! アレは何ですか?」
「あれは転送系の魔法ね。中には人が入っているはずよ。要は馬車みたいなものなんだけれど、フォルトギアで最近運用され始めたって聞いたわ」
「ちょっとノルン……声大きいよ。恥ずかしいって」
興奮するノルンに、馬車の他の乗客は微笑ましい目を向けており、ファムの羞恥心はそろそろ限界だった。
因みに、その近くでは。
「ちょっとさがみん! 今の見ましたっ? 絨毯ですよ絨毯! 魔法の絨毯です!」
「見た見た! あ、でも私、乗るんだったら絨毯よりも箒派なんだけど、そういうのもあるのかな?」
「あるはずですよユウさん。私、本で読みましたし!」
「あら、三人とも、遠くをご覧になって! あれがそうでは?」
雅、優、希羅々、ライナの四人も――周りの目を気にして小声ではあるが――絶賛興奮のまっ最中だ。
特に雅は異世界で生活していた経験はあるが、ナランタリア大陸の各国ではこういった分かりやすい『ファンタジー』的な魔法要素は少なかったため、テンションも爆上がりである。
ファムは、そんな四人にもジト目を向ける。
勿論ファムも内心は興奮しているものの、こうも表に出すのは流石に如何なものかと、テンションを振り切れずにいた。
「ま、全くもう。子供なんだから……」
「でも、ちょっと安心したわ。ノルン、普段しっかりした子だから。あんな年相応にはしゃいでいるのを見ると、やっぱり学生なんだなって」
呆れた声を漏らすファムに、ミカエルがそっと囁く。
その目は、「あなたももっとはしゃいでも良いのよ」と言われているようで、ファムは何となく、そっぽを向くのだった。
そして、それから十分後。
馬車が、門の前で停まる。
「ここが、師匠の家?」
「大きいですねぇ……」
降りたノルンと雅が、真っ先に感嘆の声を上げた。
白い塀に囲まれた広い敷地の奥に、窓が十個以上もある大きな大理石造りの屋敷が見える。
正門を潜り、中に入れば石畳の通路が伸びており、その両脇には花壇が設置されていた。正門と屋敷の真ん中には噴水もある。
そして、辺りには色とりどりの蝶々がたくさん飛んでいる。
「ミカエルさん、あれは?」
「『マナ・バタフライ』……召喚魔法で創られた蝶々よ。主に演出で使われる魔法ね」
「生き物じゃないんだ。嘘みたい……」
優が手をかざせば、指にマナ・バタフライがとまる。近くで見ても、それが無生物だとは思えない程に動きや感触がリアルだ。
「さ、行きましょ」
そう言って先導するミカエルの顔は、どこか憂鬱そうである。
実家のはずなのに、どうしたというのか? 不思議に思う雅達を余所に、ミカエルは扉を開けて中に彼女達を招き入れた。
屋敷の見た目通り、中も広い。
玄関ホール正面には階段があり、踊り場のところに両階段がある。玄関の左右にも通路があり、奥にはいくつか部屋があった。
天井には光球が七個、円を描くように回りながら飛んでおり、あれも魔法だろうと推察される。
しかし、そんな中、希羅々だけは眉を寄せた。
「……あら? 誰もいませんの?」
これだけの広い屋敷なら、メイドを雇っているだろう。だがミカエルが帰って来たというのに、誰も出迎えないのが少し妙だと思ったのだ。
そんな時、
「よく、のこのこと顔を出せましたね。ミカエル」
そんな声が聞こえて、思わず雅達に緊張が走る。
両階段の左側から、金髪ロングヘアーの女性が降りてきた。
年齢は五十代後半程のように見える。ミカエルが歳をとれば、こんな見た目になるだろうというのは容易に推測出来た。
表情は厳しく、全身から滲み出るオーラには迫力がある。
正直、怖い。
そんな彼女は誰なのかというと……。
「……ただいま戻りました、お母様」
ミカエルの母親、ヴェーリエ・アストラムだ。
ヴェーリエは頭を下げるミカエルからすぐに目を逸らし――冷たい眼をノルンへと向けた。
ビクリと震える、ノルンの体。
そんなノルンに、ヴェーリエはつまらなそうに鼻を鳴らすのだった。
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